第15話 見習い天使が銃を撃つ (1)
その後、どうやって屋上から戻ってきたのか、あまり記憶がない。
午後の授業もまったく頭に入らなかった。
そして、放課後。ホームルームが終わると、クラスメートは三々五々帰って行く。今日は委員会があるが、正直行きたくない。あの正体不明の柴崎さんとは、できれば顔を合わせたくない。俺はだんだん人の減っていく教室で、思い切り緩慢な動作でのそのそと帰り支度をしていた。
「石塚……、昼休み、どうだったの?」
明らかに動作が鈍い俺に、柊木が心配顔で聞いてきた。よっぽど俺の表情がダークだったらしい。俺はしばらくためらった。柊木の顔を見るのを。柴崎さんにキツく、しかも妖艶に言い渡されている。「柊木千紘と関わるな」と。はっきり言われたわけじゃないけど、ニュアンス的には「柊木千紘と関わらないなら俺と付き合ってもいい」と言ってるみたいなもんだった。
でもさあ。さすがに疑問に思うわけだ。なんで俺が柴崎さんの言いつけで、柊木をハブらなきゃならんのか。そりゃ柴崎さんと付き合うことになって、結果的にただのクラスメートの柊木と疎遠になってしまうっていうなら、よくある話だから別になんとも思わないけどさ。付き合い出すにあたっての条件が「柊木と関わらないこと」って、そりゃなんかおかしくないか?
柴崎さん、柊木のこと嫌いなんだろうか。いや、まあ、人間だからウマが合わない人が一人ぐらいいてもおかしくはないさ。しかも、相手はあの一癖も二癖もある柊木だ。生理的に受け付けなかったとしても、不思議でもなんでもない。
でもさ、でもだぜ? 柊木、そんなに悪いヤツじゃねーじゃん? ド変態だけどさ。俺が柊木を拒絶しなきゃならない理由がどこにも見当たらないんだよ。柊木が嫌いだから柴崎さんが関わらない、ってのなら、それはしかたないと思う。柴崎さんに無理に柊木と仲良くしろなんて俺は言わない。しかし、だからって俺が柊木と関わったらダメってことにはならないだろ? 何度も言うけど、柊木はド変態なだけで悪いヤツじゃないし、そんな柊木を俺は決して嫌いじゃない。
結論が、出たな。
柴崎さんの要求は、あまりに理不尽すぎる。
俺は腹を固めて顔を上げた。柊木を正面から見つめる。俺の目つきが鋭すぎたのか、柊木はびくっと一歩下がって少し怯えた。それに構わず低い声で俺は言った。
「柊木、俺、今日委員会さぼるからさ。ちょっと付き合ってくれね?」
そうだよ。いくら愛する柴崎さんの依頼であったとしても、人道にもとる要求までをも、ほいほい呑むわけにはいかない。柊木と話をするのに柴崎さんの許可が必要だなんて、俺には到底納得できない。だって、柊木はいわれのない偏見で中学の時に孤立してたって言ってるんだぜ? そんな柊木を理由も分からずに突き放すなんて、俺にはできない。たとえ愛する柴崎さんの依頼であっても、だ。
「なんか、急にマジな顔になって。一体どうしたのよ」
「柊木、やっぱり、おまえには俺が必要なんだ。俺の尿道がな。なんなら肛門も付けてやる」
柊木は一瞬呆気に取られて、そしてにやりと笑って言った。
「ばーか。何言ってんのよ。まったく、石塚は。別にあんたのになんか興味ないって言ってるじゃん」
憎まれ口をたたいてはいたが、柊木のにやり顔には、少しだけ安堵感が漂っていることに、俺は気が付いていた。
◇
「えー、柴崎さんに嫌われる心当たりなんか、私、ぜんぜんないよ。そもそも接点なかったし。私のこと知ってることすら意外なんだけど。なんかイヤだなあ」
昼休みに、柊木とは関わるな、関わらなければもっと俺との距離が縮められる、と柴崎さんに言われた経緯を話すと、柊木は不満そうにそう言った。しごく当然の反応だ。
「柊木は柴崎さんのこと、前から知ってたんだろ?」
「噂を耳にした程度だけどね。一年の時は不登校気味だったのに、自宅学習明けから急に派手に社交的になった、あれは絶対彼氏ができたんだ、って噂になってたもん。二学期の始めごろ」
「うん。二学期に入って数人から告られたって言ってた」
「それはまた随分なモテ期到来なんだね。でもそれって、柴崎さんが石塚と私を遠ざけなきゃならない理由にならないよね」
「そうなんだよ。柴崎さん、昼休み、少し変だった。なんかいつもと雰囲気が違った」
俺たちは別々に学校を出て、校舎の外で落ち合い、うちの学生があまり行かない街はずれのコーヒーショップに来ていた。こそこそする理由はないと言えばないのだけど、やっぱり柊木といるところを誰かに見つかって、それが柴崎さんの耳に入るのは避けるべきだ。柴崎さんの目的が不明すぎる。でも、これじゃ隠れて制服デートしてるのとあんまり変わらない気がする。
ん? 俺と柊木はカップルじゃないからデートとは言えないな。俺はそもそも柴崎さんのカレシ――今のところまだ候補――だから、正確に描写するなら制服不倫、かな?
「しかし、なりゆきとはいえ、柊木と制服不倫することになるとはなあ」
何気なくつぶやくと、テーブルの向かいでホットラテをすすっていた柊木が珍しくぶほっとむせた。
「ばかっ。何言い出すのよ。人聞きが悪すぎるからやめてよ。なんで私とコーヒー飲むのが不倫になるのよ」
「あ、悪い。ものの例えだよ、ものの例え。一応、俺って、ほら、柴崎さんのカレシ候補じゃん? それなのにさ、こうして柊木と二人でこっそりコーヒー飲みに来てるだろ? それをちょっと描写してみただけ」
「くだらない妄想を描写してるんじゃないわよ。そんなことより、柴崎さん、なにがどう変だったの?」
柊木はどすんとホットラテのカップをソーサーに戻した。わりとガチで憤慨しているっぽい。確かに表現が多少不適切だったかもしれん。俺は反省して話を元に戻す。
「あ、その話だったな。昼休みの柴崎さん、なんか目が据わっててちょっと怖い感じがしたんだよな。あ、もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「分かった! ああ、そうだ、きっとそうに違いない。アレだよ。ユアが言ってた惚れ薬。きっとどこかでユアが惚れ薬を柴崎さんに使ったんだよ。それで分量間違えたんだ。そうか。どうもおかしいと思ったんだよ。いつもの柴崎さんの雰囲気じゃなかったし」
「んー、確かにそうかもしれないけど、ユアちゃん結局あの惚れ薬、使っていなかったんだけどなあ。でも、惚れ薬使ったにしては変な状態だよね。惚れ薬の効果なら、石塚のこと無条件で受け入れるみたいにならない? ちょうど石塚がハルカファーストだとか叫んでるみたいに」
柊木はフォークでケーキをつつきながら言った。ちなみに、柊木が食べてるチョコレートケーキは俺がおごった。なんとなくレジでカッコつけてみたくなったんだよ。こういう場面では男が出すもんだろ? でもこれで俺のなけなしの小遣いが柊木の腹に消えて行くと思うと、ちょっと悲しい。
「そうか? 俺のハルカファーストは昔からゆるぎないけどな」
「昔からって言っても二学期になってからの一目惚れなんでしょ? それとももっと前から知ってたの? 彼女のこと」
「いや。二学期あたまの委員会の顔合わせが初めてだったなあ。それまでは全然知らなかった。思えばこんな素晴らしい子がいることに、まるまる一年間気が付かなかったなんて、俺はなんて愚かなんだ。委員会の顔合わせで、俺は運命の出会いをしたんだ! そう、一目惚れ! ああ、やっぱ柴崎さん最高。尿道も肛門も捧げてもいい! きゃっ、恥ずかしい」
「そういうクソ面白くない冗談、キモいだけだからやめて」
柊木が冷徹に言い放つ。なんだ、てめー、人の金でチョコレートケーキ食ってるくせに。柊木が言わせたんだろうが。俺は恨めし気にアイスコーヒーのストローをくわえた。
柊木は、またくちびるの端を噛んで思案顔をする。こいつ、もの考えるときはくちびるの端を噛む癖があるんだな。
柊木の思案顔を見ながらアイスコーヒーをすすっていると自然と愚痴がこぼれた。
「しかし、惚れ薬のせいかどうかはともかく、困ったことになったよ。あんな柴崎さん、柴崎さんじゃないぜ。まったく別人だ。妙にエロかったし」
残り少なくなったアイスコーヒーをすすろうとした時、背後から甲高い声が聞こえた。
「あー、ケン、今『人の金でチョコレートケーキ食ってるくせに』って思いましたよねー。顔に書いてありましたよ! そういうケツの穴の小さいこと言う男は、モテない男だから近寄っちゃいけないって『カリスマJSサイオン・ユキが教える❢❢ めっちゃ簡単★ 人間界攻略パーフェクトブック入門編』に書いてありましたよー」
俺と柊木は同時に振り返って、聞き慣れていたハイトーンボイスのした方に目を向けた。
そこにはユアが満面の笑顔で立っていた。
「ユア!」
「ユアちゃん! 今までどこ行ってたの?」
ユアは笑顔のままワンピースのスカートの裾をつまんで膝を折る。このユアの動作、生前の川田結愛さんがバレエのメダリストだったことを考えると、しっくりくる。これはクラシックバレエの
「昨日の夜、調べものしてたら、今日は豪快に寝過ごしましたー。さっき起きたばっかなんですー。座っていいですか?」
柊木が返事するよりも早く、ユアは俺の隣の空席にちょこんと腰掛けて、肩のポシェットからパウチのゼリー飲料を取り出した。
「ちょっと失礼して『天上界直送ビタミンゼリー 天使のお目覚め ドリアンソーダ味』を食べさせてもらいますねー。ん? 飲ませてもらうかな? まあ、どっちでもいいです。ほとんど徹夜で調べものしてさっきまで寝ていたんで、お腹空いているんですー」
そう言うとパウチのキャップをひねってちゅうちゅうと吸い始めた。
「ユアちゃん、チョコレートケーキ食べる?」
「柊木、正確に言えよ。『俺におごってもらったチョコレートケーキ』だろ?」
途端に柊木の冷めた視線が飛んでくる。
「相変わらず言うことが小さいわね。肛門みたいに」
「別に肛門が小さくて何の不都合があるんだよ」
「あ、ケンもちいちゃんもおかまいなく、ですー。『天上界直送ビタミンゼリー 天使のお目覚め ドリアンソーダ味』で栄養取っておかないと、今晩はちょっと大捕り物になりそうですからねー」
「あら、そうなの。残念。今晩の捕り物ってなに?」
と言うわりには、さして残念そうにも見えない仕草で、柊木はチョコレートケーキを口に放り込んだ。こいつ、変態なだけでなくて、意外と食い意地も張ってるのかもしれない。
ユアはほとんど空になったパウチをくわえっぱなしのまま、両手でぎゅうぎゅうと絞りながら吸っている。こいつも食い意地張ってる系だ。肉食系女子の素質あり。イヤだねー。柊木みたいになっちゃうんだろうか。それとも天使はこのまま成長しないのかな。
「あ、ちいちゃん、よくぞ聞いてくださいました。ここのところ小さい悪魔がたくさん出るじゃないですか。
「へえ。教官は教えてくれたの?」
「いいえ、ぜーんぜん。教官、昔からケチなんです。授業で教えたはずだから自分で考えろって」
「なるほど。それで調べものしてて寝るのが遅くなったのね」
「そうなんですそうなんです。昔の教科書読み返したり、今回の悪魔の出現パターンをエーフォンのアプリで解析したりしてたら徹夜になっちゃいましたー。そしたらですねー、誰かがエサを与えて、あ、エサって人間の悪意なんですけどね、それで悪魔を飼っていると分かったんです。その誰かのところで増殖した悪魔が次々と『悪魔の種』をばらまいてるのに違いありません」
ユアは飲み終わったパウチをテーブルの上に置くと居住まいを正した。
「でも普通の人間には悪魔は見えないんでしょ? 見えないのに飼ったりエサを与えるとかできるの?」
柊木が冷静に聞き返す。ユアは一呼吸して、答えた。
「見えてなくても継続的に悪意というエサを与え続ければ、育つんですよ、悪魔は。そして満月の夜に分裂して増殖していきます。そのときに『悪魔の種』をばらまくんです。人間が『悪魔の種』に触れると、感情が歪むんです。たくさん悪魔を育てれば、よりたくさんの人の感情が歪んでしまいます。それがイーヴィルパンデミックです。それを防ぐには、おおもとの『悪魔に悪意を与えて飼っている人』を、これで撃ち抜かなきゃいけないんです。元から絶たなきゃダメなんです」
ユアはポシェットの中からピストルのようなものを取り出した。そんなものよく小さなポシェットに入ったなあ、と思うが、今はそんな些末なところにツッコむヒマはまったくない。ユアは真剣な顔でピストルを握った。
「悪魔が出るのは、あのダンス部のおねーさんがいるときなんです。しかもあのおねーさんには残留思念反応がありました。きっとあのおねーさんが悪魔を飼ってるので間違いないです!」
あ、川田さんか。確かに俺はカタツムリを三回退治している。最初は体育館でダンス部が練習していたとき、次が川田さんがスプレーを浴びたとき、その後川田さんを家まで送って行ったとき。なるほど、たしかに全部川田さんが絡んでる!
柊木が目を見開いて反論した。
「ユアちゃん、川田さんには悪魔は見えていないんだよ? 悪魔なんか飼えないし、飼ってもなんにもメリットなくない? そもそも残留思念反応ってなに?」
「メリットとか関係ないんです。何かに強い思いがあるのをキャッチしたんです。きっとなにか悪いこと考えてるんです!」
ユアはそう断言して、ピストルを握りなおした。
「 満月の夜は、つまり今晩です。今晩の『悪魔の種』の拡散は、わたしが阻止します。絶対阻止します!」
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