16-12

長い川下りの旅はおおむね平和であった。

日差しは暑いが常に心地よい風が吹き渡り、他の商船とのトラブルや悪天候にも見舞われることも無かった。

しいて言うならば空を飛び交うドラゴンののお陰で川の水を使うことが出来ず体を拭くことも出来ない状態が続いたことと、時々上流や周辺から流れてくる悪臭に辟易したぐらいだ。

運が悪ければ船に直撃して甲板に穴が開くこともあるというドラゴンの落としもの被害に遭わなかっただけマシともいえる。

長い川下りの果てに、遠く石造りの街並みが見える。

「もうすぐうち双海公国だ!気ぃ抜くんじゃねえぞ!」

甲板で船長が部下の船乗りたちに声をかけているのを聞いて、この川船での旅が終わることを知った。

もうすぐ家に帰ることが出来る喜びに満ちた船乗りたちは最後のひと踏ん張りと言わんばかりに船の中をせかせかとかを走りまわる。

(……まあ、俺らはまだ目的地に着いてすらいないんだけどな)

やれやれという気持ちでぼんやりと辺りを眺めていると、チーム長が船の先端から船室に戻ろうとしているのが見えた。

『こんにちわ』

『どうも、』

手元にある赤いものにふと目が行って「その手にあるのは?」と問えば「カメラだよ」と答えが来る。

見せてもらって気付いたが、よく見たらコンパクトカメラだ。

これくらいなら荷物にもならないしスマホにも繋げられるので持ってきていたのだろう。

『うちのちびにお土産話と一緒に見せてやろうと思ってね』

『お子さんいらっしゃるんですね』

『ああ、今回はかみさんの家族に預けてるけどな』

そう言いながら懐から写真を取り出して俺に近寄ると見せてくる。

アラブ系らしいスカーフを巻いた女性が赤ん坊を抱きかかえる写真は実に平和で穏やかな一幕だった……隅っこに書いてある2016年6月のシリア・アレッポという日付と場所の不穏さは置いておく。

『物を持ち帰るのは面倒だがせめて土産話は沢山持ち帰ってやりたいのさ』

小さい子供ならば父親が異世界に行った話などワクワクして聞いてくれるだろう。

なんとなくそんな景色を想像してみると心がほっこりする。

『出来るもんならあのドラゴンと一緒に写真撮れればいいんだがなあ』

『あとで交渉してみましょうか?』

『頼むよ。まだ交渉できるほど言葉が上達しきっていなくてね』

初対面時にはいささか神経質なのかと思ったが、家族の話になると少々言葉や表情にゆるみが出ているのが分かる。

きっとこの人は息子の前ではよい父なのであろう。

そんな話をしていると後ろから木栖が俺の後ろに立っていることに気づいた。

『……お前、声かけろよ』

「ずいぶん盛り上がっていたようだからな。それと、日本語で話せ」

そう言われて初めて自分が英語で木栖に話しかけたことに気づく。咄嗟のことで言葉の切り替えが出来ていなかったのだろう。

(バイリンガルやトリリンガルなら意識しなくても切り替えられるんだろうがな)

意識を英語から日本語に切り替えてから「悪かったよ」と日本語で返した。

「俺が嫉妬深いタイプなら無理やり引きはがすところだった」

「近かったか?」

「少しな。まあ俺が一方的に好きなだけだから無理に引きはがす権利なんてないんだが……」

後半は自分に言い聞かせるようにそう呟くので「お前が嫌ならしないよ」と答える。

「お前は俺を甘やかすな」

「普通自分が相手を憎むか嫌うかしてない限り嫌なことをしないだろ」

「まあ、それはそうだけどな?ああそうだ。船から降りる準備はしたか?」

「もしかしてお前そのために俺を呼びに来たのか?」

「そうだよ」

そう言われて荷物の散乱した船室のことを思い出し、急いで自分の船室へと舞い戻る。

船が双海公国の港へとたどり着く前に全部片づけて問題なく降り立つために。

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