第4話 脱退
夜が更けても宴が終わる気配はなく、パーティメンバーは相変わらず陽気に騒いでいる。
リアムは彼らの会話に耳を傾けるふりをしながら、頭の中ではいつ辞めることを切り出すか、ずっとタイミングを伺っていた。
元々、自分から積極的に話を振るような性格ではなかったし、依頼を達成して盛り上がっているところに水を差したくないという遠慮もあった。
だが、時間が経てば経つほど言い出しにくくなるのは間違いない。それに、後ろ暗い気持ちを抱えたままこの場にいるのは、手酷い裏切り行為に思えてならなかった。
リアムは景気づけに残り少なくなった酒を一気に煽ると、空になった杯を勢いよくテーブルに叩きつけた。
予想外に大きな音が出たせいで、メンバー全員の視線が一斉にこちらに向けられた。
気まずくなって思わずテーブルに視線を落としそうになるが、今を置いて話を切り出すタイミングはないと思い直し、顔を上げた。
「……みんなに聞いてもらいたいことがある」
思ったよりもスムーズに声が出た。
「リアムさんから話があるなんて珍しいな。なになに?」
ライザールが興味津々の体で身を乗り出してくる。一方で古参のイスタリスやダイアナは何か不穏な空気を感じ取ったのか、やや緊張の面持ちだった。
「――今日限りで俺はこのパーティを抜けようと思う」
言った瞬間、心の奥底に溜まっていた大量の泥を水で洗い流したかのような清々しさが去来した。
リアムはゆっくりと仲間の顔を見回す。
程度の差こそあれ、みな驚いた表情をしていた。つまり、今の発言は彼らにとって想定外だったということになる。
その事実が酷く悲しく思えた。
「ぬ、抜けるってどういうことだよ!?」
予想通り、真っ先に反応したのはライザールだった。
「……そのままの意味だ。俺はこのパーティを辞める」
「なんでだよ!? なんで辞めるんだよ!?」
「なんで……?」
リアムは思わず聞き返してしまった。
答えを用意していなかったのではなく、リアムにとってパーティを辞める理由はあまりに単純すぎて説明を要するものではないと思っていたからだった。
そして、そこに気が回らなくなるほど精神的に追い詰められているという証拠でもあった。
「や、やっぱり私がミスをしたから……ですか?」
そう問いかけてきたアリーシャの声は震えていた。
違う、そうじゃない――咄嗟にそう答えようとしてリアムは思いとどまった。
果たして自分は本当にそう思っているのか。彼女のミスが直接的な原因でないのはたしかだが、そういった小さなミスが積もり積もった結果が今の状況ではないのか。
リアムは今まで仲間のミスを一度として責めたことはなかった。誰だってミスはする。それを責めたところでそのミスが消えてなくなるわけではない。
だが、ミスによって引き起こされる損害は誰かが被らねばならない。
戦闘においてその役目を担うのは決まって盾役――つまりはリアムだった。
彼女はそのことを正確に理解しているのだろうか。その瞳に溜まった涙は、何を思っての涙なのだろうか。
パーティを抜ける理由――。
パーティが嫌になったわけではない。
むしろ、彼らのような才能ある冒険者達と共に戦えることは誇りであり、パーティの盾役としていの一番に強大な敵に立ち向かっていくことは戦士の本懐だった。
故郷の村で『でくのぼう』や『うすのろ』と散々罵られてきたこの身体が、仲間や街の平和を守る盾として役立っているのだ。
自身の役割になんの疑問も不満もない。
そのはずだった。
いつからだろうか。
身体が戦うことを拒否するようになったのは。
勝利の後に喜びを感じることができなくなってしまったのは。
最初は小さな違和感だった。
ある日の朝、目覚めた時に頭がふらつき、身体がやけに重く感じられた。
当初は単なる疲れだろうと思った。
だが、その後も体調不良は頻発した。
念のためにダイアナに診てもらったが、特に異常は見つからなかった。しばらくすればいつも通りに動けるようになったことから、深く考えずにいた。
だが、しばらくしてから体調がおかしくなるのは決まって大型モンスターと戦う日であるということに気が付いた。
そしてある時ふと、こう思ってしまったのだ。
――ああ、今日も痛い思いをしなくてはならないんだな、と。
心が痛みを拒絶した。
戦う相手が普通のモンスターであればこうはならなかっただろう。
戦うからにはダメージを負うリスクは常にある。
だが、『リスクがある』と『必ずそうなる』には天と地の開きがある。
己の技量を高めることでリスクを減らせる普通のモンスター討伐と違い、大型モンスターの討伐はリアムが攻撃を受けることが前提で成り立っていた。
これまでリアムが攻撃を受けずに討伐を終えたことは一度もない。
必ず、痛い思いをしなくてはならないのだ。
その事実は、少しずつ、だが着実に心を蝕んでいった。
討伐完了後、全身がぼろぼろになり、流した血で汚れた自分と比べて、汚れひとつない他のメンバーを見て理不尽だと思った。
なんで俺だけがこんな痛い目に遭わなければならないんだ――そんな風に自分自身を憐れんだ。
この激痛にまみれた日々から一日でも早く抜け出したい。
その思いが、とうとう限界を超えたのだ。
「……もう、痛いのは嫌なんだ」
リアムは絞り出すようにその言葉を吐き出した。
「は?」
ライザールは最初何を言っているのかわからないという顔をしたが、言葉の意味が理解出来た途端、引きつった笑みを浮かべた。
「じょ、冗談きついっすよ、リアムさん」
「冗談ではない」
「……なら、ふざけてんすか?」
「ふざけてなどいない」
「はあ!? あんた
まったくもってその通りだ、とリアムは思った。
戦士が戦うことを拒否したら、それはもはや何者でもない。ライザールが激昂するのも当然だった。
だが、痛いのが嫌だというのは、リアムの偽らざる本音だった。
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
「納得してもらえるとは思ってない。だが、俺はもうお前達と一緒には戦えない」
「なんでだよ!? 俺たちこれまで上手くやってきたじゃないか! 今日のサイクロプス戦だって楽勝だったじゃん! それなのになんで急にそんなこと言い出すんだよ!」
「……楽勝、だった?」
ライザールの放ったその言葉が、乾ききっていたリアムの心に大きな亀裂を生み出した。そこから際限なく溢れて出てくる灼熱のマグマを止めることは不可能だった。
「……たしかに、お前らからしたら楽勝だったんだろうな」
「え?」
「二分三十秒だったか? 立派な記録じゃないか」
そう言うと、リアムはヨネサンを睨んだ。
「ヨネサン、お前は数値を記録するのが好きだったな。だったら俺がその二分半の間に、何回あの巨人に殴られたか、数えていたか?」
「えっ? そ、それは……数えていません……」
突然矛先を向けられたヨネサンの顔にはあきらかに怯えの色が見えた。
「なら、俺の骨が何回砕けたか、知っているか?」
「……知りません」
「そうか、なら参考までに教えておく。攻撃を受けた回数は三十八回。骨が折れたのは五回。ちなみに意識が飛びかけたのは三回だ」
ヨネサンは絶句していた。彼だけではない。全員が同じ反応をしていた。
その事実に小気味良さを覚えるも、すぐに自己嫌悪に陥った。本当はこんな恨み言を言いたかったわけではないのだ。
「冗談だ。そんなことをいちいち数えていない」
リアムは真顔で言うと、気持ちを落ち着ける為に大きく息を吐いた。
するとシェルファが、ばんっ、とテーブルを叩いて立ち上がった。
「なによ! 結局あたしたち
「シェルファ、そういうことじゃないんだ」
「じゃあ、どういうことよ!?」
「理由はさっき言った」
「痛いのが嫌ってこと!?」
「そうだ」
「あたしたちが回復魔法を掛けてあげてるじゃない!」
「あげてる、か……」
リアムはやはり理解してもらえないのだなと寂寞たる思いを抱いた。
たしかに魔法で傷は癒せるが、攻撃を受けた瞬間の痛みが消えてなくなるわけではないのだ。
そして、傷ついた心も癒せない。
「とにかく、お前たちのせいではない。これは俺自身の問題なんだ」
「もう意味がわかんないッ! ちょっとカイル! あなたもさっきから黙ってないで何か言いなさいよ!」
シェルファの怒りの矛先がリーダーに向けられた。
それまでずっと黙ったままだったカイルがようやく顔を上げた。その表情からは動揺や焦りといった感情は見いだせない。
長い付き合いなのに、リアムにはカイルの心の内を推し量ることができなかった。昔は何も言われなくても考えていることがわかったのに、いつからこうなってしまったのだろうか。
「……リアム、本気でパーティを抜けるつもりなんだな?」
「ああ」
リアムはカイルの目を真っ直ぐに見て答えた。
「そうか……わかった。リアム、君の脱退を認めよう。今までよく働いてくれた。礼を言う」
「いや、俺のほうこそ勝手を言ってすまない」
リアムは深々と頭を下げた。
「カイルっ!」
シェルファのそれは、もはや悲鳴だった。
「おいカイル、本気でリアムの脱退を認めんのか? 仮にも俺達は領主と契約を結んでいるパーティだ。そんな勝手は許されねぇだろ」
イスタリスが咎めるように言った。
「契約にメンバー構成に関する項目は含まれていない」
「リアムが抜けた穴はどうすんだよ?」
「それは今話し合うことじゃない」
素っ気なく返されたイスタリスは「そうかよ」と吐き捨てると、それ以上は何も言うつもりがないとばかりに椅子の背もたれに寄りかかった。
「だめよ! オルンが抜けるなんて許さない! そんなのあたしは絶対に認めない!」
代わりにシェルファが声を荒らげた。
「戦う意志のない者に仲間の命は預けられない」
そう告げたカイルの声は氷のように冷たかった。
「でも――」
「シェルファ、君は今のリアムを見て、言葉を聞いて、それでもまだ彼に戦えと強要するのか?」
「そ、それは……。あ、あなた達も何か言いなさいよ!」
シェルファは他のパーティメンバーを見回して叫んだ。
だが、結局誰も口を開くことはなかった。
リーダーの最終決定は絶対である。それがパーティのルールだった。
これまでにカイルがその強権を発動したことは、実は一度もない。
その一度目がまさか自分のことになるとは……リアムは申し訳なさで胸が詰まった。
盾役に就いたのはリアム自身の意志だった。誰に強制されたわけではない。提示された条件に納得して就いた。
メンバーそれぞれが己の役割を全うすることでパーティは機能する。
盾役には盾役の、攻撃役には攻撃役の、回復役には回復役の、それぞれに役割があり、責任がある。
リアムは単にその責任を果たせなくなったというだけの話だった。
これまでに積み重ねてきた名声や栄誉。街を守るという使命感や誇り。そういったもの全てを投げ捨ててでも逃げたいと思ったのだ。
何をどう取り繕ったところで、彼らの目には裏切ったとしか映らないだろう。
「世話になった」
なんとかそれだけを口にしてリアムは席を立った。
あまりの居たたまれなさに、これ以上この場に留まり続けることはできなかった。
そのまま一度も振り返ることなく店を出る。
「オルンの馬鹿ッ! あたしは絶対に認めないから!」
シェルファの罵倒の声は店の外にまで響いていた。
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