桜散る放課後で―儚花紡―   作:荘園 友希

―私たちは手をつないでいる―




それは使命感からなのか、それとも誰かとつながっていたいからなのだろうか。とにかく僕は誰かに救いを求めていた。学校に上る坂道。僕はいつも一人で登っていた。カバンの中には授業で必要なものと、筆箱にはカミソリが一本入っている。死んでしまいたいのかもしれない。桜の舞う坂道を下を見ながら歩いていた。教室に着くと皆の目に入るように窓側に傷だらけの机がある。僕の机だ。いじめを受けているという認識はないけれど、日に日に罵詈雑言が増えているような気がする。手に触れるとささくれが指に刺さって手がじんじんする。毛抜きは持ってないのでカミソリを使って皮膚を少し割いてささくれを取ってあげる。そんなことは日常茶飯事なので私の手は傷だらけだ。ロッカーに入れてる教科書だって、何かでぬらされたりしていてぐしょぐしょだった。僕は一般にはいじめられっ子なのだろう。その自覚はなかった。




 私は学校の坂をいつも通り友達としゃべりながら前を向いて歩く。今の時期は桜が満開で桜のシャワーが制服に張り付いては風が吹いて飛んでいく。坂を上ると学校があって、学校には庭園が広がる。私たちはいつもそこで食事をとるのが日常だった。私は吹奏楽部の朝練のために学校に40分くらいは早く学校に着く。この時期は楽器を温める必要があるのでロングトーンで楽器を温めてピッチを安定させてあげる。最近買った銀のフルート。ケースを開けると無機質な金属が入っている。私は組み立てて、マウスピースに息を入れる。リッププレートは冷たくて、指に伝わる金属の冷たさもリアルな感触でキィも少し硬い。15分も吹いてると楽器が温まりだして442Hzのきれいなピッチが廊下に響く。様々な楽器がロングトーンをして、時にコンクールのメロディを奏でている。私たちは3階の廊下を根城にしてオーボエと近場所で練習をしている。私の朝の日課はそんなんで、教室に着くと毎日目に付くのが机の傷で毎日のように暴言が書き連ねられていた。




 私達がであったのはそんな他愛もない日常のワンシーンでお互いにひかれあった。春先、桜が散ったそんなころだった。




 いつもの授業、いつもの休み時間。昼になると学校の庭園に出て、部活の友達も交えながら教室の子たちと食事をとる。庭園の木々は丁寧に剪定されていて芝生も丁寧に管理されていた。緑あふれる庭園のなかで時折吹く風が心地よい。いつものように授業の話をしたり、友達の話をしたり、時折悪口も出るけれど、私たちと関係ないところで動いていて、関係ない話だった。庭園で昼食を終えると教室に戻って10分位今度は男女隔てなく教室の子たちと話す。時折あの机の話は出るけれど誰も彼の話はしなかった。私はそこに興味をもった。


 ある放課後私は部活をサボってその机の前に立っていた。窓からは少し夕日に陰っていて薄いオレンジ色になっていた。机に目を向けると西日の所為か書かれた文字が影ができていて、彫刻刀で掘ったような跡は深く削れていることが分かった。


「痛っ……」


机に手を触れると雑に彫られた文字のささくれが私の手に刺さった。名前の書かれたプレートの裏の安全ピンを使って刺さった木を取ってまじまじと見入ってしまった。そこには彼に対する悪口もあるけれど、それ以外にも書いてはいけない文字がたくさん書き連ねられていた。


 日に日に彼に取りつかれるように見入るようになり、授業中も彼の方に視線を向けた。幸い最後列だったので横に少し目を当てれば見ることができた。彼の持っている教科書は濡れた跡があって、ぐしゃぐしゃになっていた。次第に彼のロッカーに新品の教科書を置くようになり、彼の机を削ることもあった。文字は消えないけどささくれは刺さらなくなる。彼を助ける物語の始まりだった。




 毎日見かける光景のロッカーに最近変化があった。新しい教科書が置かれるようになった。誰がそうしているのかわからないし、なんのためにそれをしているのかわからないけれども少し気味が悪かった。最初に現代文の教科書を見たときはぞっとした。僕の手書きしてあった部分は消えているのでどうやら誰かの教科書らしい。僕の教科書に何の因縁があるのかわからないが、教科書は日々きれいに変わっていった。二日に一度僕の元々の教科書に戻ることも分かった。落書きには更に落書きがされているページもあったし、僕に宛ててなのか頑張れと書いてあるページもあった。不思議なのがなぜ僕の教科書ばかりきれいになるのか。嫌がらせで教科書をぐしょぐしょにされるのは慣れていたがきれいになるのはどうにもばつが悪い。それ故気になっていた。どうやら文字からして女の子みたいだけれど私の教科書をきれいにする道理がない。なので気持ち悪く思っていた。




 私は普段からいじめという行動には嫌気がさしていたのだけれど、なぜ彼の教科書をきれいにするようになったのかは自分自身でもわからない。いじめという嫌な行為のアンチテーゼなのかもしれないし、平等ではないことへの嫌気だったかもしれない。私は自分の教科書が日に日にボロボロになっていたし、私だけが負う問題でもない気がするけれど、横から見た彼を放っておけないと思ったのだ。彼の第一印象は好きでも嫌いでもなかったけれども、教科書を交換している間で少しも愛情が湧いてなかったかと聞かれれば嘘になる。日に日に楽しくなってきて、彼の落書きに落書きを重ねるようになった。筆跡でばれないように左手で書いていたけれど何度も書いているうちに両利きになってしまった。どっちの手で書いても同じ字が書けてしまうので途中で右手に利き手に変えた。同時に板書は左手でとるようになった。国語は右から字を書くので普段から字がにじんで嫌だなと思っていたのだ。いつの間にか彼から感謝の言葉が入っていることがあった。彼との“教科書交換”はこうして始まった




 僕は誰だかわからない人に趣味だったり、好きな教科だったりを教科書の端っこに書くようになったそうすると必ず二日後には返事が返ってくるのである。僕の中で決まり事があった、それは誰とは聞かないことである。聞く事で何かすべてが崩れてしまうような気がしたし、万が一この教科書を濡らして楽しんでいる当人に見られてしまって彼女が傷つけられてしまうのを防ぎたいとの思いがあってだった。教科書もそうだが机も幾分きれいになった。文字が完全に消えることはないし、新しく書かれることはあったけれど怪我しないように配慮されることが増えた。誰かがやすりがけをしているのだろう。それ故木にニスがかかった色から無垢の木の色に変わっていった周りもきれいにやすりがけされていて数カ月と立たないうちにニスも塗り替えられた。傷が入ってるから凸凹のニスだったけど周りの机と遜色いくらいにはきれいになっていた。


 ふとある日の放課後、僕は5時限目に体調が悪くて保健室で休んでいた。保健室の固いマットレスの上で二時間ほど寝ていたらしく時間は5時を回っていた。自分の荷物を取りに行こうと、教室に向かった時に人影を見た。僕はとっさにドアに隠れてしまったけれど、彼女は確かに僕の机の前に居て教科書を手に持っていた。




 私はいつも通りに放課後は部活に夢中になっていた。コンクールも近いことから皆は切磋琢磨していた。放課後になるといつものように教室にカバンを取りに戻り、彼のロッカーから一冊、教科書をつかみ取った。誰もいない事を確認して、彼の机に向かった。西日の入る教室は少し埃っぽかった。彼の机は先日ニスを塗ったおかげで、西日が当たってピカピカだった。そんな彼の机を眺めていると人影がよぎったのが分かった。誰かと思って、そろそろと扉に近寄る。すると




 僕の前に彼女の姿があった。彼女は絶対的な存在でそこにいて、顔が認識できるくらいには近づいていた。彼女は学級委員長で、責任感のある子だった。これを責任と感じてしていたのかは定かではないけれど、彼女は僕を救おうとしていた?毎日のようにメッセージをくれたのも彼女なのだろうか。僕は色々疑ってしまった。まさか?彼女が?僕は無色透明の存在だと思っていたし、誰からも相手にされていなかったから。でも教科書を毎日毎日新しくしてくれる人がいたってことは確かだから…


 もう頭の中が真っ白だった。真っ白でいて僕の脳を駆け巡る問題が山積みだった。


「…さん?」


「さんって言わないで。ちゃんとにはっきりと名前で呼んで」


「はい…」


「あと敬語‼」


「は…あ…うん。」


「芹花さんは何でそこに?」


「春樹君は何で今日こんな時間に来たの?」


 私の心臓の鼓動は外に出てしまうくらいにバクバクしていた。私は彼が帰宅部だと知っていて、誰も来ない事も知っているうえでいっつも教室に来ていたから、正直びっくりしていた。彼もびっくりした顔をしていた。近づいてみると目鼻立ちがくっきりした、いい青年だと思った。


 それから私たちは多くのことを話した。何日もかけて、部活後を楽しんでいた。幾月も費やして、話し合った。


 彼は私が部活の時は保健室で時間をつぶしていた。彼は非常に利口な性格をしていてそれでいて純粋だった。ある時彼にノートを見せてもらった。私もノートをとる方だけれど彼はその数倍の量の情報量があった。ノートの端っこの落書きと一緒に。そんな他愛もない話をいつもしていた。ある時彼は言った。一緒に帰りませんかと。




 僕は


 私は




 今、手をつないでいる。


 それは雪の降る坂道で。


 きっとこれからも変わらないだろう。


 雨の日も、桜が舞い散る季節も。

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