【二章】ホールケーキを切りましょう
カタカタと音がして、キッチンを見ればティーポットを運ぶ凛がいた。慎重すぎて落とさないか不安になる程で、杏は思わず立ち上がって一緒に運び出す。その二人を微笑ましく見守りながら葵は皿に盛ったケーキとコーヒーカップ二つを運んでくる。
「兄貴たちはコーヒーで良いよね?」
「砂糖とミルクがあればな」
「いっぱいあるから好きなだけ入れてね。海兄はブラックで良い?」
「うん……ありがとう葵」
コーヒーカップとシュガーポットを置くと、テーブルを回って自分と凛と杏の席にそれぞれのケーキを置いた。ティーカップに紅茶を注ぐ杏に礼を言ってから座り、少し照れながら「お代わりあるから遠慮しないでね」と葵の言葉でお茶会が始まる。若干緊張した雰囲気もあるが、いつも通りに葵は過ごす。そうすれば凛もケーキを食べ始めて杏に「おいしいよ」と勧めいきいつものやり取りに段々と緊張は解けていく。ただ兄たちはお茶会というものに不慣れなのもあり完全に緊張は解けていない。
ケーキを食べていれば視線は前を向く。だから目の前で砂糖を大量に入れる様子を目撃してしまい、あまりの多さに驚いていると視線が交わる。
「なんだよ?」
「……砂糖入れすぎじゃない?」
「……ブラックは苦手なんだよ」
「いや、それは別にいいけど……入れすぎるのもどうかと思う」
猫背になりながらコーヒーに入れた砂糖を溶かしている姿とは対照に、杏は姿勢よく品の良さを感じられる佇まいでティーカップに口を付けた。ケーキを食べるその口が小さいなんて思っていれば睨まれて思わず背筋が伸びる。
その様子を微笑ましく眺めていた葵は口元にあったティーカップをソーサーに置くと視線を感じて右を向く。自分の手元にあるモンブランをじっと見つめる凛が可愛らしくて、フォークに一口分を乗せると凛の前に差し出した。驚いたのも一瞬で嬉しそうに口を開ければ運ばれて来たモンブランの味に笑顔になった。
(よ、よかった……陽には気付かれてない……)
コーヒーを飲みながら海斗は小さくため息を吐いた。とはいえ内心は大暴れしているのだが、それを表に出せる程の性格ではないのだ。目に渦巻きができそうな位の周りの展開に一人だけ浮いている様な感覚すら覚える。
「そういえば海兄、もう体調崩していない?」
「あ……うん、最近は大丈夫。陽にも毎日気にしてもらっちゃってるし……そ、それに、その、前に倒れた時に怒らせてしまって……」
「えっ」
「そうだぞ海。お前の彼女が怒るなんて相当なんだからなー」
体調を崩したのはクリスマスの頃だったか。電話で連絡があったあの時、葵は凛とデート中だったから大変だったのだけれども、海斗は自分の比ではない位大変だったと葵は察した。倒れたのは自宅で、海斗と陽斗はルームシェアをしている為すぐに陽斗が病院に連れて行った。葵に連絡をしたのも陽斗だったのだが、のちに合流した海斗の彼女は海斗が目覚めるや否やそれはもう悪魔の様だったと海斗は震えていた。今は春のはずなのだが凍えてしまいそうな程に震えていて、トラウマにでもなってしまった様に思える。
「怒らせたらいけない人っているわよね」
「うん、とってもわかる!」
共感してくれた事が嬉しかったのか、海斗は上を向いて凛と杏を見つめた。相変わらず可愛らしい少年少女に何故か見惚れてしまう。でも二人の顔を見ていても震えは収まらなくて、横目で葵を見れば心配そうな表情と視線が合って笑われた。海斗の心を癒すのは大好きな妹だという事は昔から変わらない。
「葵は海に甘いんだよ。オレにも優しくしてくんねー?」
「んー、陽兄にも優しくしてるつもりなんだけどな」
「陽はその……もっと周りを見た方がいいっていうか……ひ、人の事は言えないんだけど」
口を尖らせながら陽斗はちらりと視線を前に向ける。睨むとは違う一直線な視線に釘付けになる。何を言いたいのかが分からないその視線を向けられていたくない。なんだか馬鹿にされている様な気がしたからだ。
「言いたい事あるなら言えよ?」
「……別に、ないけど」
「じゃあなんでジロジロ見てんだよ?」
「それは……」
杏は先ほどから陽斗へ向けた視線を逸らさず、寧ろ真っ直ぐに向けていた。何か言いたいのか言葉を濁しているその態度が気に入らなくて、陽斗は頬杖を突いたまま睨み返した。一瞬怯えた様な瞳は逸らされてしまって、ますます不機嫌になる。
「凛くんみたいにもっと素直になればー?」
「……ッ――」
逸らされた視線を下げて杏は肩を震わせる。
陽斗は無意識に放ってしまった言葉に我に返り、姿勢を正して杏を見ると、想像していた通りに涙を流す
「凛、杏を連れて僕の部屋に行ける?」
「う、うん!」
杏を抱きしめる様にして凛はリビングを出て二階に上がっていく。重たい空気に包まれたリビングに残されたのは三田兄妹。海斗は陽斗と葵を交互に見ながら慌てている。陽斗は呆然としたままリビングの扉を見続けていて、そんな様子に葵は小さくため息を吐いた。
「陽兄が一番分かっていると思う。だからさ素直になってね」
葵は淡々と呟いて席を立つ。階段を上がる音が妙に煩く感じる程に沈黙に包まれたリビング。残された兄弟は何も言葉を紡げなかった。
陽斗の脳裏から離れない
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます