《新人退魔師茉依ちゃん♡》⑤
育子と茉依の毎日は、怒涛のように消化されていく。
化粧の経験が全く無い茉依に、化粧品を買い与えた上でメイクの基礎を伝授。
安物ではなく、オーダーメイドのスーツや革靴を注文。
女は見えない部分に牙を持て……と、やたら派手な下着まで買った。
他にも隠れた名店探しで何軒もラーメン屋を駆け巡ったり。
仕事のストレス解消としてバッティングセンターでマメが出来るほどバットを振ったり。
或いは何も考えない時間として、湾岸沿いに車を停め半日二人で海を眺めたり。
どれもこれも、高校生の時までは絶対に考えられないような経験だった。
そして奇妙なことに、その経験を全部、茉依は楽しいと思った。
勿論、今は仕事を一切していないという前提条件がある。
ただ遊び回るだけの、一週間。
(社会人も……案外、
それでも茉依の心境には、確実に変化があった。
(特に、この人と一緒なら……)
「今日は何すっかな~。もう充電期間終わりだしなぁ~」
自分の知らない、様々な世界を知っている上司、育子。
彼女の下で働くのなら、もうちょっと頑張れるかもしれない。
「いっそナンパでもするか? 今下」
「いやです……」
まあ、ちょっと合わない部分もあるにはあるのだが。
しかし茉依は、彼女に対し尊意を抱かずにはいられなかった。
育子とは歳も離れている分、頼りになる姉のような心持ちになったのだ。
「ああ……そういえば、私の押し付けばかりで、君のことをあまり知っていないな」
「え?」
「今下、趣味とかあるか? こんな話、今更ではあるが」
育子は育子で、茉依という部下のことを気に入りつつあった。
おおよそ己とは真逆な、純朴で素直な性分は、可愛気と言っていいだろう。
なので今日は茉依のことをもうちょっと知ろうとして、そんな質問をした。
「えっと…………。ゲームとか、ですけど……」
「とか? 他には?」
「マンガとか……アニメとか……です」
「ああー、なるほど。オタクとかいうのか、君は」
「そ、そうはっきり言われると……いえ、そうですが」
内向的な性格だと、趣味嗜好も必然的に一人で楽しめるものに偏っていく。
オタクの全員がそうであるわけではないが、育子は「なるほど」と思った。
茉依の最も幸福な時間は、家でゴロゴロしながら趣味に没頭することである。
「気にするな。その手の趣味を否定するほど私は狭量ではない……と、思いたい」
「あはは……。そう言って頂けるとありがたいです……」
「で、どんなゲームが面白いんだ? 私も試しにやってみたい」
「何系がお好きですか? 据え置きですか? 携帯機ですか? 普段の可処分時間は?」
「急にグイグイ来るじゃん……」
己の領域内にある話題になった途端、茉依の目の色が変わった。
育子はテレビゲームにとんと疎く、ほぼ触ったことがない。
未だにゲームのことをファミコンと呼ぶ、
「あ、ごめんなさい……突然こんなテンションだとアレですよね」
「構わない。何事にも熱量があるというのは大事だ。好みか――そうだな」
車を発進させながら、育子は目的地をゲームショップに定める。
その中で茉依とテレビゲームについてヒアリングを重ねた――
「歩いて行うゲームとかあるのだな、今は……」
「スマホゲームの一種で、位置情報サービスを利用して遊ぶんですよ」
「トンデモ万歩計といった趣か……」
今日も(会社の金で)育子は茉依にオススメされたゲーム機本体とゲームを買った。
茉依が買ったことにすれば多分大丈夫だろう、とでっち上げの理由で己を納得させておく。
その上でスマホゲームにも興味があったので、適当なものをDLしてみた。
「そこの喫茶店のテラスで色々と教えてくれないか」
「はい、全然いいですよ。大麻室長、案外ハマるかもですね」
「どうだろうな。ガチャ、とかいうものに金を使うのは抵抗しかないが」
通りにあった喫茶店に入り、テラス席でコーヒーとミルクティーを頼む。
まだ茉依にコーヒーは早いらしく、あまり好きでないことも知った。
(教えることだらけではあるが、こうやって教わることも悪くはないな)
「えっと、最初はリセマラしてURの装備品を狙った方がその後のプレイに――」
「マラ!?!?!? おい今マラって言ったか!?!?!?!?!?」
「……? リセマラのことですか?」
「いや、何でもない。忘れてくれ」
行き過ぎたオッサン的下ネタには反応すらしてくれない。
知らない、と言った方が正しいか。
二人はのんべんだらりと、スマホゲームトークにしばし明け暮れる。
「あ、大麻室長。この近くにイベントスポットがありますね」
「Gスポット!?!?!? おい今Gスポットって言ったか!?!?!?!?」
「……? イベントスポットに行くと強いモンスターが出て来ますので、協力して――」
「なるほど理解したが君も今の単語をググっとけ……!!」
二度も自分のボケをスルーされた育子はややご立腹であった。
近所の小さな公園が、そのスマホゲーム上においてイベントスポットとなっている。
せっかくなので行ってみたら……という茉依の提案に、育子は一応承諾した。
「ではナンパがてら行ってこよう。思えばこういうので男を釣れる可能性もあるしな」
「うーん……どうなんでしょう……。あんまり層が違うような……?」
「層って何だ層って。あー、すぐ終わるだろうし、君はのんびりしておくといい」
「分かりました」
育子が席を立ち、テラスから出て行く。その背を茉依は見送った。
(あのモンスはそこまで強うなか。室長のレベルでも十分あれば余裕やけんね)
その間、何も考えずにぼーっとしていよう。
茉依は椅子の背もたれに体重を預け、街の喧騒に耳を傾ける。
……穏やかな時間だ。
自分一人で仕事をするようになっても、こういう『サボり』は続けていきたい。
(こんくらいなら、バレても平気とよ)
育子の教育の成果は早くも現れつつあると言ってもいいだろう。
ふう、と茉依は大きく深呼吸した。
「………………」
「……!」
テラスの向こう側から、疲れた目をしたサラリーマンの男性が歩いて来る。
それを視界に捉えた瞬間、茉依は直感的に理解した。
(異形のにおいがする――……!?)
およそ一般人には感じ取れないであろう、その臭気。
いや、正確には嗅覚だけではなく、五感全部で感じ取る違和なのだろう。
退魔師は(程度の差はあれど)、異形と深く関わった人間を見極めることが出来る。
あの男は、何かしらの異形に強く関連していることが茉依には分かった。
(他に誰か……この区域担当の人が……)
ここは自分と育子の担当するエリアではない。
そしてその担当エリアすら、今は他の退魔師がカバーしている。
自分が仕事をしないということは、誰かがその分働くということでもある。
もしかすると、あの男性は既に他の退魔師が目を付けている者かもしれない。
放置したところで、誰も茉依を咎めはしないだろう。
負ってもいない仕事の責任など、取らされる方がどうかしている。
(……でも……)
懐を確認する。小さなナイフ型の退魔器だけが手元にあった。護身用のものだ。
普段茉依の使っているものは、育子から「いらん」と言われ、会社に置いてきた。
もしくは育子の車に、何かしらの退魔器を積んでいる可能性はあるが――
(一応、尾行だけ……。誰か他の退魔師が来たら、交代すれば……)
自分でも理由はよく分からなかったが、茉依は席を立って伝票を掴んだ。
急いで会計を済ませ、男性の背中を一定の距離を保って追い掛ける。
果たして彼がどこに向かっているのか、茉依には全く見当がつかなかった。
* * *
人通りのない路地を何度も通り、朽ちた雑居ビルの前まで男は辿り着いた。
四方を他の建物に囲まれ、表通りとはかなり距離もある。
どこかテナントが入っているわけでもない、本当に打ち捨てられたような建物だ。
得てしてそういう場所には、人ならざる者が根城にする。
導かれる、或いは誘引されるように、男はビルに入り、階段を登ってゆく。
(……。営巣型の異形……)
特定の場所にテリトリーを作って、そこに獲物を誘い込むタイプの異形。
どこかに移動することは稀で、そして営巣場所=相手のホームグラウンドとなる。
ここに乗り込み真正面から打ち倒すには、相応の実力が求められる。
少なくとも茉依は、このタイプの異形と正面からやり合ったことはなかった。
(……情報収集だけして、すぐに会社へ連絡……)
どんな異形が巣食っているのかだけ確認したら、即時撤退する。
その後はこの場所を会社側に伝え、担当の退魔師を迅速に派遣してもらえばいい。
そもそもこの装備で討伐可能とは思えない。
無理をすれば死に繋がるような仕事だ。
故に、自分にやれる範囲のことをすれば、それでいい。
一度深呼吸をしてから、茉依は音を殺しビルの階段を登っていった。
「――……、…………」
ビルの三階にあたる部分だけが、入り口を分厚い扉で区切られていた。
その扉も朽ちているが、しかしどうやら防音処理がされているらしい。
内部の音は外からでは拾えない。茉依は片耳を扉にあてがったが、駄目だった。
少しだけ扉を開き、中を覗き見るしかないだろう。
(気付かれませんように……)
力を込めて扉に隙間を作る。
そこに視線を集中すると……赤かった。
(あ、赤い部屋? いや、違う、これ――)
動脈血のように赤く塗り込まれた部屋が広がっている、わけではない。
その赤の中に、黒い亀裂が見えた。亀裂は揺らめく。瞳孔という亀裂が。
――誰かがこちらを覗いている。
茉依と、同じように。
「いっけないんだぁ~。コソコソ覗くのはマナー違反よぉ~?」
「……っ!」
扉が突如として開き、体重を多少掛けていた茉依は前につんのめった。
だが怯んでいる余裕はない。ぶわりと背中で嫌な汗が弾ける。
茉依はポケットからナイフを引き抜き、体勢を立て直すと同時に突き出す。
「だ~め❤ ここ、争う場所じゃないのよぉ~」
ほぼ裸同然のような格好をした異形だった。
赤い髪、赤い瞳、黒の角、黒の翼。豊満な肢体に、目を引くような美しい容姿。
こちらの攻撃をひらりと躱した異形は、妖艶な笑みを浮かべていた。
「……
性を司り、主に男を弄ぶ異形。
種族名を口にした茉依は、だがこれと交戦経験がない。
この部屋は
その証拠に、全裸か半裸に剥かれた男達が、床へ無造作に転がされていた。
男達は動かない。呼吸をしているかどうかも怪しい。
飲み終わったペットボトルを、捨てずに部屋で放置する。
「あなたが噂の退魔師ってやつ~? ごっめ~ん、殺してはないから許してぇ~❤」
殺してはないが――とても無事とは言い難い。
先程茉依が尾行した男だけが、ぼんやりと床に座って沙汰を待っていた。
まな板の上の鯉とでも言うのか。判断能力を失っている。
「こんな……ひどい」
「だってぇ、美味しそうな人間が居たら、食べたくなっちゃうんだもん❤」
問答は最早無用だろう。明確に人間へ危害を加えた異形に対し、容赦は必要ない。
茉依は固くナイフの柄を握り締める。
不安の残る装備だが、急所を突けば何とかなるだろう。
大きく一歩を踏み出そうとした茉依だったが――身体が、固まっていた。
「え……!?」
「退魔師のことなんてよく分かんないけどぉ、あなたってきっと新人さんね?」
ゆっくりと距離を詰めてくる
そのまま
鋭いその爪は、容易く人間の皮膚を裂いた。
さながらメスでも入れられたかのように、頬から一筋血が流れていく。
「このビル自体が私のテリトリーだからぁ、最初から気付いてたのよぉ~?」
「…………」
「それすら分からずに侵入する時点で、おマヌケさんってこと❤」
どういう原理でこちらの身動きを封じているのか、茉依には予想がつかない。
あくまで異形比だが、直接的な戦闘力は高くなく、こちらを翻弄するように戦う。
なので退魔師界隈では、やり合いたくない相手としてよく名前が出て来る種だ。
(なにか――打開策を……)
「あっちの人間を先に頂いちゃうからぁ、あなたはちょっと眠っててねぇ~?」
それが、最後だった。
――もう、茉依はそこから先のことを何一つとして覚えていない。
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