第二話「僕を支えてくれる存在」
【一章】不調を治す方法
近年の夏は暑さが尋常ではない。今年も猛暑と予想されていて、夏が始まったばかりだというのに夏バテしそうな位暑い日々が続いている。そんな暑い日でも、放課後の体育館ではバスケ部が活動していて、皆真剣に練習に励んでいる。バスケットゴールへ投げたボールはすれすれの所で弾かれて床に落ちた。
「……っ」
「葵、ちょっと休憩しな」
チームメイトに肩を叩かれたが、反抗するように三田は視線を合わせた。だけど、三田以上に真剣な瞳に圧倒される。
「……、……うん」
体育館の端に寄り、スポーツドリンクを飲んで座り込む三田。ここ最近三田は不調だった。その原因を三田は把握している。
(……あの時の感覚がまだ残ってる)
夏が始まる少し前に、三田は男性に脚を触れられた事があった。それは大事な友達を守る為であったが、自分に向けられてしまった好意がただただ怖かった。普段は物応じない性格なのに、あの時はまるで女子の様に震えてしまっていた。
そもそも三田葵は女子だ。だから震える事は不思議ではないのだが、三田は普段からあまり女子らしい行動をした事がない。だから潜在的な女子の一面が出た事に驚いていた。あれからもう一月は経ったのだが、それでもまだ人と身体が触れると無意識に身体を強張らせる様になってしまっていた。
「葵」
「……分かってる」
「息抜きも必要だろうけど、あんまり時間ないのも事実だからさ」
「……うん」
夏の大会が八月にあるのだ。あと一月程に迫った試合までにコンディションを整える必要がある。その大会で優勝するのがこの夏の目標だ。その為にチーム一丸となって練習に励んでいる。だからここで三田が弱音を吐いている場合ではない。前を向いて立ち上がると、頬を叩いて気合を入れる。
(負けられないんだ)
そう言い聞かせて、三田は再びコートへ走って行く。
*
「三田さん、だいじょうぶ?」
いつもの様に教室で昼食を食べていると、不安そうに声を掛けられた。三田は疑問に思いながら凛を見つめる。
「最近ケガ多いから……」
毎日身体に貼っている絆創膏は日に日に増えている。だから凛は不安なのだろう。
「心配掛けてごめん。大会が近くて最近ずっと練習してるからかな」
「……三田さんってすごく頑張る癖があるから、息抜きもちゃんとしてね?」
「……ありがとう」
春の終わり頃から凛と三田は一緒に過ごす様になり、まだ二月程しか経っていないが、案外お互いの癖は見抜けている様だ。三田は無意識なのだが頑張る癖がある。だから怪我の数が増えている事にも今気付いた。
「二人の空気を作らないでもらっていい?」
楽しいランチタイムはいつも三人で過ごしている。だから楓は二人の世界に割り込む様に声を出す。
「ってか大会って毎年のやつでしょ?」
「うん。去年は決勝まで行けなかったから、その分今年は気合入っててさ」
「運動部って大変だわ」
楓と三田の会話を聞きながら楽しそうに弁当を食べる凛。凛は帰宅部なので、部活の話はできないが聞くのは好きだ。
「そういえば、三田さんって何部入ってるの?」
「……え?」
「……なんとなくそんな気はしてた」
不思議そうな顔をする凛の鈍感さに楓は溜息を吐いた。三田はクラスの人気者である所以が部活にもあるからだ。何故なら三田は女子バスケ部のエースである。加えて学年でも上位に入る程の成績優秀者。だからこそ登校する度に黄色い声が上がるし、声を掛けるのを躊躇う程の存在感があるのだが。
「三田さんってすごい人だった……!」
「というかよく今まで知らなかったね? その方がビックリだわ」
楓は呆れていた。この学校にいれば当然の様に知れる事なのだが、凛の鈍感さと他人への興味の無さを再認識していた。
「じゃあ、北川さんバスケ部見に来る?」
「え! いいの!?」
「うん。興味あればだけど」
「行きたい!」
「あたしが行けない事を前提に話さないでもらえるか?」
楓は吹奏楽部に入っているので、授業が終わってから時間がない。楓が吹奏楽部に入っている事を三田は知っているので、当然の様に凛だけを誘っていた。決して楓を蔑ろにしている訳ではないのだが。
凛は今日バイトが無いらしく、放課後が楽しみになる。誰かを部活に誘うのは初めてかもしれないと、三田は嬉しそうに昼休みを過ごしていた。
*
そうして放課後になり、三田は部室で着替えてから体育館に向かう。先に体育館に行っている様に伝えたので凛を探すとギャラリーに落ち着きのない姿が見えた。三田は小さく笑いながらいつもの様に部活を始める。
ウォーミングアップの為に走りに行き、準備運動を経てからボールを出して練習が始まる。凛を呼んではいるが集中しなければいけない事に変わりはない。いつもの様に集中してボールをバスケットゴールに投げる。しかしあと少しの所でゴールを越えてボールが床に落ちる音が響いた。少し前ならシュートを決める事は三田にとって難しい事ではなかった。だけど最近は誰が見ても不調だという程に安定しない。バスケは特に身体が人に触れる事が多いスポーツだ。同じチームメイトであっても、身体が思う様に動かなくなる。
(頭では解ってるのに……)
こんなに不甲斐ない姿を凛に見せてしまっている事も三田の不安に繋がった。不甲斐ない姿を見せない様にするつもりだった。格好良いと言って貰える様に頑張るつもりだった。見上げれば凛の顔が見られるだろうが、上を向くのが怖くなってしまった。
(でも、負けられない……!)
その為に今まで頑張っている。自分が足を引っ張っている場合ではない。三田は自分が手を引く方だと、そうでありたいと思っている。もう一度前を向いて、もう一度。今度はきっと、、、、
「――――」
ボールが跳ねる音が聞こえる。次第に消えていったのはボールの音だけではなかった。暗くなっていく視界を認識することなく三田は意識を失った。
*
ボールを投げればゴールに入る。それが三田にとって当たり前に出来る事だった。その為に沢山練習してきた。持久力を付ける為に自主的に走り込んだりもしていたし、それが苦にならない位、今楽しんでバスケをしている。でも最近は何かが脚に絡みついて、上手く脚が上がらない。この絡まっているのは何だろう。取れれば脚は上がるのに。霧の様に漂うその毒はずっと三田の脚を蝕んだ。
「三田さん」
目を開けると悲しそうに覗き込む凛がいた。なんとなく自分が倒れたのだと察して、三田は起き上がろうと身体を動かす。
「寝ていていいよ」
「……うん」
思っていた以上に自分の身体が動かない事を三田は素直に受け入れた。
「貧血だって」
「……そっか」
三田は凛に顔を見られたくなくて窓の外を見る様に顔を逸らす。
「三田さん最近ご飯食べてないでしょ?」
「……」
「……多分、私のせいなの……怖い思いをさせてしまって、ごめんなさい」
「違うっ、……――」
三田が凛の言葉に驚いて振り向くと、凛は涙を流していた。凛の所為ではない。だってあれは凛を助けたかったから取った行動だ。結果的に助けられたのは三田も一緒。
「北川さんの所為じゃない」
「でも、でも、"怖い"んでしょ?」
「……北川、さん」
凛は胸の前で自分の手を握ったまま泣いていた。強く強く握っていた。凛が何を握りたいのか三田は察する。それを素直に受け止められない自分に腹が立つ。だけどそれ以上に凛を泣かせてしまっている原因が自分にある事に腹が立つ。
「でも、三田さんはきっと逃げないで進むことを選ぶから」
「……っ」
「だから……だから! 私は三田さんの手を引っ張りたい……――」
自分でもどうしてか解らなかった。でも三田は凛の手を引っ張って抱きしめていた。
「北川さんって、いつもずるいな……」
凛は三田がバスケ部だった事も成績優秀者だった事も知らなかった。なのに――
「なんでそんなに僕の事知ってるの?」
でも凛はいつも三田が欲しい物をくれるのだ。三田が人に触れられる事に拒否反応を示すことも、最近ちゃんと食事を摂れてなかった事も誰にも言っていないのに知っていた。一番知らないと思っていたのに、どうしてだろうと不思議に思う位、三田は凛といると満たされていく。
「三田さんのことは何でもわかるんだよ?」
三田の胸の中で凛がそう囁いた。また三田が欲しい言葉をくれた。不思議な人だと思うと同時に安心してしまって、そのまま脱力してベッドに倒れた。三田の上に抱きしめる様な形で凛は乗る。その凛の背中を強く、だけど優しく抱きしめて三田は微笑んだ。
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