第7話 大切なもの

 カイルが帰った後も、リアムはカウンターに座ったまま無為な時間を過ごした。

 手元の酒瓶はとっくに空になっている。

 いつの間にかアントムも奥から戻って来ていたが、声を掛けてはこなかった。今はその気遣いがありがたかった。


 しばらくすると店の入口から扉が開く音が聞こえてきた。

 すっかり貸し切り気分でいたリアムは驚いて振り返る。だが、店に入って来た人物を見てさらに驚くことになった。

 現れたのはパーティメンバーのひとり、ダイアナだった。走ってきたのか、やや息が乱れている。

 ダイアナは息を整えながら店内を見回した。その視線は必然的にカウンターにいるリアムのそれとぶつかった。


「リアム?」


「……おう」


 予期せぬ再会にリアムはぶっきらぼうに挨拶を返すことしかできなかった。


「ダイアナちゃん、いらっしゃい」


 代わりにアントムが愛想よく声を掛けた。


「こんにちは、アントムさん」


 ダイアナは丁寧に挨拶を返すと、もう一度店内を見回した。


「あの、カイル、来ていませんか?」


「いつものお迎えかい? ダイアナちゃんもご苦労なこったね。けど、残念ながら奴はついさっき帰っちまったよ」


「そうですか……わかりました。ありがとうございます」


 そう言って踵を返しかけたダイアナだったが、思い返したように視線をもう一度リアムに向けた。


「リアム、あのね……」


「なんだ?」


「えっと……」


 続く言葉を待つ。だが、ダイアナはなぜか口を閉ざしたままだった。


「ダイアナちゃん、外はもう暗かっただろ? ちょうどこいつも帰るところだったから、ついでに送ってもらうといい」


 アントムはそう言って顎でリアムを指し示した。


「ちょ、ちょっと――」


 リアムは抗議しかけて、すぐに思い直した。

 この辺りは夜になるとお世辞にも治安が良いとは言えない。いくら冒険者とはいえ、あまり若い女性がひとりで出歩いていい場所ではなかった。


 仕方なくリアムはダイアナを促して一緒に店を出た。

 外はもうすっかり夜の帳が下りていた。

 冷たい風が吹きつけてきて思わず肩をすくめる。季節は初夏に向かっているはずだが、ここ数日は季節が逆戻りしているのではと勘違いするほど肌寒かった。


「宿舎に帰るってことでいいのか?」


 リアムは立ち止まり、半歩後ろをついてきているダイアナに声を掛ける。


「ええ。でも、別に無理して送ってくれなくていいのよ?」


「酔い覚ましの散歩ついでだ」


「……ありがとう、リアム」


 気にするな、と応じて再び歩き出す。


「ところで、カイルを探していたんじゃなかったのか?」


「そうなんだけど、あのお店にいないとなると、彼がどこに行ったのか私にはわからないから……」


 何かあったのか――そんな言葉が口をついて出そうになるのを、リアムはすんでのところで堪えた。

 店に入って来た時のダイアナの様子から何かがあったのだろうと察したが、もうパーティの一員ではない自分に首を突っ込む資格があるとは思えなかった。 

 リアムは代わりにまったく別の質問をした。


「カイルはよくあの店に通っているのか?」


「たまに。ひとりになりたいときに行くみたい」


「ダイアナも店主と顔見知りみたいだったじゃないか」


「私はよくカイルを迎えに行くからよ。一緒に行ったことはないわ」


 ダイアナは寂しそうな声で答えた。

 彼女がカイルに恋心を抱いていることは、その手の話に疎いリアムでも気づいていた。当然、カイルも気付いているだろう。

 だが、ふたりが特別な関係になったという話は聞いたことがなかった。

 それはダイアナに限った話ではない。

 カイルの私生活を知る者はパーティ内には誰もいない。リアムですら、ここ数年は私生活で行動を共にすることはほとんどなくなっていた。実際、アントムの店に顔を出していたことすら知らなかったくらいなのだ。

 カイルはパーティメンバー全員に対して常に一線を引いて接していた。幼馴染のリアムですら特別扱いせず他のメンバーと同等に扱った。特定の誰かと親しくすることで、パーティ内に軋轢が生じるリスクを避けているのだろう。

 リアムもその方が良いと思っていたので特に不満はなかった。その程度で揺らぐような絆ではないという自負もあった。

 だが、今となってはそれがふたりの間に見えない壁を作ってしまったのではと思えてならなかった。


「あのね、リアム」


 唐突にダイアナの口調があらたまったものになった。


「私、あなたにずっと謝らなければいけないって思っていたの」


「別にお前に謝られるようなことをされた覚えはない」


「ううん」


 ダイアナはゆっくりと首を横に振ってから、真っすぐにリアムの目を見つめた。


「最初にあなたに体調不良を相談されたとき、もっとちゃんとあなたと向き合うべきだった。そうすれば――」


「もう過ぎたことだ」


「それだけじゃないの。私はあなたが時々辛そうにしていることにも気付いてたのに、大丈夫だというあなたの言葉を鵜呑みにして何もしなかった。カイルには……ううん、パーティにはあなたが必要だから、あなたの強さに甘えて、あなたが苦しんでいるのを見て見ぬふりしていたの」


「……そうか」


「だから、こうなる前に何か私にできることがあったんじゃないかって、ずっと後悔してる。今さらこんなこと言ったって意味はないのかもしれないけど……」


 そう言うと、ダイアナは深く頭を下げた。


「ごめんなさい、リアム」


「よせ。前にも言ったが、これは俺自身の問題だ」


「でも、私がもっと手を差し伸べられていたら――」


「十分に差し伸べてくれていた。それを掴まなかったのは俺の意思だ。それに、盾役なんて元々長続きする仕事じゃない。遅かれ早かれ、こうなっていた。だから、お前が気にすることじゃない」


 リアムはあえて突き放すように言った。

 理由がどうあれ、己の職責を全うできずに逃げ出した。それが全てだった。

 ダイアナは納得していないのか、悔しそうに俯いている。

 彼女にそんな表情をさせてしまっていることが辛かった。

 だが、どうすることもできないのだ。

 心が戦うことを拒否していた。

 再び大型モンスターの前に立つことを想像しただけで眩暈がし、手足が震える。

 今でもたまにモンスターに殴られる夢を見てうなされる。

 もう二度と戦いたくない。

 その気持ちはパーティを辞めた後も消えるどころか、どんどん膨らんでいた。




 それからしばらくは無言だった。

 リアムは気まずさから下を向き、石畳の縁を目でなぞりながら歩いた。


「そういえば、こうしてふたりで歩くのってひょっとして初めてよね?」


 その声に顔を上げると、ダイアナがややぎこちない笑顔を浮かべてこちらを見ていた。重くなってしまった空気を変えようとしてくれているのだ。

 彼女らしい気遣いに心が少し軽くなった。


「そうだったか? 覚えてないな」


 リアムは素っ気なく答えた。無論、照れ隠しである。

 くすりと笑う声が耳に届く。

 言われてみれば、長い付き合いなのにダイアナとふたりで歩いたことはなかった。


 ダイアナはパーティの初期メンバーのひとりだった。

 パーティ結成後、初めて受けたモンスター討伐の依頼で大怪我を負ったリアムを泣きながら治療してくれたことが、まるで昨日のことのように思い出せる。

 あれから十年以上が経ち、互いに大人になり、パーティのメンバーは増え、周囲の環境も大きく変わった。だが、彼女の優しさだけは昔と何も変わっていなかった。


「その、パーティのみんなはどうしている?」


 やや躊躇してから、リアムは尋ねた。


「さっきまでカイルと会ってたんでしょ? その時に聞かなかったの?」


「いや、そこまで詳しくは聞いてないというか……」


「やっぱり気になる?」


 ダイアナは首を傾げながら顔を覗き込んでくる。


「……まぁな」


「変わらず元気にやってるわ――って言いたいところだけど、やっぱりみんな少し調子が出ないみたい」


「そうなのか?」


「あのねぇ、ずっと一緒に戦ってきた仲間が急にいなくなったんだから、そうなるのが当然でしょう?」


「そ、そうか……」


「いつもと変わらないのはイスタリスくらいなものよ」


 それにはリアムも納得した。

 常に泰然自若としており、絶対に他人に弱みを見せようとはしない。イスタリスはそういう男だった。


「ヨネサンとライザールはあなたに言われたこと、結構気にしてるみたい」


「あれについては、俺もついカッとなって言い過ぎてしまったと反省してる」


「あなたは悪くないわ。むしろ、彼らにはいい薬になったと思う。ただ――」


 ダイアナはそこで言葉を区切った。こちらを見つめる瞳が深い憂いを帯びる。


「深刻なのはアリーシャとシェルファよ。ふたりともかなり落ち込んでいるわ」


「落ち込む? なんでふたりが落ち込むんだ?」


 その言葉にダイアナは呆れたような顔になった。

 いや、実際に呆れているのだろう。盾役タンクが「痛いのはもう嫌だ」なんて理由で辞めれば、回復役ヒーラーが責任を感じないはずがなかった。


「……すまない」


「そう思っているのなら、ちゃんとあのふたりに会って、元気な姿を見せてあげて。特にシェルファは、あれ以来ずっとふさぎ込んでる。自分があなたを追い詰めたんじゃないかって……」


「そんなことはない」


「だったら、それをちゃんと伝えてあげて。あの子、普段の態度があんなだから誤解されがちだけど、とても繊細で傷つきやすい子なんだから」


 知ってる、とリアムは答えた。

 シェルファは天真爛漫だが、時おり寂しそうな表情を見せることがあった。その原因は知らないが、エルフが森を離れて人間に混じって暮らしていれば、価値観の違いなどからストレスを抱えることもあるだろう。そう思ったからこそ、リアムは彼女の無茶な要求にもなるべく応えるようにしていたのだ。

 それに、孤立しがちな自分がパーティ内で浮かずに済んでいたのは、間違いなくシェルファの屈託のない明るさのおかげだった。


 ふと、リアムは先ほどのカイルとの会話を思い出した。


「なぁダイアナ。『オルン』って言葉の意味、お前は知ってるか?」


「えっ!?」


 ダイアナにしては珍しく大きな声だった。


「リアム、あなたまさか今まで知らないでいたの?」


「いや知ってる。ただ、俺の知っている意味が実は間違っていたんじゃないかという疑惑が浮上してる」


「ちなみにどんな意味?」


「エルフ語でオーガって意味らしい」


 ダイアナの目が点になった。


「本気でそれを信じていたの?」


「本人がそう言っていたんだ。当然だろう」


 やや憤慨してリアムは言い返した。


「まったく、あの子ってば素直じゃないんだから」


 ダイアナは上を向いて嘆息すると、あらためてリアムの顔を見た。


「あのね、『オルン』っていうのはエルフ語で『大樹』って意味なの」


「大樹?」


「森の妖精と言われるエルフ族にとって、森の木々はもっとも身近で、寄り添うべき存在よ。なかでも樹齢千年を超す大樹は特別な存在として扱われるわ。だから、エルフが人に向けてその言葉を使う時は、もっとも信頼を寄せる者、または特別な人、っていう意味になるのよ」


「……」


 正直、リアムは戸惑っていた。シェルファから信頼を寄せられているという事実は嬉しかったが、そうなる理由にまったく心当たりがないのだ。


「なぜって顔してるわね。残念ながらそこまでは教えてあげられないわ。あの子がどういうつもりであなたをそう呼んでいるのか。それを知りたいのなら、ちゃんと会って、もう一度訊いてごらんなさい」


「……わかった。近いうちに甘い物でも持って宿舎に顔を出すことにする」


 ダイアナは「よろしい」と満足げに言うと、ふわりとリアムの前に立った。


「ここまででいいわ。送ってくれてありがとう、リアム」


 その言葉で、リアムはいつの間にか目的地に到着していることに気付いた。

 前方に宿舎の外観が見える。まだふた月程度なのに、見慣れたはずの宿舎がなぜか懐かしく感じられた。

 突然、頬に暖かいものが触れた。

 ダイアナの手が頬に伸ばされていた。


「ねぇ、リアム。パーティじゃなくなっても、私たちが友人であることに変わりはないわ。だから、なにかあったら遠慮なく相談して」


「……ああ」


「それじゃあ、またね」


 ダイアナは軽く手を振ると、まるで少女のように軽やかに身を翻した。

 その背中が見えなくなるまで、リアムはその場を動かなかった。

 いや、正確には動けなかったのだ。

 ひょっとしたら自分はとてつもなく大切なものを手放してしまったのではないか。そんな想いに捕らわれていた。

 再び冷たい風が吹き付けてきた。

 だが、ダイアナに触れられた頬の熱はいつまでも残ったままだった。


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