第6話
怒らせてしまったかもしれない。実家のパーティーで疲弊しているときに下手な冗談はまずかった。とりあえず機嫌を直してもらえるような料理を作っておこう。
遅い時間だからあまり重たくないものがいいだろう。冷蔵庫から野菜や豆腐を取り出して下ごしらえをはじめる。
切った材料をフライパンに投入して下味をつけて軽く炒めた。鍋にお湯を沸かして春雨を投入する。調味料で味をつけ、炒めた野菜を入れて少し煮込む。最後に溶き卵を流しいれれば野菜たっぷりの春雨スープの完成だ。
ナイトガウンに身を包んだお嬢様がキッチンに顔を出した。
「できた?」
カウンターに座ってお嬢様が言う。私は春雨スープをスープボウルに入れてお嬢様の前に置いた。
お嬢様は何も言わずスプーンでスープをすくってひとくち飲む。そして箸に持ち替えて春雨を口に入れた。
「おいしい……けど足りないわ」
お嬢様は不満そうにつぶやく。
「でも時間が遅いのでこれくらいの方が……」
「私、紗雪と違って育ちざかりなのよ?」
こうしたことを悪意ない雰囲気で言ってのけるお嬢様なら、実家のパーティーを私が心配する必要なんてないのかもしれない。
するとお嬢様が「これでいいわ」といってカウンターの端に置いてあったカゴに手を伸ばした。それは午前中に焼いたパンだった。
「あ、いえ、それは今朝……」
焼き立てのパンを所望するお嬢様に食べさせられるようなものではないのだが、私が止める前にお嬢様はパクリとパンをかじってしまった。
「まずい。下手くそ」
という言葉を久しぶりに浴びるかと肩をすくめて待っていたのだが、お嬢様は何も言わなかった。恐る恐るお嬢様の様子を伺うとパンを見つめて固まっている。
「お嬢様?」
「これ、おいしいじゃない」
焼いたことを忘れて半日以上放置していたパンがおいしいはずがない。私はそう思ったけれどお嬢様の舌はかなり敏感だ。私もカゴに手を伸ばしてパンをかじってみた。
「本当だ……おいしい」
それは祖父の味にとても近い気がした。
「あ、時間が経ったからか……」
私はパンを見つめてつぶやく。
「どういうこと?」
「少し時間が経ってからの方がおいしいのかもしれません。祖父は、店で買ったパンを翌日の朝食べてもおいしいように考えていたのかも……」
そうして思い返してみれば、私が食べていた祖父のパンはいつも売れ残りだった。焼き立てが一番おいしいと思い込んでいたけれど、そうではなかったのかもしれない。
お嬢様はパンに視線を落としてもうひと口パクリと食べた。
「やっぱりこの味……」
お嬢様は小さな声で言う。
「お嬢様?」
「おいしいパンが焼けるまで何年かかってるのよ。本当に愚図なんだから。まぁ、これで使用人を辞めたあとも路頭に迷わずに済みそうね」
お嬢様はそう言うと立ち上がって寝室に行ってしまった。冷たい口調だったのに、少しだけ寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
食べかけの春雨スープはまだ湯気を立てていた。
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