空想科学小説あるいはSF

明星浪漫

アポトーシス前夜

一定の年齢に達すると自然と死にゆく世界で、彼女は、明日死ぬ

昼間、私は目を覚ました。髪をかきあげて、うなじに触れる。すべすべした感触を撫でながら、鏡を見た。私は、二日後に、死ぬ。


明治・大正・昭和・平成・令和、そしてそれから幾度と元号が変わってきた今、皇国はアポトーシス計画を考案・実施した。私たち人間は、一定の時を過ごしたのち、平等に死を迎え、生を迎える。決められたそれは、およそ二十年──時に短く十年、時に長く四十年──で巡る。私の死は、二日後に訪れる予定である。我々国民のうなじに埋め込まれたパネルには、死までのカウントダウンが、日々揺れ動きながら表示されている。人に確認されなければ見えづらいそれは、自分の死が間近にあることを否応なしに知ってしまった人間が、他人を巻き込んで発狂しないための、政府の防衛策であった。パネルが埋め込まれた我々は、死を自覚して生きていく。我々の身体にある細胞に、隅々に、死のプログラムが伝達される。その日を迎えたら、死を自覚させられた細胞たちは一斉に、強制的に死を迎える。全てが溶けて、そして、また新しい数十年を生きるために生まれ変わる。およそ五歳ほどまで時を戻した国民は、管理している政府に引き取られ、数年養育され、そして父役、母役の人間の元に送り出されるのであった。

何故我々がこのように死を意識して生きているのか。ゆっくり思い出しながら、私はフードを深く被り、耳・鼻、そして口を、面式呼吸器─通称Maskと呼ばれる機器─で覆い隠した。深いパープルの背景に、ジャスミンの花が描かれている。技師をしていた、昔に死を迎えた父役の、作品だった。最初に開発されて年月を経ても、耳障りな音は改善されない。シュコ、シュコ──。

はるか昔、令和の時代に、猛威をふるったウイルスがあった。発端はそれである。当時の人間には学がなく、完全にウイルスを遮断できる呼吸器を作れなかった。それに限らず、インフルエンザだかインフルエンサーだかいう、毎年のように感染者を出すウイルスもあったという。そんなに汚染された環境で生活するだなんて、今となっては、考えられないのであった。我々は完全に菌を殺している家──Shelter──にいる以外は常に呼吸器をしている。呼吸器をつけずに外出、及び人と会話をするだなんて考えられない。それだけ外は汚いし、それだけ死ぬ日を早めるのである。感染しやすい人間、感染した人間はうなじのパネルが読み取って、迅速に死の時間を算出する。その平均が、二十年なのであった。死んで時を戻した身体は、政府が回収する。だから私たちは、他人の顔を知らない。感染しないことより優先することなど、ありはしないのであった。

「マツリカ」

家を出た。そして生まれた(・・・・)ときからそばに居る人が、私の名前を呼んだ。マツリカ、と。柔らかく、少し高い声だった。私はこの子の顔だけでなく、性も知らなかった。ただ、きっと、女の子だと思っていた。そうでなければ、少年、それも変声期前の。

「早く行こう。雪が酷いよ。店が閉まっちゃう」

この子──ツユキという名のこの子がしている呼吸器には、オレンジの背景に、カツオみたいな魚が飛んでいて、なんだかメンツユみたいだなと、失礼にも思っていた。

「どうしたの。トンチキな顔をして」

「トンチキな顔なんて、してないわ」

ツユキは私がどんな顔をしているのか透かして見る。言うには、目は口ほどに物を言うのだとか。分からない。目が細まったり、見開くくらいでは、その人の気持ちなんて分からない。口がへの字に曲がっていたり、口角が上がっていれば、分かるけれど。

「ほら、早く行こう」

ツユキが踵を返した。フードを被らないこの子のうなじが見える。

この子は、明日、死ぬ。私は明後日なのに。この子は明日で私を忘れて、私はこの子より一日も長い間この子のことを覚えていなければならない。

それはなんて、残酷なのだろうと思った。

私は誤魔化した。

「あなたは私の顔がトンチキだって言うけど、はっきり言って、あなたの呼吸器の柄の方がトンチキよ」

このときは私もこの子の顔が分かった。不満げな顔だ。

「なに?じゃあマツリカ、君みたいに花にでもしようか」

ツユキは嫌そうな声を出した。私は気づいていたけれど、両手を打った。

「それは良いわね。あなた、何の花が好きなの?」

ツユキは平らな胸をふふんと張って、細い腰に手を当てた。

「ユキノハナ」

「雪の花?──それは、花、なの?」

「花だよ。ほら──今も」

ツユキが前に差し出した腕に、雪が降った。黒いコートに、白く、六つの花びらをもったそれが、存在を強く主張する。

「何より綺麗な花だと思うよ」

目元が和らぐ。目が口よりも雄弁に語っていると理解した。

「ずるいわ」

「何が?」

ずるい、ずるい、ずるい!

「どうしてジャスミンが好きだと言ってくれないの」

ツユキは一瞬だけ黙った。それから、小さい子を諭すように言った。

「マツリカ、きみは面倒くさい女の子だったんだね。今日までにそれが知れて良かった」

私は呼吸器の下で唇を噛んだ。ツユキは、明日死ぬ。私は明後日、死ぬ。私は一日長くツユキのことを覚えていなければならない。

「泣きそうな顔をしないで、マツリカ」

「してないわ」

この子は明日。私は明後日。私はあなたのことを一日長く──。

「ねぇ、やっぱり私、あなたの顔が知りたいと思ったわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る