9. D領

「か、改造人間なんて、ホントにいるんすか? 小説の中だけの話じゃなく?」


 ミッチーは言ったが、利史郎は何度かそれらしき存在に遭遇している。


「社会的な影響を鑑みて公表されていませんが、警視庁も把握しています。狂った科学者が作ったとも、国家的な人体実験の結果だとも言われていますが、実態は不明です。しかし、実在する。事実横浜で死んでいた田中久江は人として生まれ、それから百年以上生きていた可能性が高い。それに〈黒い血〉――」利史郎はミッチーを見つめ、言った。「お願いがあります。貴方にこんな頼み事をするのは無礼にも程があるのですが――」


「何で無礼なの?」


 首をかしげるハナに、ミッチーは声を張り上げて応じる。


「嫌だなぁ利史郎先生、こんなただのパンクにそんな腰を低くしないでくださいよ! それで、何です?」


「先ほどお話ししたように、僕には時間がない。ですから代わりに、黒薔薇会についての調査――そうですね、主に岩山さんの行動を追ってもらいたいんです。一切、手は出さないでください。ただ、記録を探り、観察を」


「そんなんでいいんすか? 何なら夜に二十世紀堂に忍び込んで――」


「駄目です。警戒される。もし彼が関わっているのなら、泳がせておけばボロを出す可能性が高い。見知らぬ人物が尋ねてくるような事はないか、どこかに手紙や電報を出さないか。いいですか?」


「了解! そうだ、ついでに誰だかわからない伊集院? ってのも捜してみますよ。へへ、これで俺も少年探偵団の一員っすね!」


「少年探偵団なんて、僕は抱えてませんが――」


「そんくらいなら私がやるのに」


 不満そうに言ったハナの手を、利史郎は握る。


「ミッチーさんにはパンクの組織がある。人混みに紛れて追跡するには最適なんです。それに姉さんには他のことを。女久重の記録を探ってください。稀代の大発明をしての失踪、あるいは死亡――気に入りません。山羽の一郎氏とパターンが同じだ」


「そういや、そうだね」


「芝浦社内には公表されていない情報があるかもしれません。お願いします」


 頷いたハナ。利史郎は立ち上がり二人を見下ろし、言った。


「僕は箱館か札幌の帝国ホテルに。何かわかったら、知らせてください」


 懸念は未だに残っているが、多少胸のつかえは下りた。すぐに事務所に戻って支度を済まし、羽田に向かう。


 蝦夷共和国行きの飛行船は、首都の箱館とD領に近い札幌の二カ所に直行便がある。山羽美千代が乗ったとすれば首都の箱館行きだろうと想像していたが、夜になって現れた知里が握っていたのは札幌行きの搭乗券だった。


「今週利用されていた無記名旅券は、札幌行きだけだった。行ったことは?」


「残念ながら」


 言いながら搭乗券を受け取った利史郎に、知里は闇の中にぽっかりと浮かんでいる銀色の飛行船を眺めながら言った。


「私は久しぶり。クソ寒いとこよ。ま、蝦夷は全部そうだけど」


 羽田から札幌まで、飛行船でも十二時間かかる。夜行が殆どだ。冬ということもあってか百人の定員は半数ほどしか埋まっておらず、二人とも二等寝台を一人で使うことが出来た。早速利史郎はベッドに横たわり、ハナから借りた芝浦製作所の社史に目を通す。


 利史郎が気になっていたのは、二十世紀堂の岩山が、何の脈絡もなくオリハルコンの由来について話し始めたことだ。彼は――いや、山羽美千代は、オリハルコンは人類の軛だと言っていたという。一体どういう意味かハナにも尋ねてみたが、ピンと来るところは何もないらしい。


「ま、オリハルコンがなきゃ帝国は成り立たない、って意味なら、軛かな」


 彼女は言っていたが、そうであれば軛ではなく礎とか、そういう言葉になるはずだ。芝浦製作所の社史にも載っている。二百年前の維新の頃、東京から蝦夷までは蒸気船で二日かかっていた。それが百年前にはオリハルコン型蒸気船で一日に、そして五十年前に実用化されたフロリダ級飛行船によって十二時間で行けるようになった。とても軛という表現には当たらない。


 一体どういう意味か考え続ける間に、利史郎は眠ってしまっていた。相当に疲れが溜まっていたらしい。気づくと窓からは朝日が差し込んでいて、身支度を調えている間に知里が現れた。彼女は食堂にラジオを持ち込んでダイヤルを弄り、窓際に置いて耳を澄ます。


『2077年1月29日金曜日、朝のニュースです。CSA、アメリカ連合国が実効支配しているカリブ海ドミニカとの通信が、日本時間の昨夜から不通となっています。自然災害や電信線の不具合とは考えられず、また所属不明の飛行戦艦が目撃されたとの情報もあり、政府は確認を急いでいます。五帝国会議CSA大使バートレット氏はオンタリオでの戦闘と関連付け、本件も大英帝国の攻撃であることを示唆しています。一方の大英帝国モリアティ大使は詳細のコメントを拒否し、改めてドミニカにおける大英帝国の主権を述べるに留まりました。オンタリオの現状については依然不明のままで、大規模な爆発があったということのみが判明――』


「辛気くさいニュースばっか」言って、知里はボリュームを絞った。「イギリスとCSAで戦争になるんじゃない?」


「五帝国間の戦争は二百年も行われていない。調停されるはずです」


「川路全権大使、大活躍って訳だ」


 言葉が見つからず黙って珈琲を口にしていると、知里は珍しく利史郎を見据えて尋ねた。


「前から疑問だったんだけどさ。何で全世界の事を決める五帝国会議なんてものが、石狩にあんの? 帝国の内地でもないのにさ。大迷惑なんだけど」


「内地じゃないからですよ。特に当時は蝦夷共和国の独立が宣言されたばかりで、大日本帝国と敵対関係にあった。だからDloopが現れた際に、全世界に対して中立的でいられたんです。他にDloopが現れたのは、ロシア、イギリス、CSA、オスマンの内地か属国内でしたから。結局蝦夷は百年後に大日本帝国の傘下に入りましたけど。その名残です」


「じゃあ、どうしてDloopは石狩なんかに降りてきたの」


「さぁ――それは彼らに聞かないと――」


 そこで不意に、記憶が繋がった。慌てて手帳を探る利史郎に、知里は怪訝そうに言う。


「なに。どうしたの」


「山羽美千代は、各地に出張に出かけていた。覚えてますか」


「えぇ。テヘラン。シンガポール。ヒューストン。それに札幌」


「僕は馬鹿だ。どうしてあのとき、気づかなかったのか。それは行き先の飛行場で、本来の目的地は恐らく、テヘランから向かったのはロシア帝国領バクー、オスマン帝国領キルクーク。そして大英帝国領パランカラヤ、アメリカ連合国テキサス、蝦夷共和国石狩。全部D領がある場所です」


 知里は眉間に皺を寄せ、利史郎を凝視した。


「つまりこの件には、Dloopも関係してるっていうの?」


「わかりません。ですが偶然とは思えない。今回も札幌に向かったというのも――あるいはD領に何らかの関わりがあるのかもしれない」


「――やれやれ、やってらんないわね。ロシアと分離主義者だけでもお腹いっぱいなのに、それに異星人まで絡んくる? 無理すぎ。確かめるったって、どうするの」


 わからない。だが足がかりはある。


 札幌の飛行場に降り立つ。一面雪に覆われてはいたが快晴で、息を吸い込んだ途端に鼻の中が凍りついた。外套を持ってきてはいたが明らかな能力不足だ。飛行場の売店でセーターと手袋を買い込んでいると、スーツ姿のイギリス貴族風な老人が数人の護衛に囲まれて出て行くのが目に入った。きっとどこかの帝国の重要人物だろう。乗客の半数は世界各地から羽田経由で乗り継いできた外国人たちで、彼らは次々と迎えの蒸気車や馬車に乗り込んでいく。


 外では人足が黙々と除雪作業を行っていた。札幌の町の中心部に向かう道路、石狩に向かう道路があったが、入念に除雪されているのは後者だった。二人は北国独特の形状をした蒸気バスに乗り、北へと向かう。


 そして間もなく、見えてきた。


 半透明、直径三キロの巨大な円盤が、地上二百メートルの位置に浮いている。


 利史郎も見るのは初めてだった。それは〈フライング・ホイール〉と呼ばれる通り、空飛ぶ車輪のようだった。北の鋭い陽光を浴びてキラキラと輝き、ゆっくりと、だが確実に回転している。Dloopはそれに乗ってきたとも、当地で作ったのだとも言われている。本当のところは誰もわからない。ただ気づくとそこにあって、戊辰戦争、南北戦争、あるいは産業革命の動乱に混沌としていた世界情勢を、一瞬のうちに凍り付かせた。


 ホイールの下は、一つの工場と化しているようだった。無数の煙突から黒煙が噴き上がり、巨大なタンクとタンクがパイプで繋がり、ケーブルが蜘蛛の巣のように走っている。建物と建物は線路で縦横無尽に繋がり、コンテナが休む間もなく右往左往していた。


 それを見た人類は、瞬時に悟った。『誰にせよ、我々の敵う相手ではない』と。


 D領の周囲には、高い壁がそびえ立っていた。その周りに人類は見るも悲しい貧相な街を作り、彼らが要求する様々な物品――金属や食料、その他資材――を提供し、見返りに僅かばかりのオリハルコンを受け取っている。そして世界にただ一カ所、石狩の地だけには五帝国会議が置かれ、Dloopの大使が人類との折衝のため常駐している。しかし彼が会議に姿を現した事は、数えるほどしかないという噂だ。


『Dloopが我々人類に冷淡なのも頷けます』


 山羽正清が言っていた。まさに彼らは敵ではなかった。しかし味方でも、仲間でもない。彼らが地球にやってきた理由も定かではないが、状況からしてやむを得ずだったのだろう。


 居座らせてもらうが、それ相応の見返りは与える。後は構うな。


 それがDloopの態度であり、二百年経った今でも変わっていない。


 ホイールの下には雪は微塵も見えないが、石狩の街は殆どが雪に埋まっていた。人口は確か、一万人弱だったはずだ。蒸気バスから降りた人々の半数は五帝国会議が置かれるホイール側へ向かい、残りはDloopへの資材を扱う関係者なのだろう、襟を立てて辺りの建物へと向かう。二、三階建てのビルが軒を連ねる中心部は綺麗に除雪されていたが、歩道は凍り付き、気をつけなければすぐに転んでしまいそうだ。それでも人通りは多く、屋台では圧力管から出る蒸気を使った蒸し物を扱っていて、それこそ雪だるまのように服を着込んだ子供が蒸かし芋や点心を口にしていた。


 そこでふと、不思議な物に気づく。除雪されて断面を晒している雪の壁に、それこそ地層のような黒い筋が等間隔に入っているのだ。


「さすが少年探偵、どうでもいいけど奇妙な点は見逃さないか」知里は白い息を吐きながら言って、空を見上げる。「あぁ、丁度いい」


 なんだろう、と見上げると、空から黒い物が降り始めていた。雪ではないが、雪と良く似ていた。風に舞い、渦を巻き、静かに降り注ぐ黒い綿のような代物。


「灰?」そして定期的に天気予報で報じられる内容を思い出す。「これがD領から放出される廃棄物ですか」


「そ。蝦夷にとっては忌まわしい物」


「というと?」


 知里はしばし降り注ぐ灰を見上げ、言った。


「ほんとかは知らない。でも言い伝えがあってね。ずっと昔、〈黒い灰〉が降った。それも何かに触れると消えちゃう、不思議な灰。そしたらトゥシクルは――巫女さんみたいな人だけど――これから酷い化け物が現れるから、みんな北に逃げろって。もちろん誰も信じなかった。逃げるったって当てもなかったし。そしたら倭人がやってきて、蝦夷を無茶苦茶にし始めた。それで〈黒い灰〉っていうと、蝦夷にとっては災厄みたいに思われるようになった」


 初耳だった。利史郎が手を差し出すと、灰は綿のような形を保ったまま手袋に乗る。


「それはD領が出来た頃の話でしょうか。消えるというのは伝承が謎めいた形に変形したもので――」


「さぁね。かもしれないし、田村麻呂の頃の話かもしれないし。ま、おかげで今でも、灰の降る石狩は古い蝦夷には嫌われてる。大抵は気にしてないけど」知里は左右を見渡した。「さて、ホテルは当たってもらってる。情報があるかも。警察署に行くよ」


「それですが。先に五帝国会議に行く、というのはどうです」


 言った利史郎に、眉をひそめる。


「まさか、お父さんに頼むつもり? Dloopに会わせろって?」


「えぇ。行くかもしれないと羽田で電報は打っておきましたし――」


 すぐ、知里は哄笑した。


「正気とは思えない。大使だって滅多に会えないってのに、少年探偵なら会ってくれるとでも?」


「軽々しく可能性を捨てないのが、僕のやり方なので」


 きっとそれが、利史郎と知里の一番の違いだ。利史郎は周囲を埋めなければ気が済まず、知里は最も高い可能性に直進する。だからまず、知里は別行動したがるだろうと思っていた。しかし彼女は腕で胸を抱くと、呆れたようにため息を吐いてから踵を返した。


「ま、いいわ。一度あんたのお父さんも見てみたかったし」


 そして、フライング・ホイールに向かって歩み始めた。


 不可解な事だらけの事件だが、彼女もまた不可解だ。ある程度理解したと思っていたが、これほどまでに利史郎の予想を外れる選択をする人物とは出会ったことがない。


 つまりそれは、知里には利史郎が知らない大きな何かがあるとしか思えなかったが。それは一体、何なのか。


「参ったな」


 利史郎は呟き、滑る足下に注意しながら彼女の後を追った。

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