第10話



「こちらがバスルームなどの水回りです。


元々海外の作りなので日本のようなユニットバスではなく、バスタブとシャワーになっていて、洗面台とトイレもこちらです。


部屋に無いのはキッチンとランドリーですね。


それは共用になってしまうのですが」



朱音は呆然と部屋の中やバスルームを見ていた。


アパートのバスルームはトイレと洗面台が同じ場所にあってシャワーカーテンで仕切る恐ろしく狭いスペースで、バスタブで足なんて伸ばせない。


それに比べ、こちらは磨りガラスの窓から光がバスルームの中に差し込み明るくて広い。


周囲の壁には胸より少し高い高さまで海を思わせるような青い大きなタイル、床には貝の柄が描かれた白地のタイルが敷き詰められ、アパートの二倍近くありそうな大きな浴槽は中で身体を洗っても余裕なほど。


バスルームを出て再度部屋を見れば既にお洒落で一人用にしては大きなベッドが置かれ、大きなクローゼットが二つある。


この部屋にも小さなサンルームがあり、外の裏庭の緑が大きな窓から見えてこの部屋の一部になっているかのようだ。



「この部屋に以前住んでいたのは女性です」



朱音がうっとりとサンルームから外を眺めていたら、後ろからの冬真の声で引き戻された。


そう、女性、という単語に思わず反応してしまった。



「・・・・・・その方は?」



「海外に。


当分日本に戻って来られないからと元気に出て行きました」



苦笑いして言う冬真を、朱音は何故か複雑な気持ちになった。


とても親しい間柄、それを感じてしまったせいだろうか。



「こちらでよろしければお貸しできますよ?」



「えっ?!でもその女性がそのうち戻られるんですよね?」



「戻ってきてもこちらに住むことはありません。


その時は一緒に海外に行ったご主人と家を買うと話していましたから」



その言葉に朱音はホッとする。


ホッとしたのはすぐ戻ってくることでは無いけれど。



「でも、こんな素敵なお部屋を借りられるほど恥ずかしながらお金が・・・・・・」



すみません、と朱音は丁寧に頭を下げた。


今のアパートは狭いし壁も薄いが、厳しい予算内で何とか探し出した場所だった。


今の手取りから短大の奨学金などの返済を考えると、家賃は出来るだけ抑えたい。


こんな素敵な洋館、そして冬真さんがお仕事をする側に住んでみたかったけれど現実問題として無理だ。



「家賃は頂きませんよ?」



何か遠い方を見ていた朱音は冬真の声に不思議そうな顔をすれば、そんな朱音に気が付き冬真はくすっと笑う。



「ここの土地建物すべて僕の所有ですが、賃貸業はしていないんです。


他にもここに住んでいる人が居ますが、あくまで自分の家の一部屋に住まわせているだけで家賃はもらっていません。


家賃をもらうと家賃収入を得ることになり税務上の手続きや色々面倒なことになるので」



説明を聞きつつ、朱音はただ驚いていた。


こんな素晴らしい洋館を貸してお金取らないなんてどういうことなのだろう。


そんなに魔術師という仕事は収入が良いのだろうか、いや、そもそもお金持ちなのだろうか。



「・・・・・・やはり若い女性にはこういう部屋は合わないですね。


勝手を言ってしまい申し訳ありません」



返事をしない朱音が断り方に困っていると思った冬真は申し訳なさそうに話し、それを見た朱音はぎょっとして違います!と声を上げた。



「もの凄く素敵です!今のアパートの二倍くらい広さありますし!


ただ無料だなんて信じられなくて。


もしかして建物の掃除とか皆さんのご飯を作るとかが条件なんでしょうか?」



至極真面目に聞くと、いえいえ、と冬真は笑う。



「ご自分の部屋だけ掃除して頂ければ結構です」



「共有の場所や廊下とかは?」



「全てアレクが行います。庭の手入れも何もかも」



その返事を聞いて一瞬誰だろうと思ったが、あの黒い姿の執事が朱音の頭に浮かぶ。



「あの、アレクさんってもしかして」



「はい、何度も会っているあの彼です。アレク」



冬真に促されリビングに戻って座ると、冬真の声に合わせるようにドアがノックされ黒髪を後ろに束ねた男が入って来て、冬真の座っているソファーの斜め後ろに立った。



「彼の名前はアレキサンダー。


僕たちはアレクと呼んでますので朱音さんもそう呼んでやって下さい」



冬真は笑顔でそう言うが、斜め後ろの黒い男は無表情のまま朱音を見下ろしている。


やはり好意的に思われてはいないようで、朱音は凹んでいる気持ちを悟らせないよう小さく、はい、と答えた。



「では、いつからこちらに引っ越されますか?」



「本当に良いんでしょうか」



とんとん拍子に話が進むことに急に朱音は焦ってきたが、ふと一部の冷静な脳が語りかける。


うまい話には裏がある、タダほど高い物は無い。


彼がそんな話をし出したのは、魔術師と知ってしまった自分を監視するためでは無いのか、と。


それに気が付いた朱音は突然ソファーから立ち上がり、紅茶を飲もうとしていた冬真がカップを持ったまま驚いて朱音を見上げた。



「言いません!魔術師だって言いませんから安心して下さい!」



片手を固く握りしめ、朱音は一気に言い放った。


監視されるのはもちろん嫌だ。


だが一番嫌だと思ったのは、冬真に疑われているかもしれないということ。


冬子はいなくなっても、心根の同じ冬真という人に出会えた。


出来るならその人と仲良くなりたい、ただそれだけの気持ちだった。


冬真はぽかんと真剣な表情の朱音を見ていたが、カップをソーサーに置くと、俯いて口に手を当て肩を震わせている。



「急に信じろって言われて困るのはわかります!でも私」



「待って下さい」



未だに焦っている朱音を落ち着かせるように、冬真は少し片手を伸ばし、朱音を再度座らせた。



「もしかして・・・・・・僕が魔術師だと明かしたせいで朱音さんが他の人に言いふらさないようにこの屋敷に呼ぼうとしているとお思いですか?」



うっ、と図星をつかれた朱音は思わず目が泳ぐ。



「ちなみに、僕が魔術師だと朱音さんは心から信じていますか?」



そう尋ねられて、少し迷った後、はい、と朱音は答えた。


何もかも受け入れた訳ではないしよくわかってはいないが、自分が経験したことは夢では無かったし、何より彼を信じたい。


そんな朱音の気持ちに気づいたように、冬真は穏やかな表情を浮かべる。



「朱音さんができる限り受け止めてくれようとしてくれるのはとても嬉しく、そしてありがたいことです。


ですが、全て信じられたかと言えばそうではないはず。


ですのでもし朱音さんが、あの洋館のハーフは魔術師だ、なんて言いふらしても誰も信じることは無いでしょう」



そう優しく冬真は話しかける。


考えてみれば、私だってあれを経験しなければ信じなかったもしれないし、経験した今でもこの状態。


それを全くの第三者が聞いて信用するわけが無い、こんな突拍子もない話しを。


朱音はまた別の冷静さが襲ってきて、一気に恥ずかしくなる。


こんなの、何も冷静では無かったのだ、勘違いも甚だしい。



「そう、ですよね、すみません・・・・・・」



朱音は謝りながら、はっとした。


自分が彼の純粋な善意を疑う発言をしてしまったことは取り返しのつかないことなのだと気が付いて、今度はなんと言えば良いのか言葉が浮かばない。



「朱音さん」



その声に、朱音の身体が反応するように少し揺れたが、そんな朱音を見ても冬真は穏やかなままだ。



「私たちはまだ出会って数回、お互いを知らないのが当然なのに、貴女は突然恐ろしいことに巻き込まれ訳のわからないことを知らされた。


その上で無料で部屋を貸すなんて言われたら警戒して当然です」



その声に朱音を責めるような雰囲気は微塵も感じさせない。



「では、本音を言いましょう」



急に真面目な表情になった冬真に、朱音も緊張する。



「人が住んでいないと部屋であっても傷んでくるものです。


僕の本業を知っている人に借りて欲しいと思っていてもそんな相手が簡単に見つかるはずも無く、僕はそれなら無理に貸す必要も無いと思っていました。


そこに現れたのが朱音さん、貴女です。


もちろん、貴女が早く次の部屋を探さなくてはならないと、そして貴女が僕の事情を知らなければ、あの部屋を貸そうだなんて言うことはありませんでした。


これを僕は縁だと思っていますし、貴女が借りてくれれば僕としてはとてもありがたいことなのです」



冬真は思っていることを素直に話した。全て、は話さなかったが。


朱音は冬真の言葉を聞き、真摯に彼が気持ちを伝えようとしていることが、そして自分を選んでくれたことに嬉しさがこみ上げてくる。


冬子さんと親しくなりたかった。


その女神のような女性は、まさかの超絶格好いい男性だった。


でも根底にある温かなものは同じなのだとやはり思う。


もっと冬真さんと話したいし知りたい。そして、自分も信頼してもらいたい。


そんな自分の気持ちに、朱音は素直になることにした。


なぜなら目の前の人が、『素直に行動した方が良い運が回ってくる』と教えてくれたのだから。



「これから、どうぞよろしくお願いいたします」



朱音は顔を引き締め、深々と冬真に頭を下げた。


それをみて冬真が笑い、立ち上がる。



「これからは朱音さんもここの一員ですね。


ようこそ、我が洋館へ」



そう言って冬真は右手を差し出す。


慌てるように朱音も立ち上がった。



「よろしくお願いいたします!」



そう言って手を握り返せば、そのまま冬真は笑みを浮かべる。



「名前は呼んで下さらないんですね」



「えっ?」



「これから一緒に住むというのに全然名前を呼んで頂けないので寂しいな、と」



冬真は芝居がかったような寂しげな顔で朱音を見れば、それが何を指してるかやっと気が付いた朱音は思わず顔が赤くなってしまった。



「すみません、その、恥ずかしくて」



「冬子では呼んでいたのに?」



「それとこれは別じゃ無いですか!」



恥ずかしさで一杯になり思わず朱音が大きな声で抗議すると、冬真は棚から一枚小さな紙を持ってきて朱音に渡す。


それは名刺だった。



「英語で書いてあるんですけど読めますか?」



唐突な流れに訳もわからず朱音は名刺を受け取ると、アルファベットだけ並ぶその文字をそのまま読み上げた。



「よしの とうま?」



「はい、よく出来ました」



にこにことする冬真を朱音は見ていたが、やっとそんなことをさせた意味に気が付いた。


顔が熱くなる。


冬真になったとしても冬子と同じだと思っていたけれど、これはもしかして違う、というかちょっと意地悪な人だったりするのだろうか。



「子供扱いしないで下さい・・・・・・」



何か文句を言おうとしたのに、やっと言えたのはそんな言葉だけ。



「そんなこと思っていませんよ?


朱音さんはもう立派な大人の女性だと思ってます」



優しい笑みでそう言った冬真に、朱音はそれ以上言えなくなってしまった。


思わず冬真が言ってしまった、言葉の違和感には気が付かずに。



「さて、ランチにしましょう。


実はお腹がとても減っていて、いつ朱音さんの前で鳴ってしまうのではとヒヤヒヤしていたんです」



そう言うと、タイミングを計ったようにアレクがサンドイッチの用意をテーブルにし始めた。


気が付けば妙に気負っていた気持ちが落ち着いてきて、朱音が冬真に感じていた別の世界の人と思えていた溝が、自然と取り除かれたような気がする。


冬真は、朱音の持ってきたケースとは別に、可愛い箱形のアクセサリーケースに入れてラブラドライトのネックレスを渡した。


この『ジェム』であるラブラドライトが本来の意味を持てるため冬真が調整したとは知らずに受け取った朱音は、可愛らしいケースと、輝きが増したようなラブラドライトに思わず笑みを浮かべる。


美味しい紅茶に、豪華なサンドイッチ、そして素敵な人とまたこうやって話していられるだなんて。


ラブラドライトがまた作り出した新しい出逢いに、朱音はこれから過ごすこの洋館での日々がとても待ち遠しかった。


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