第30話「宰相の苦悩」

 レンヌは夢を見ていた。所謂、白昼夢というやつだ。

 レンヌの両腕をアニエスとイネスが抱き抱えている。左腕はアニエスの豊満な胸の谷間にすっぽりと収まり、右腕からはイネスの柔らかな感触が伝わる。

「レンヌ様」とアニエスは甘い声で囁き、イネスは少しキツめの口調でいった。

「レンヌ殿、私の方も見てください!」


 唐突に、声が耳に響く。

「館長! 討伐、完了しました」

 その声でレンヌは、現実逃避から意識を戻した。目の前の景色は、さっきまでと何も変わっていない。

『どうせなら、全てが夢であって欲しかった』

 と、消失した山の跡を見たレンヌは、ふたたび現実逃避しそうになった自分を慌てて引き戻した。


「終わった事は仕方ない」

 慰めるゴランに肩を抱かれてレンヌは揚陸艦に向かった。

「スタンピードを止めたのはレンヌさんの功績ですよ」

 そう言うルーベンスと共に歩く。

「元気をだしてください、レンヌ様」

 とアニエスが左後ろから言い、右後ろからイネスが言う。

「レンヌ殿。とりあえず、関係者にスタンピードの終息を伝えた方が良いのでは?」

「そうだな」

レンヌは力無く答え、揚陸艦に乗り込んだ。


 レンヌはエルフの里でアニエスとイネスを降ろし、領主屋敷でルーベンスを降ろした。その後、冒険者ギルドの裏にある訓練所に着艦した。

ゴランはグレイとレンヌを引き連れて自分の執務室に入った。

「レンヌ、冒険者カードを出せ」


 ゴランはレンヌからカードを受け取り、そのままサブマスのグレイに渡した。

「1だ」と言うゴランに一礼してからグレイは部屋を出た。一階に下りたグレイは手早く書類を書き上げて受付嬢のエマを呼んだ。

「1だ」と言って、書類と一緒にレンヌの冒険者カードをエマに渡した。

「トリニスタン支部、初の1級冒険者の誕生ですね」

 エマは笑顔でそう言うと、魔道具の部屋に足早に去った。手慣れた手付きで刻印を打ってグレイに届ける。


 執務室に戻ってきたグレイは台車を押していた。ドアの外には数人の男性が見える。グレイはソファーに座るゴランに冒険者カードを手渡す。

「ほら、レンヌ。お前は今日から1級冒険者だ」

 ゴランがレンヌに手渡したカードは金色に輝いていた。中央には大きく『1』とあった。


「それから、これはスタンピードを終わらせた報奨金になる。一人でスタンピードを終息させた者など聞いた事も無い。正に前代未聞のことだ。だから、冒険者ギルドの金庫にある金を洗いざらい持ってこさせた。足りない分は代官に貰え」

 台車の上には大きな皮の袋が置いてある。その数は十だ。


「多すぎて確認できないだろうから拠点に帰ってから数えろ。それから、明日でいいから受け取りにサインをして持って来い。台車は貸してやる」

 受取書を貰ってから、台車を押して執務室を出た。しかし、執務室は二階にある。窓からではドローンのマニピュレータも使えない。

結局、ギルドの男性職員に手伝ってもらい裏の訓練所まで運んだ。部屋の外にいた男性たちは一階から皮の袋を二階まで運んできた職員だった。

 皮袋一つの重さが小型ドローンの積載量を超えているので、揚陸艦の中まで運んでもらった。

「皆さんで何か食べてください」

 と言って、チップ代わりに三枚の金貨を渡した。喜ぶ職員たちに別れを告げて、レンヌは拠点に帰った。




 翌日の領主屋敷では執務室でルーベンスが頭を悩ましていた。

「領都の二十万人の民を救った報奨なんて、どう決めればいいんでしょう?」

 領都役所の主だった幹部たちは会議室のテーブルで沈黙を保っていた。


暫くして、 財務長官が重い口を開いた。

「冒険者ギルドで報奨金を支払ったと聞いていますが、こちらでも払う必要があるのですか?」

ルーベンスが答える。

「冒険者ギルドの報酬は、冒険者の仕事に対する対価です。二十万人の領民の命を救った対価は、当然この街を治める領主が支払うべきものです」

 財務長官がまた発言する。

「理屈としては、そうだと私も思いますが、二十万人の命の対価なんて算出できませんよ」


 領地内の土地を管理する領土管理長官が聞いてくる。

「代官、支払いは金でなくてもいいのでは?」

「それは、どういう意味でしょうか?」

長官が何を言いたいのか薄々は分かっているルーベンスだが、周囲の者たちに理解させる為に敢えて聞いたのだ。


「これは、冒険者ギルドにいる私の弟にに聞いたのですが、その冒険者はトリニ川の側にある森の土地を勝手に使用しているようなのです」

「えっ! 本当ですか?」

 ルーベンスはレンヌが不正を働くような人物には見えなかったので少しだけ驚いた。


「はい。私は役目上、確認する必要が有ったので現場まで見に行きました。間違いなく不正使用していました」

 警務長官が言う。

「それならば、逮捕して今回の功績を無しにすれば……」

 警務長官の話をルーベンスが途中で切る。

「それは、駄目です! 罪と功績が釣り合いません。そんな事をしたら冒険者ギルドが黙っていませんよ。彼は1級冒険者になったと、昨日ギルドから連絡をもらいましたから」

「1級冒険者ですか。それだと下手な事はできませんな」


 財務長官が言う。

「それなら、いま不正使用している土地も含めて領地を与えてはいかがですか? それで不足分は金で支払えばいいかと思います」

 ルーベンスは、ひとつ頷いてから言った。

「そうですね。今回の事で王国から叙爵の話しも出ると思われるので、領地の件を国と話し合った方がいいでしょうね」

 幹部が皆、賛同したので国と話し合うことになった。

ルーベンスはその件を文書にして、連絡鳥を使って王都に送った。


 スタンピードが終息して三日後のロワール王国では、王城に集まった重臣たちが騒いでいた。

 トリニスタン領の代官ルーベンスが放った連絡鳥が二つの街を経由して王城に到着したのだ。ルーベンスはゴランからスタンピードの情報を貰ってすぐに連絡鳥を飛ばしていた。

最初に報告を受け取った宰相のブロッケンが声を荒らげる。

「トリニスタン領でスタンピードだと? しかも魔物が五千体もいるというのか」


通信文を持ってきた中年の役人が緊張したままで言う。

「確認の為に、詳細を送るようにと指示を送りました。六日後には返書が来ると思われます」


「わかった、なるべく詳しい情報を上げてくれ」

と言った後、ブロッケンは若い役人に指示をした。

「大元帥を呼べ」

若い役人は返事をしてから部屋を出た。


ブロッケンは机に座り、手紙を二通書いた。封蝋を施し、従者に渡す。一通は王太子宛てで、もう一通はトリニスタン辺境伯爵に宛てたものだ。

ブロッケンは、そのあと国王に至急の謁見を申し入れた。トリニスタン領で起きたスタンピードの報告の為である。


『下手をすればトリニスタン地方は壊滅するかもしれん』とブロッケンは思った。

領都『トリニスタン』を含めたトリニスタン地方の民の数は三十万人を越える。ロワール王国民の二割近い数だった。

領都以外の三つの街と六つの村、その他にも中小の集落が三十ほど存在していた。


失われる民の命と荒らされる耕作地を考えれば損失は計り知れない。ブロッケンは顔を青ざめさせた。

『事はトリニスタン辺境伯爵の問題だけでは無く、王国にも重大な損失を与えるものだ』

そう考えたブロッケンは、ロワール国王に緊急会議の開催を進言する気持ちを固めた。

出席者の顔ぶれを頭の中で数え、人数を算出したブロッケンは大会議室を押さえた。


通信網は構築されているが、速い通信方法は作られて無かった。最速の連絡鳥でもタイムラグは三日あった。

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