3.絵画、画家はバーにいる①
死体発見の翌日、10月14日。九条と南田は秋の陽光が降り注ぐ銀座の花椿通りを歩いていた。
被害者、二階堂隆矢の趣味は美術品の収集。特に絵画を好む彼の自宅には古今東西の著名無名問わず、多くの画家の絵画が集められていた。
そんな絵画コレクターの二階堂が頻繁に出入りしていた画廊が花椿通り沿いにある
応対に出た画廊スタッフの山野秋吉は口では二階堂に対してお悔やみ申し上げますと言いつつも、二階堂の訃報にさして驚いていなかった。二階堂が経営するコンサルタント会社の社員達にも同じことが言えた。
あの人はいつか殺されるだろう、周囲にそう思われるだけの理由が二階堂には多くあったのだ。二階堂の死を悼む者よりも、
『二階堂さんは9年前に女性画家へのストーカー行為で警察から厳重注意を受けています。その件について山野さんが詳細をご存知だと、二階堂さんの会社の方が仰っていました』
『ああ……、あれからもう9年になるんですね。二階堂さんはうちで何度も絵を購入いただいているお得意様ですが、あの癖には私共も参っていますよ。刑事さん達はギャラリーストーカーをご存知ですか?』
山野に問われた九条と南田は同時に首を横に振る。二人の反応を見た山野は苦笑いを溢した。
『芸術の世界は閉鎖的ですから、警察の方でも関わりがなければ知らないものですよね。ギャラリーストーカーとは画家に迷惑行為をする人のことです。二階堂さんのような金と権力のある美術品コレクターが、作品の購入と引き換えに画家にプライベートな関係を要求したり頼んでもいないのに好き勝手に作品を批評したり……、画廊と画家にとっては非常に迷惑な存在ですよ』
9年前のストーカー事件では、二階堂は20代の女性画家が勤務する絵画教室付近で彼女を待ち伏せ、男女関係を迫った。さらには彼女のアトリエに押しかけて無理やり身体を触るなどのわいせつ行為を働いた。
ストーカー行為に強制わいせつ、本来なら起訴が当然の事案だが、二階堂が女性画家に近づかないことを条件に示談が成立。
被害者の女性画家は示談金を受け取った後、絵画の世界から姿を消した。二階堂の存在が怖くて絵を描けなくなったそうだ。
『9年前の事件があっても二階堂さんは懲りずに、若い女性画家を狙っていました。あの人は自分の行動の何が悪いか、少しもわかっていなかった。何かあっても金で解決できると思っている人種ですよ。うちも昔からのお得意様じゃなければ、とっくに出禁にしています』
山野は愚痴混じりに、過去に彼が見聞きしたギャラリーストーカーの様々な例を語った。
ギャラリーストーカーはあらゆる芸術分野に出没する。画家だけでなく彫刻家や写真家、他の分野の芸術家も含めれば被害は数えきれない。
加害者は男性ばかりではない。アイドルのおっかけ気分で男性作家を追い回す女性ギャラリーストーカーや、女性が女性作家を、男性が男性作家にギャラリーストーカーを行う場合もある。
彼ら、彼女らは個展が開催される期間に画廊に現れ、画廊に在廊するお気に入りの画家に必要以上に話しかけたり、上から目線の説教や作品への批評を語り、時には手を握る、頭を撫でるなどのわいせつ行為、画廊の前での待ち伏せ、食事の誘いや肉体関係を強要するケースも多い。
『ギャラリーストーカーの大半が、決して安くはない絵画を趣味で買い取れるだけの金銭の余裕がある人です。それなりの身分のいい歳をした人間が、分をわきまえずに芸術家とのあわよくばを狙って付け回す。画家を守るために、うちでは去年から画家の在廊日は非公開にしました。本当に、彼らの存在にはうんざりしますよ』
画廊スタッフとして画家を守る責任のある山野もこれまで相当な気苦労があったらしい。
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