第19話 疑似恋愛はほどほどに

「王宮……浪漫日和ロマンスデイズ……」


 ヘイデン様のよく通る美声がそこに記されているタイトルを口にする。


(あ、ああ……)


 飽きるほど目にしたタイトルだというのに生きた心地がしなかった。


 そして、続く言葉に耳を疑った。


「レディ・カモミールか」

 

「はっ?」


 決して王子様相手に許されるはずのない声が体の底から溢れ出た。


 しかしながら、それどころではない。


(へ、ヘイデン様……今、何と……)


「まさかシルヴィアーナもこの女流作家にはまっているとはね」


 意外だったなぁ、とヘイデン様は心底楽しそうにレディ・カモミールの手記をペラペラとめくって、何を思ってか含み笑いを漏らした。


「へ、ヘイデン様っ?」


(な、なぜそれを……その人のことを……)


 わたしはもう居ても立っても居られなくなって、そわそわしてしまう。


 叶うことならば、今すぐこの場から消えたくなっているほどだ。


 ページをめくるたびにころころ変わる彼の表情を眺め、言葉をなくして口をパクパクさせるしかない。


「妹がとても影響されていてね。会うたびにその話を聞かされるんだよ」


 ば、万事休ゅゅゅゅーす!


 そこエヴェレナ様から漏れる可能性があるということをすっかり忘れていたわぁぁぁぁ!


 ろ、ロジオン、のバカバカバカバカ!


 覚悟なさい!!


 今度会ったら、ゆ、許さないんだから!


「ドレスまで作中のキャラクターに合わせて特注のものを頼もうかとずいぶん悩んでいてね」


 行き場のない感情を今ここにはいない人物に思いっきりぶつけていたわたしだったけど、ヘイデン様の言葉に顔を上げる。


「ど、ドレス……?」


(噂の……)


「うん。主人公の歌唄いがいつもいつも身分を隠して変装をするたびにありとあらゆる魅力的な姿に変身するそうで、その中でもお気に入りのデザインをピックアップして、自分もこういうのが着たいのだと言っていたよ」


 作品をイメージして作られるというドレスのことだ。


 まさか、あの作品がそんなにもエヴェレナ様にまで影響を与えているなんて。


 ロジオンから聞いてはいたけど、改めて驚かされた。


「ノエルも興味ある?」 


「え?」


 見上げると、完璧な眼差しがそこにあってドギマギする。


 やはり夜と昼間では違うようで、自分が映り込む薄紫色の瞳が揺れ動くたび、胸が高鳴った。


「面白い話だと思うよ」


「え?」


「この女流作家は大きな社会現象を巻き起こしている。作品の中から生まれたものを現実に着用しようとするなんて、しかもひとりふたりじゃない。この作品を取った数多くのご令嬢たちに影響を与えている。こんなこと、そうそうあることじゃない」


「そ、そうですよね……」


 物語が、ではなく、そこから派生した事象が……ということですか。


 面白い、という言葉に反応した自分がほんよ少し恥ずかしい。


「聞くところによると、ドレスだけじゃない。同じような小物を身に着けて楽しんでいるご令嬢もいるらしい。ある意味、熱烈的な信者だ。文面ひとつにどれほどの力があるのか、思い知らされる出来事だと思うよ」


 こうやって冷静に分析し、淡々と結論を述べる姿は、いつものほんわかとお花を飛ばして笑顔を浮かべる人たらし殿下ではなく、キリッと隙なく公務をこなしているときのヘイデン様の姿で思わず瞳を奪われる。


「って、身も蓋もない話はせっかくの物語を台無しにするね」


 わたしの表情を読み取ったのか、へらりとまたヘイデン様は表情を柔らかくする。


 そして、


「それにしても……怪盗モーヴって……なんだかまたどこかで聞いたことのあるような怪盗が出てくるんだね」


 と、面白そうに口角をあげた。


(げっ!)


 声にならない悲鳴を上げ、今すぐヘイデン様の手からその羞恥の種を奪い去ってしまいたかったがそうはいかず、わたしはノエル……レディ・カモミールなどではない……と何度目になるかわからないほど心に唱え、平常心を保つよう努力を試みた。


「わたしも一度、読んでみようかな」


 ヘイデン様の薄紫色の色の瞳がゆっくりわたしを映す。


 ああ、美しい……


 またその目はわたしを魅了して離さない。


 不思議だ。動けなくなる。


 そりゃ、どこかで聞いたことのある怪盗だって、こんな美しい色だったら毛糸も布も、すべて奪ってしまいたくなるものよね。


 そう思わざるを得なかった。


「ノエル?」


「はっ!」


 自力で現実世界へ戻ってきて、勢いよく首をふる。


「こ、こちらは、まだ途中の作品で……」


「え、そうなの?」


 ぶんぶん、と音がするくらい頷く。


 これだけは、さすがにこれだけはダメだ。


 たった一つの作品が万が一出回ってしまったら、ロジオンになんと言われることやら……想像しただけで恐ろしい。


「し、知り合いが完結した作品を持っていたように思います! それを……」


 かくなる上は、既存作を犠牲にするしかなさそうだ。


 いや、わたしが渡さなくても遅かれ早かれ彼が欲すればこうなるであろう。


「じゃあ、お願いしようかな」


 それでもすんなり頷いてくれるヘイデン様にほっとした。


「か、必ず!」


 だからこそ、少し前まではお見せするなんてとんでもない!と思っていたけど、わたしも力強く頷き返していた。


「さてと、良い約束もできたし、わたしはそろそろ帰るとしよう」


「えっ……」


 時間を取らせて悪かったね、とヘイデン様は姿勢を正す。


(えっ……)


 帰ってしまうのだろう。


 雰囲気からそう察しられた。


「し、シルヴィアーナ様にお会いしにこちらにいらしたのでは……」


 口にするつもりはなかった。


 それでも、言わずにはいられなかった。


(だって、だから、だからわざわざここに……)


「ああ、元気そうな様子が知れたから安心したよ。十分だ」


 そう笑って踵を返す彼に、真っ暗闇に叩き落とされた気分になった。


 たしかに、ヘイデン様はシルヴィアーナ様の住む別邸までやってきた。その事実は間違いない。でも……


(シルヴィアーナ様にお会いしていないくせに)


 足を踏み入れただけで自身の責務を果たしたつもりだとでも言うのだろうか。


 心なしか絶望した。


 彼女がどんな想いであなたに……そう思って考えるのをやめた。


 どんな想いでって、わたしが彼女の気持ちの何をわかっているというのだろうか。


 所詮わたしは、ただ側にいて仕えているだけの存在だ。


 彼女のすべてを知るわけではない。


 颯爽と歩く背中が、遠ざかっていく。


 彼の姿を目にした侍女たちは声を失ったように見入り、そしてあわてて道を開ける。


(なんだかな……)


 人様の恋路に踏み込んで、親身になって心配をしていたら、どうやら自分まで苦しくなってしまったようだ。


 疑似恋愛というやつだろうか。


 他人事でもこんな気持ちになれるのは大発見だった。


 致し方ないので、これもネタの一つにするしかない。


 きっと今なら、悲痛の想いを胸に耐え忍ぶご令嬢のワンシーンをこの上なく完璧にえがききれる自身がある。


 そう決し、わたしはレディ・カモミールの手記をぎゅっと握りしめたのだった。

 


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