5話 エイミーという娘

 村のはずれには、長い草に囲まれた中に木造のあばら屋が一軒あるだけで、他にはなにもなかった。


 俺はそこで蹄鉄などを作ることを仕事としている……つまり業務に鍛治がふくまれるわけなのだけれど、そういった施設も存在しない。


 このへんは人里からやや距離があるせいでいっそう暮らしにくく、子供一人を置いておくにはじゃっかんの不安がある立地だ。


 もちろん鍵なんかない木製の扉を開けば、中は大きなベッドが一つ、それと、小さなベッドが一つあるだけの空間だった。


 仕事に使う素材はおろか、生活に必要な最低限の道具さえ置いていない家は、神殿の細かいところに趣向のこらされた建物を見たあとでは、やたらと殺風景に見えた。


 俺はまず小さいほうのベッドに視線を向けた。

 けれどそこにはなんのふくらみもない。


 続いて大きいほうのベッドに目を向ければ、薄っぺらいブランケットの中に、ちょうど子供一人分程度のふくらみが存在する。


 そこには十歳にはなるであろう少女がいるはずだ。


 エイミーという女の子の本当の年齢を、俺は知らない。


 彼女を拾った、というか、見つけた、というか、探し当てた時には、だいたい三、四歳相当だったので、そこからおおよそ七年で『まあ十歳ぐらいだろう』というふうに計算しているだけだ。


 なにせ彼女を俺にたくした人はといえば、死の間際までエイミーの存在を秘密にしていた。

 そのかたくななまでの秘密主義には色々な理由が思い当たりはすれど、正解がどれだったのか、明確な『一番の理由』というものがそもそも存在するのか、そこさえもわからない状態だ。


 ただ『この世界で俺に生き方を教えてくれた恩人』の遺言ということで、俺はエイミーを育て始め、周囲の協力や幸運に恵まれながら、現在にいたるというわけだった。


 ブランケットをめくって、その顔を見る。


 すると、ぱっちりと開いた大きな黒い瞳がこちらを見ていた。


 部屋に入った時にピクリとも動かなかったことから、まさかエイミーが起きているとは思わなかったので、俺がおどろいた顔になる。


 すると彼女は瞳に『いたずら成功!』というような色を浮かべ、ガバッと跳ね起きて俺に抱きついてきた。


 その小さな体を受け止めて、背中をぽんぽんと叩く。

 黄金のふさふさした尻尾がちぎれそうなぐらいに揺れ、頭の左右にある垂れた長い耳がピクピクと持ち上がったり下りたりを繰り返した。


「ただいま」


 エイミーはいったん俺の胸から顔を離して、こちらの顔を見る。


 その顔はまったくの無表情であり、『ただいま』と述べた俺に対し、『おかえり』の返事はない。


 彼女には表情がない。

 そして彼女は、滅多に声を上げない。


 個性で済ませられる範疇ではないその無口、無表情については、どうにも俺が彼女を引き取る以前、俺の恩人が彼女を引き取った段階で、色々あったせいらしい。


 恩人は『あの子は感情と声を失ってしまっている』とだけ言っていた。

 もっと深い話を知りたかったけれど、そこまでの時間的猶予もなかったので、けっきょく聞けずじまいで、これも『なんとなく想像はできるがはっきりしたことはわからない』というのが現状だった。


 ともあれ『感情を失ってしまっている』とされたエイミーではあったが、いっしょに暮らしてみるとそんなこともなかった。


 感情がないのではなく、表情がない。

 声はまったく出さないわけではない。しかしたしかに、滅多に出さない。


 それゆえに彼女の『感情表現』はすべて『行動』でおこなわれる。


 たとえば、ちぎれそうなほどに振られているしっぽだとか、すぐに抱きついてきたり、暇さえあれば頬を俺にこすりつけるようにしたりだとか、そういった行動で、エイミーは気持ちを表現する。


 エイミーは、長く見つめあっていると思わず笑顔になってしまうような、妙な愛嬌のある顔でジッと俺を見たあと、また、ぐっと顔を俺の胸に押し付けた。


 俺はその黄金の髪をなでながら、ベッドに腰掛ける。


「ただいまエイミー。王都から無事に帰ってきたよ。それでな、父さん、どうにも勇者さまになってしまったらしいんだ」


 エイミーはしっぽの動きをぱたりと止めて、俺を見上げると、首をかしげた。


「勇者っていうのは『魔王を倒して世界を平和にした人』で、ほら、お食事の前とかに、お祈りをするだろう? あれは『勇者教』のお祈りで、初代勇者に捧げているものなんだよ」


 お祈り、と言った瞬間にエイミーが小さくうつむいた。


 彼女は滅多に言葉を発しない。

 それは個性の範疇ではなく、『言葉を発する』という行為に、彼女が、俺たちでは想像もつかないような、すさまじい労力を必要とするから、避けているという事情があってのことなのだった。


 その(おそらくは精神的な)労力は本当にすさまじいものらしくて、たった一言を発するだけでヘトヘトになり、ひどい時には意識をたもっていられないほど疲弊することもある。


 そういった事情であるから、エイミーは『お祈り』が……『聖句を唱えること』ができない。

 彼女は『みんなが普通にやっていることができない』というのに、ひどく絶望を覚えるようで、油断していると、こうして彼女の地雷を踏んでしまうことがある。


 俺はエイミーの頭をなでた。


「頭の中で、唱えているだろう? だから、大丈夫だよ」


 エイミーはうなずく。


「その、祈りを捧げる対象の、何代目かの生まれ変わりに、俺が選ばれたんだ。だからええと、これからは、ちょっと『勇者』としての仕事が増えるかもしれない。……ああ! 悪いことではないんだよ」


 しかしエイミーは判断に困っているような様子を見せた。


 もちろん真実は『クラスメイトが元の世界に帰る方法を探すのに都合がいいから、俺が勇者という役割を当てはめられた』というだけなのだけれど、その事情を全部いっぺんに説明してしまっても、エイミーには理解が難しいかと思ったのだ。


 俺は彼女が理解できそうな噛み砕きかたを考えてから、


「聖女さまはね、父さんのお友達なんだ。だから、いっしょに遊ぶことが増えると思う。お前も仲良くするんだよ」


 エイミーはうなずいた。

 今のうなずきかたは、ちょっと緊張している時のうなずきかただ。


 俺は彼女の垂れた長い耳をふにふにと触る。

 彼女はくすぐったそうに身をよじって、俺の手に頭をこすりつけてきた。


 そうしていると家のドアがノックされる。


 薄っぺらい木造のドアを叩いたところでそこまで響く音はしないけれど、その薄さから、すでに何者かが近づいている足音は聞こえていた。

 おそらくキリコだろうなと思い、俺はエイミーを床に下ろすと立ち上がる。


 勝手に入ってもらってもいいのだが、足音が複数だったから、お付きの人がいっしょかもしれない。

 そうなると『聖女に自らドアを開けさせる』というのは、対外的にちょっとまずいかなと思ったのだ。


 エイミーは俺の脚に張り付くようにぴったりついてくる。


 その様子にちょっと笑いながらドアを開けると、そこにはやはりキリコがいた。

 彼女が伴っていたのは神官ではなく村人たちで、どことなく居心地悪そうな顔をしたのち、俺にだけ聞こえる声で、告げた。


「村の人たちがめちゃくちゃ贈り物を寄越すの。受け取りきれないわ。助けて」


 田舎の洗礼を受けている聖女さまの姿に、俺はちょっと笑った。

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