第5話




その後、冬子が薔薇の柄が描かれたお洒落なトレイに、紅茶やプリン、焼き菓子まで用意してくれ、なんとも素敵なお茶会が始まった。


素敵な洋館、目の前の女神のように優しくて美しい人が笑みを浮かべ紅茶をつぎ足してくれれば、ふわりと優しげな香りが立ち上がる。


きっと世の男性達はお金を積んでてもいいからこの空間を味わいたいのでは無いだろうか、いや、女性でもある程度払って味わいたいと言う人も居るだろう。


もの凄く儲かりそうだなぁ。


そんなことを思ってしまった自分はなんて小さい人間なのかと、朱音は笑顔を浮かべながら心の中で懺悔していた。


そして、冬子との会話は驚くほど心地よかった。


見合いでは相手の男を不機嫌にさせないため聞いている側に徹していたし、仕事でも何でも自分を前に出すよりもあくまで相手がメインだ。


だが冬子との会話はまるでずっとエスコートされているかのように、自分の歩幅に合わせ、心遣いを感じさせるその会話は朱音の気持ちを軽くさた。


彼女と話したいが為に占いをお願いしたり、カウンセリングをうける人がいて、多くの人が救われてるのでは無いだろうか。


彼女の美しさで人が来るのだと単純に思ってしまったけれどそうじゃない。


彼女自身にあるとても温かなものが、より彼女を不思議なほど美しくしているのだと朱音は感じていた。





「あら、もうこんな時間」



部屋の隅にあるチェストの上にある置き時計に冬子は視線を向けた。


既に夜の八時を回っている。


気がつくと部屋には電気がついていて、朱音は話すのに夢中でまさか三時間以上もここにいるとは思っていなかった。



「すみません!こんな時間まで」



「引き留めてしまってごめんなさい、つい話すのが楽しくて」



「いえ!私こそ!」



話すのが楽しかったのはこっちだ。


いつも自分が相手と話すときに注意を払っているからこそ、その気遣いがとても大変かがわかる。


冬子が最後までこんな自分に気を遣ってくれていることが、心から朱音は嬉しかった。



「こんなに気楽に楽しく話せたのは久しぶりで、それも冬子さんが私が話しやすいように気遣ってくださったおかげです。


ありがとうございました」



朱音が椅子に座ったままぺこりと頭を下げると、冬子は目を細める。



「違いますよ、朱音さんが素敵な方だったから私も楽しくお話が出来たんです。


もし私との会話がそう感じたのでしたら、それはあなた自身によるものですよ」



穏やかに微笑む冬子を見て、朱音は急に涙が出そうになった。


映画を見て泣くことはあっても、他人様の前で涙が出そうになるなんていつぶりだろうか。


気が付けば人の顔色を見て、どうすれば機嫌を損ねないかということばかりに気を遣っては疲弊する、そんな自分が嫌だったのに、この人はこんな風に自分を褒めてくれた。


いつもならお世辞だと思えるはずなのに、この人から褒めてもらったことはお世辞だとは思いたくは無い。


それだけ彼女の言葉は朱音にとって、とても大切で魔法のように感じられた。


ふと、冬子の背後にある置物がキラリとひかり、朱音は何が光ったのだろうとそちに視線を向ければ、そこにはさっき気になっていた円柱のハーバリウムがあった。



「どうかしましたか?」



少し違う方向に視線を向けたままの朱音に気が付いた冬子が声をかける。



「あの青い薔薇が入っているのってハーバリウムですよね?


光っているのは宝石に見えますけどスワロフスキーですか?素敵ですね」



冬子は思わずその言葉に目を見開く。


あの薔薇を『青』と言って、中に花以外のものが入っていることを言い当てた女性は初めて。


そして『彼女』と生年月日も同じ。


これ以上『宝石に見える石は何色か』などと聞いてはいけない。


もしもその色までを当ててしまったのならば・・・・・・。


こちらを不思議そうに見ていた朱音に、冬子は何事も無かったかのように笑みを浮かべた。



「うちの者にご自宅までお送りさせますね」



朱音の問いには答えずにそう言って立ち上がった冬子を朱音は一瞬見上げた後、その言葉に驚いて立ち上がる。



「いえ、そんなことをしていただかなくても!」



朱音は、席を立ち横を通り過ぎようとする冬子を慌てて呼び止めた。


しかしその言葉を聞いても冬子は微笑んでいる。



「私のせいで怪我をさせてしまいましたし、もう外は真っ暗です。


女性一人でこんな時間に帰すわけにはいきません」



「そんな、おおげさですよ、まだ九時前ですし」



そう言った朱音に冬子は一瞬口を開きかけ、再度笑みを作る。



「じゃぁちょっと待っててくださいね」



朱音の言葉を無視し、冬子は紅茶などを持ってきたドアから出て行った。


美女が微笑むと一般人は太刀打ちなど出来ない。


朱音は美しさってこういう意味でも武器なんだな、と感心してしまった。





少しして冬子が戻って来たとき、朱音はテーブルにある食器を片付けようとしていたのだが笑顔で止められ、確かに高級そうなカップを割っては大変だと思い、お礼を言って一緒に洋館を出た。


朱音は振り返り、建物を見上げる。


もう二度とこの場所に来ることは無いだろうと思うと、この洋館を目に焼き付けておきたかった。


冬子の後ろに続き洋館の横へ行くとそこは二台ほど車が余裕で停められそうな広い駐車場で、エンジン音の聞こえる黒い車の横に、黒の細身のスーツに身を包んだ背の高い男が立っていた。


腰までありそうな長い黒髪を後ろで一つにまとめ、身長は約180センチ以上ある。


目鼻立ちはくっきりとして目の色も髪もオニキスを思い浮かばせるような漆黒。


無愛想、いや無表情にも思えるようなその男は近くに来た朱音に目を細く開けてちらりとだけ視線をよこし、すぐに冬子の方を向く。


嫌われてる、めっちゃ嫌われてる。


それ以外に感じようのない態度を取られ、朱音は内心凹んだ。



「彼女を自宅までお送りして。


絶対に家の前以外で下ろしては駄目よ?」



「かしこまりました」



深々とその男は右手を胸の前で曲げて頭を下げ、再度顔を上げると後部座席のドアを開けて、早く乗れ、と言わんばかりの視線を朱音に向けた。


朱音は悲しくなりながら車に向かう。


この無愛想な男は、おそらくこの家の執事のようなものなのだろう。


このご時世日本に執事なんているんだろうか、いや、この地域ならあり得るのかもしれない。


やはりとんでもないお宅にお邪魔してしまったのだ。


車に乗り込む前に、朱音は冬子の前で頭を下げた。



「今日は本当にありがとうございました」



「こちらこそ迷惑をおかけしてごめんなさい」



「迷惑なんて一つも!


私、冬子さんとお会いできて本当に嬉しかったです」



そう言いながら、花のように明るい笑顔を朱音は浮かべる。


こんな素敵な人に出会えた。そして話しが出来て褒めてくれた。


あのロンドンと同じくらい大切な思い出が出来たことが朱音は嬉しかった。


朱音のその心からの言葉と笑顔に、初めて冬子の瞳の中が揺れたことを朱音は気づかない。




「朱音さん」



後部座席に乗り込みシートベルトをしようとしていた朱音に、冬子はかがんで声をかける。



「あなたはもっと自分を大切に、そして素直に行動された方が良い運が回ってきます。


それに、あなたにふさわしいお相手にはきちんと巡り会えますから焦らなくて大丈夫ですよ」



「本当ですか?」



「えぇ、本当です。


ですからもっと自分に自信を持って、大切にしてあげて下さいね」



優しく冬子が言うと朱音はくしゃりと顔をさせたが、頑張って笑みを浮かべる。


自分に自信が無いのに、明るく頑張ることが普通になっていた朱音には、冬子は本当の女神のようだった。


弱い部分も見抜かれた上で自分を大切にとまで心から言ってくれた人は、母が亡くなってからはいなかったのでは無いだろうか。


そんな人がふさわしい相手に出会えるというのなら、どうしたって信じたくなる。


運命の人と出会って付き合うことが出来たなら、まだ見ぬその人と一緒にもう一度冬子さんに会いに行きたい。


冬子さんの言ったとおり、素敵な人と出会えました、と。


朱音はもっと話したい気持ちを必死に我慢して再度お礼を伝えた。



「お気をつけて」



「はい、ありがとうございました」



後部座席の窓が閉まり、車は静かに駐車場から道路に出る。


窓を開けて振り返ってみれば、冬子が歩道まで出てきて胸の前で手を振っていて、朱音は出来るだけ後ろを振り向きぶんぶんと手を振った。


遠ざかる冬子の姿を未だ後ろを向きながら見ていたら、運転席の男が家の住所を聞いてきたので素直に住所を伝えると、かしこまりましたとだけ言って前を向いたまま。


ナビも無いのに大丈夫だろうかと思ったが、地図が頭に入っているのだろう。


執事のような人を雇えるだけの女性だ、やはり冬子さんはとんでもないお嬢様だったのかもしれない。


朱音は、夢の世界から現実に戻されていくのを、段々とビル街になる外を眺めながら感じていた。







洋館では部屋に戻り冬子が一人、テーブルに置かれていた食器を片付けていた。


朱音の座っていた席を見れば足下にケースが落ちていて、拾い上げると中にはあのネックレス。


ケースからネックレスを取り出し見つめた後、テーブルの上に置く。



「せっかく彼女を逃したと言うのに、君はまた、僕と彼女を巡り合わせたいのですか?」



そう言いながら冬子が左手でウィッグをとると、そこには艶やかなダークブラウンの髪の毛がさらりと現れた。


少し長めの前髪をかき上げたその青年は、首元につけていたスカーフも取りネックレスの隣に置くと、まるで何かに反応しているように青く光るラブラドライトを見下ろす。


きめ細やかな肌、整った目鼻立ち、目の色は透き通ったグレー。


身長は180センチを超え、肩幅や胸板もほどよく、どこかの王族や貴族だと言われても信じてしまいそうな品格を備えている。


吉野・ハーレッド・冬真(とうま)は、長い人差し指で軽く石に触れた。


彼女のことは正直に言えばすっかり忘れていた。


完全に思い出したのはラブラドライトのネックレスを実際に見たときだ。


この石が彼女に相応しい物だと思い、何気なく贈ってしまった。


ただそれだけのはずだったのに。


まさか、あのあどけなかった黒髪の少女と今度は日本で再会し、『彼女』と生年月日が同じということまで知ることになるとは。


彼女の心がとても疲れていることに気が付いて、今日が最後なのだからと少しお茶に誘ったつもりが、彼女と話す時間は何故か心地よくてあんなに話し込むなんて冬真自身も驚いていた。


彼女にとって、あのロンドンでの出会いがとても美しいものとして彼女の中にずっとあるのならば本当のことは知らせずそのままでおくべきだ。


しかし一度、二度なら偶然で片付けられただろう。


でもそれが重なれば、それは運命か、巡り合わせか。


彼女をこんな自分にまた出逢わせた石を小突く。



「君がこうさせた以上、君は本来の役割を果たさなくてはならないのですよ。


僕にそれは・・・・・・出来ないのですから」



そう呟き、そっとペンダントをケースに戻した。


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