第7話 頼みごと

 俺は傾けていた耳を切り替え注目を彼女に移すと、真っ直ぐに目顔を捉える。閉じていた唇を上下に開封しひたすらに字列を並べながら。 


「なんで篠崎さんがそんな心構えなのか俺は知らない。ぶっちゃけどうでもい

い。けど関わらないのだけは嫌だ」 

 

 頑固に、強情に、強気に口を囃し立てる。敵が終幕なら終わらせない。


 「俺、ラノベが大好きなんだよ。篠崎さんが図書館で持ってたラノベもちょうどこの前、読み終えたやつなんだ。全シリーズ読んでてさ、だから咄嗟に声が出ち

ゃったんだ」 

 

  言いながら俺はポケットに忍ばせておいたラノベを取り出す。 

 『翼と代理人ファイナルコード2/2オリジン』、無地のブックカバー外して遠くからアピールするべく大きく見せびらかす。ほんの僅かだが、篠崎さんの動きが止まったのように感じる。

 

「…………私がラノベ好きだって、どうしてわかったの?」 

「教室でラノベ読んでただろ。誰とも会話をしないこともそうだけど、単純になんのラノベなのか気になったのも話しかけた要因の一つなんだ。多分、このシリーズ読んでたんだろ」 

 

 俺が言い終わると同時に彼女の手先がドアノブから手を遠ざかった。もう少し、そう思い一人語りを続行する。 


「同じラノベ好きとして、関わりたいんだ。高校入ってから楽しい人たちが増えたけど、ラノベ読んでる人は減っちゃってる。篠崎さんみたいな人が滅多にいないんだ。だから、」 

 

 ドン、と俺が横たわるベッドにラノベが三冊置かれた。音の元凶は篠崎さん、他に誰もいなかった。恥らしく申し訳なさそうに前髪が眼鏡にかかり、次の瞬間顔を至近距離まで近づける。 

   

 そして、柔らかそうな口元を大きく覗かせた。 


「じゃあ、友達になってくれる?」 

「友達…?」 

 

 皮肉にも、可愛い思ってしまった自分がいた。 

  

 前歯を見せつけながら顔の距離を縮める彼女に、近い近いと体を押し出し言葉をリピートする。すると彼女は謝りながらもう一度、文言を口にした。 


「うん、友達」 

 

 いいよという了解の返事をするのに三秒もかからなかった。断る理由が考えつかないのも一つ。 

    テンションが上がったか、或いは思った以上の喜びがあったのか彼女は直後に、頭身の三分の一ほど跳躍する。その様子を見てふと思いあがったパーツの欠片を彼女に投げかけた。 


「でも急にどうして。さっきまであんなにお別れムードだったのに」 

「それはね、ふんふんふん。簡単だよ。……だって西岡くんが、ラノベに愛を感じてるから」 

「そりゃあ好きだからな」 

「私もー。あと純粋に関わりたい、って言ってくれたとこも」 

 

 自分の喋った言動が彼女に留めてあると考えた時点で嬉しさが込み上がる。静寂に支配されていたこの場所がたった数分で華やかになることに意外と感動を覚えてる自分がいた。 


―――高校生でくん呼びなのは珍しい。てか、名前覚えててくれたんだな。 


 クラスで陰湿な気配を纏った女子がここまで変化するのに驚きを隠せないが、前提論として俺がラノベ好きと言う前と後とで対応が豹変してはないだろうか。 

    デリカシーの一片もなく俺は彼女に問いただし、その僅か数秒で激しく後悔した。 


 リュックをバタンと落とし、泣きそうな、痛みを堪えるような表情になる篠崎さん。 

 

 口許がゆがませ、鋭い物差しで全身を貫かれた小動物の如く……触れたら壊れてしまいそうな、そんな印象を抱かせる。喜びは儚げにフェードインしてどこか体の一部を痛い気に休めながら、彼女から切り出したのはちょうど申の刻の終わりに差し掛かった時だった。 


「私がラノベと出会ったのは六年生の頃。ある友達が読んでたのを借りて、家に持ち帰ったの。挿絵が若干際どかったのは今でも覚えてる。だけどそれを上回るぐらいその作品が面白かった。……タイトルは「冬に落ちた君の夏」ていう上下巻で、初めて家に揃えたラノベ」 

 

 重厚感と濃密なストーリー、オチの付け方が素晴らしく当時ネット民を騒がせた評判作。 

 ラノベの枠組みから片足抜け落ちていたらしく物凄い売り上げだったと当時聞いた。読んでいたらさぞかし良い話だろう、と思いを明らかにしたところで彼女に暗い影が染み込んだ。 


「中学生になるまでの期間、私は本屋に行って生き急ぐかのようにラノベを読み漁った。あの間だけで総数は三十冊ぐらいかも。そうして、中学校に入学してラノベを読んでいたら明るめな女子にボソッと言われたの」


 陰湿って。 

 話を聞くだけで胸糞悪い、なんならその言葉の持ち主を殴り伏せてやりたくなる。俺がその学校でのクラスの立ち位置が相当ならその場で鉄拳制裁、そうでなくても何かしらのやり返しはしただろう。 


 でも彼女は違った。できなかったのだ。


「その時にはだいたいのクラスの立ち位置が決まってた。初日からラノベを読んでいた私は、当然底辺。面子もあるけど中学校時代は女子も男子も治安が悪くて、そのせいで三年間誰とも話せなかった」 


 彼女は続ける。俺が黙ってる間、一人語りをやめない。だからずっと脳みそに詰め込む作業を行なわれる。 


「そんで察したら高校生、もう立ち回り方なんて忘れたし嫌われたくもない」 

「……」 

「ねえ教えて。どうしたらみんなと話せるの? どうしたら、」


 周りの人間みたいに振る舞えるの? 

 

 彼女の瞳は薄く濁りを秘めながら俺の顔をこれでもかと覗きみる。 

 その質疑に対し、俺はぽつりと口を開いた。 


「簡単だろそんなの」 

「え?」 

「細かいことは気にするな。だって今、」  


 。 

 

 俺がそう言うと、彼女は全身を震わせた。その動作は、恐怖でも執着でも悲しみでも畏怖でも切なさでも憂いでも不安でも憎しみでも喜びでもない。 

 単に盲点だっただけだ。彼女の網膜から透明が雫が洩れる。美しく光の尖った淡さは保つ液体は一筋の脈をなぞった。 


「お、おい大丈夫か?」 

 

 心配して声をかけるが、篠崎さんは「気にしないで」と言い、自分一人しか聞こえない声量で呟く。 


「そうか、私できてたんだ」 

 

 徐々に目を見開く彼女。当たり前であるのに何か腑に落ちた様子で声帯を振動させる。好きなものに熱中してる間は人間、身の覚えを取っ払い自然体が体に滲み出るという話をどこかで耳にしたことがある。目の前の篠崎さんは、まさにその仕草なのかもしれない。 


「そうだ。これをきっかけにしてみたらどうだ?」 


  刹那、頭に電球が光燈ると一斉に神経に伝達され声が発される。その一息に訝しみながら彼女は小さく俺を睨んだ。 


「……………人との関わり方に、ラノベが関係するの?」 

「いや場合による」 


    ただ、俺はそう一言付け加える。


「ラノベみたいに興味を惹くものであれば、気軽に話せるわけだろ。だったらそれを握りしめて仲良くなれそうな人に喋りかけたらいいんじゃねえの?」 

「…嫌われない?」 

「そうならないよう俺が協力する。…………本はいつでも読めるけど、高校での友達は今しかできないから」 

 

 決まった台詞を真剣に吐き出す。 眼球を垣間見ると、彼女のまた真剣にこちらを捉えていた。 


「なら、最初の友達になった西岡くんにお願い」 

「……なんなりと」 


 相槌を打つ俺に彼女は、ハッキリとした口調で申し上げた。 


「今後の振る舞いかた、友達のつくり方を教えて」 

 

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