第31話 その挿絵は物語を彩る

「……ル、ノエル」


「はっ!」


 これが噂の『雅な世界観』というのかと、思わず入り込んでしまった物語の真っ最中にどこからともなくわたしを呼ぶ声がして我に返る。


 わたしはすっかり、異世界のお姫様になって物語の世界を堪能していた。


「すっかり夢中になっていたね」


「えっ……はっ! あっ! へ、ヘイデン様!」


 同じく書籍を手にして階段に腰掛けているヘイデン様の眩しい笑みが飛び込んできて、現実世界へと引き戻される。


「はっ! も、申し訳ございません!」


 なんということだろうか。


 一国の王子様を目の前にして読書に没頭してしまうだなんて……あるまじき行為だ。


「ももも、申し訳……」


「いいよいいよ。それよりそれ、大丈夫なの?」


「え……あっ!」


 指をされた先で肥大した砂時計が浮かび上がり、ピカピカと点滅するかのように光り始めていた。


 これは、あと15分だと告げる合図だ。


「た、大変!」


 危うくアイリーン様とのお約束も忘れて没頭してしまうところだった。


「まぁ、わたしは一晩中でも君がいてくれたら嬉しいんだけどね」


 慈しむような瞳を向けられ、一瞬ぼんやりと見とれてしまったけど、言葉の意味を理解して飛び上がる。


「なっ!」


「ようやく君に触れられる」


 そう。この砂時計が落ちきってしまったら、アイリーン様の魔力は無効となる。


 そうなるとわたしは……


「か、帰ります!!」


 だ、ダメよ!


 年齢層高めの恋物語をえがくには、役不足すぎるわ。


 というよりも、そんな覚悟はない。


「はは。冗談だよ」


「へっ……」


「もともとここでは何もしないと約束したからね。時間が過ぎても手を出したりなんてしないから安心して」


 ふふっ、と吹き出すように口元を覆い、ヘイデン様は笑う。からかわれたようだ。


「へっ、ヘイデン様っ!」


「ごめんごめん! わたしは真剣に書籍に目を通す君を見ているだけで楽しめたよ」


 ありがとう、といつものようにわたしの頬へ触れようとしたヘイデン様の手にパチっと何かが弾けるような音がした。


「くそ、アイリーンめ」


 笑顔はそのままで、悪態をつくヘイデン様にわたしもつられて笑ってしまう。


 今のが、アイリーン様の言っていた成敗のひとつなのだろうか。


 あまりに自然で、あまりにも慣れ親しんだ動作だったためあまり気にしていなかったことを改めて悟る。


「ああ、そうだ、これ!」


 アイリーン様からもらった小瓶をポケットから取り出したとき、ヘイデン様が思い出したように片手を上げるとシュッと色鮮やかな書籍がそこに現れた。


 取り寄せ魔術だ。


 アイリーン様といい素晴らしいなぁとその様子に惚れ惚れしていたのだけど、それどころではないものを目にしてわたしは声を失った。


 どうぞ、と言われるがままに手を伸ばすとそれは絵巻物で、いえ、文章に美しいイラストがいくつもいつくも綴られている。


「こ、これは……」


 聞かずともわかる。


 イラストの様子を眺めてわからないはずがない。


「妹が手に入れたようでね。よかったら君にもお見せできたらと思って。ただ、この前見せてもらったものとは少し違うようだけど」


「なっ!」


 顔から湯気が吹き出す感覚を覚える。


(し、しまった……)


 それではあれらのシーンも見られているわけだ。ぞっとする。


 いやいやいやいや、わたしではない。


 わたしが書いたのではない。


 これはレディ・カモミールいや、やっぱりわたしの作品だ。


 だから焦ることはないのだと、必死に胸に言い聞かせるも、続きを見てみたいと願う本能に抗えず、指がひとりでにページをめくっていく。


「う、美しい……」


 こんな世界があるなんて。


 想像していたものよりも、より一層完成度の高いものだった。


 まさにひと目で惹き込まれるとはこのことだ。


「よかったら、君にあげるよ」


「えっ!」


「ただし、取り扱いには十分注意すること。影法師シャドウたちが動き出すからね」


 まぁ、それはそれで面白そうだけどね、と彼は作中の王子様と同じように宝石のような薄紫色の瞳を柔らかく細めて頬を緩めた。


 胸が高鳴る。


 ついに、ついに手に入れた。


 レディ・ダンデライオンの渾身の一冊を。

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