第5話

ハオランと、ものすごいことをしてしまった。


はっと気づくと、既に外では昼に近い位置に太陽が昇っていた。

ハオランは、と慌てて身体を起こそうとするも、腰が異常なほど痛みを発し、ルォシーはベッドに逆戻りだ。


服はきちんと着せられていて、自分の知らない分厚い掛布が掛けられていた。温かい。


なんだか身体がかぴかぴに乾いているようにも感じる。

いつも体内から湧き出ていた魔力が、今は半分程度になっていることに気づいた。

と、いうことは、ハオランにはこの抜け出た半分が渡ったのだろう。元気になっていてくれたら嬉しいのだが。


「ルォシー、起きたか」


「……ハオラン」


ちょうどその時、ハオランが外から戻ってきた。

手には瑞々しい果物が詰まった籠があり、どこからか調達してきたらしい。


家に戻ってきたハオランは、いつものハオランだった。

肌もぷりっと張りがある。


あぁ、よかった。

元気になってくれたのだ。


「起きられるか?」


「無理……」


腰以外にも、後孔がひりひりと痛む。

あんな化け物みたいなものを突っ込まれたのだから、仕方がないのだろうが。


ルォシーの言葉に、ハオランはしゅんと身体を小さくさせた。


「私が無理をさせてしまった。すまない」


「そんなこと言わないで」


ハオランを助けたいと思っての行動だった。

それに後悔はない。


あの行為が、怖いものではないと知れた。二人で溶け合うことができるのだと知った。

今目の前で、怒られた大型犬よろしく身体を小さくしている男が、あの行為の主導権を握っていたとは少し思えないが。


「ハオラン」


「なんだ?」


「おれ、ハオランとだったら、またしてもいいよ」


これは本心だ。

あれでハオランが元気になれるなら。

それに、とても気持ちが良かった。


ルォシーの言葉に、ハオランは少し難しい顔をしたものの、「よかった」と呟いた。


「あまりお前に無理はさせたくない」


「無理なんてないよ」


「……あの行為は、お前の身体への負担はもちろん、魔力も持っていってしまう。これ以上続けたら、最悪お前が死んでしまうかもしれない」


突然何を怖いことを言うのだろう。

驚いてハオランを見上げると、ハオランの大きな手がルォシーの頭を撫でてきた。


「だが、昨日は本当にありがとう。助かった」


「う、ううん。ハオランには元気になってほしかったし」


こうして、人間の姿で出歩けるようになったのは、本当に嬉しい。

頭に乗るハオランの手を取って、スリと頬を寄せると、ハオランは少し驚いたあと嬉しそうに微笑んだ。


「ルォシー」


「ん?」


「先ほど、角のおばあさんから果物をもらった。あとで食べよう」


「うん」


ハオランと、一緒にいられる。

ハオランと、一緒にまた食事ができる。


なんて幸せなのだろう。

ついこの間までの自分の生活が、まったく想像つかなくなっていた。


この幸せな空間が、いつまでも続けばいいのに。

そう願ってやまない。


*****


ハオランとあんなことをしてしまってから、また朝が来て夜が来た。


来るはずだった。


夜が来る直前、ガチャガチャとけたたましい鎧の音がしたかと思えば、あっと言う間に家の周りを鎧男たちが取り囲んだ。

予兆なんてなかった。

周囲に住む人間たちも、ルォシーに何も告げなかった。


してやられた。


リースゥの方が、一枚上手だったのだ。


金でも配ったのか知らないが、周囲はとっくの昔に敵だったらしい。


鎧男たちが、鋭い視線と共に武器を構えてきた。


恐怖で固まってしまったルォシーを守るように、ハオランが前に立ってくれる。

それを見て、鎧男たちのリーダーは鼻で笑った。


「見つけたぞ。さぁ、我々と一緒に戻るんだ」


「……拒否する」


「そんなことを言っていいのか? お前さんがあんなにも大事にしていた奴が、どうなってもいいのか?」


「くっ……!」


誰のことを言っているのだろう。

だが、ハオランの心を乱すには格好の話題だったようで、これまで見たことのない怖い顔でハオランが歯噛みした。


その時、鎧男の一人と目があった。


そっと彼の背中に飛びついて隠れると、ハオランはハッと我に返ってルォシーの肩を後ろ手に押して更に隠してくれた。


「次男坊の次は、こんな路地に住む乞食にご執心か……ハンッ、博愛主義もいい加減にしろ。小さな撒き餌で済む偽善は楽しいか? まぁたしかに、顔はいいな。ふむ、いくらで買ったんだ? あぁ、それとも攫ってきたのか」


「ルォシーを、そのような目で見るな!」


ハオランが、怒った。


怒号が飛んだと思ったその時、衝撃波のような圧が出たように感じ、鎧男たちが数歩後ずさった。

それを後ろで見ていたルォシーには、何が起こったのかまったく理解できず、ハオランを見上げることしかできなかった。


「は、ハオラン……」


「ルォシー、逃げよう」


「え?」


「行くぞ。しっかり捕まっていてくれ」


「あいつを捕まえろ!」


「遅い!」


ハオランが一喝すると共に、暴風が吹いた。

ドドンッと大きな音を立てて、ルォシーの家が崩れる。

おれの家!と叫ぶ間も無く、獣の姿に姿を変えたハオランがルォシーを背に乗せて空に飛び出した。


星が瞬きかけた空を、ハオランが飛ぶ。

ふわふわの、真っ白な体毛はこんな夜でもキラキラ輝いて見えて、地面なんてないのにしっかり空中を蹴っていく。


「ハ、ハオラン!」


「大丈夫か? ルォシー」


「う、うん、大丈夫、だけど……!」


思考が、いろいろな単語で埋め尽くされてしまって、何も考えられなかった。


家。

そう、まず家が壊された。

それから、花籠。

せっかくハオランが直してくれた、あの花籠。咄嗟に持ち出すことができなかった。

それからそれから、


それから、「次男坊」。


鎧男が溢した、「次男坊」とはなんなのだろうか。


ハオランは元々、その「次男坊」に「ご執心」で、「小さな撒き餌」でルォシーを喜ばせる「偽善」行為をしていた、らしい。


わからない。


偽善だなんて、思わなかった。


自分は、その「次男坊」の代わりだったのか。

それとも、撒き餌で釣っただけの、ただの暇つぶしだったのか。


「(ちがう……ハオランは、ハオランはそんなこと……!)」


否定したいのに、元々ハオランという男のことなんて分からないルォシーは、完全に首を横に振ることができなかった。


「ハオラン! どこまで行くんだ?」


「どこか、遠くへ」


「遠くってどこ?」


「あいつらの手が及ばないところだ」


でも、どこへ?


一時的に回復したとはいえ、ハオランはまだ病み上がりだった。

そう遠くまでは行けないだろう。

とはいえ、ルォシーは空を飛ぶ魔法は使えないし、どこかハオランを連れて行けそうなところなんて思いつかない。

ハオランにしがみついているしかできなかった。


空の上から見るルォシーの生きた街は、真っ黒だった。

屋根の上を縦横無尽に走る、黒くて太い電線たち。そこを分け入るように、誰かの洗濯物がはためいている。

小さな子供が、電線の隙間にある窓からこちらを見上げていて、ハオランの姿に目を丸くしていた。


「街が、黒いね」


「……あぁ、そうだな」


「街から見上げる空は、あんなに小さかったのに……空って、こんなに広かったんだ。知らなかった」


「空は良い。全てを忘れさせてくれる」


トン、と、ハオランが宙を蹴って、更に高く高く飛び上がった。

空に吹く風はとんでもなく寒く、冷たい。

ハオランの長くふわふわの毛に埋もれるようにしてしがみつくと、ハオランが小さく唸った。彼の唸り声が耳に届いた途端、凍りそうなほど寒かった風を感じなくなった。きっとハオランが防御魔法を張ってくれたのだろう。


「ありがとう、ハオラン」


「寒くないか? ルォシー」


「うん。ハオランのおかげだ」


本当に、何もかもハオランのおかげだ。

きっとハオランがいなければ、ルォシー一人では鎧男たちから逃げることなんてできなかった。


いろいろと知りたいことはある。

偽善とか、次男坊とか。


「ハオラン、あの、おれ、」


「……街を離れよう。少し魔力を回復させたい。それと、ここを離れたら、少し話をしよう。ルォシー」


「……うん」


トン、とまたハオランは宙を蹴る。

ふと下を見ると、街の端の城壁近くまで来ているようだった。

その向こうは、ルォシーにとっては未知の世界だ。

何があるのかまったく知らない。少し怖いが、ハオランがいるならきっと大丈夫だろう。


彼と出会ったのはついこの間だというのに。

どうして、こんな気持ちになるのだろう。

胸がぽかぽかして、彼が言うことはきっと正解な気がして、不思議だ。


「ハオラン、おれ、変なんだ」


「変、とは?」


宙を蹴っていたハオランが、空中で立ち止まった。

心配そうにこちらを見るハオランの瞳にルォシーが映る。


「ハオランと出会って、まだちょっとしか経ってないのに、ハオランと一緒ならなんでもできそうな気持ちになるんだ。初めての空も、ぜんぜん怖くない」


これからのことを考えると、少し恐怖は感じるが。


「この気持ち、なんだろう?」


「……さぁ、なんだろうな」


なんでも知っていそうなハオランが、なぜか言葉を濁して目を逸らす。

どうしたの、と聞いても、ハオランはそこから何も答えてくれず、空を駆けることに集中してしまったのだった。

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