さらば真友よ
板倉恭司
取り調べ(1)
「ねえ、教えてくれないかなあ? 君がなぜ、あの女性の跡をつけていたのかを。やましいことがないなら、ちゃんと言えるよね」
目の前に座っているスーツ姿の男が、親しげな口調で聞いてきた。年齢は、三十代半ばだろうか。中肉中背で髪は短め、顔立ちも地味である。一見すると、オフィス街をうろついているサラリーマンという感じだ。
だが、彼は普通のサラリーマンではない。れっきとした刑事なのである。にこやかな表情を浮かべているが、目は笑っていない。
「いや、それは違います。僕は女性の跡など、つけていませんよ。偶然、同じ時間に似たようなルートを歩いていただけです。それが、何か罪になりますか? 罪名は何ですか? ちゃんと教えてください」
「そんなふざけた言い訳が、通じると思っているのかい。あの通りは、君の住まいからは随分と離れている。仕事帰りに、ふらっと立ち寄るような場所ではない。若者が遊びに行くような、華やかな町でもない。隠れた穴場と呼ばれる名店が、近くにあるわけでもない」
対する日村は、穏やかな口調だ。明彦を見据え、さらに語っていく。
「なのに君は、あの路地裏を歩いていた。あんなに
それは間違いない。刑事の言う通り、明彦は路地裏を歩いていた。
・・・
あれは、二時間ほど前のことだ。
確かに、明彦は
あたりは暗く、もう午後十時を過ぎている。にもかかわらず、彼女は人通りのない路地裏を、警戒する素振りもなくすたすたと歩いている。その視線は、手にしたスマホにだけ注がれていた。
事前の情報通りだ。この女、周りが見えていないアホである。そのアホさかげんを、地獄で後悔するといい──
その時、明彦は微かな違和感を覚える。何かが変だ。あまりに静かすぎる。虫の音すら聴こえないというのはおかしい
。
気づくと同時に、すぐさま進行方向を変えようとする。だが、遅かった。
「ちょっとすみません」
不意に、後ろから声をかけられた。明彦は、ハッとなり振り返る。
そこには、スーツ姿の男がいた。それも三人。思わず顔をしかめる。やられたのだ。
いや、大丈夫だ。自分は、まだ何もしていない──
「お話を聞きたいので、ちょっと署まで来てもらえませんか?」
ひとりの男が、警察手帳を見せながら言った。明彦は、すました表情で頷く。
「ええ、構いませんよ」
・・・
そんな過程を経て、明彦は今ここにいる。目の前にいる刑事は、さらに言葉を続けた。
「しかもだ、君のズボンのポケットにはスタンガンが入っていた。背負っていたリュックの中には手錠も入っていた。スタンガンや手錠などといった物騒なものを所持して、若い女性の跡を尾行する……この行動が何の目的なのか、どんな理由があったのか、詳しく聞きたいねえ」
厭味たらしい口調で聞いてきた。
明彦と刑事は、警察署内の取り調べ室にて、向かい合って座っている。両者の間には事務用の机が置かれており、明彦も刑事もパイプ椅子に座っていた。室内は狭く、四畳ほどしかない。さらに刑事の後ろには、もうひとりスーツ姿の若い男が控えている。立ったまま、無言で明彦を睨みつけていた。こちらも、刑事であるのは間違いない。一方、明彦の背後はコンクリートの壁である。当然ながら逃げ場はない。
この状況は、実のところ巧妙に計算されたものなのだ。狭く逃げ場のない部屋の中で、刑事ふたりと対峙している。しかも、こちらはたったひとりだ。取り調べを受ける側の、心理的圧迫感は凄まじいものがある。慣れていない者なら、聞かれてもいないことまでベラベラ喋ってしまうだろう。
「ですから、偶然です。スタンガンは、護身用ですよ。最近は、何かと物騒ですからね。あと、尾行とおっしゃいますがね、ただ単に僕と彼女が同じ道を歩いていただけです。それを尾行と呼ぶなら、世の中は尾行だらけになってしまいますよ。あなたたち警察の方こそ、あんな場所で何をしていたんですか?」
そんな状況にもかかわらず、明彦は同じセリフを繰り返した。表情は、先ほどと変わっていない。
刑事は、くすりと笑った。親しみとは真逆の、馬鹿にした笑いだ。こちらを怒らせようというのか。
「君は何を言っているのかな。聞いているのは、こっちなんだよ。同じ道というが、そもそもどこに行く気だったんだ? 具体的な目的地を教えてくれないかな。それとも、こんな簡単な質問すら理解できないほど頭が悪いのかな」
「すみません。申し訳ないのですが、何を言っているのかわかりません」
無表情で答える。この程度の挑発に乗るほど、明彦はバカではない。
「はあ? わかりません、ってねえ。そんな言い訳が通じると思ってるの?」
「一応、言っておきます。僕は中学生の時、ある出来事が元で精神疾患を患っていました。今も、月に一度はカウンセリングを受けている身です。そのため、たまにおかしな行動をとってしまうことがあるのですよ。自分でも、わけのわからない行動をね。あなたは、精神疾患を患う人間を差別するのですか? それなら、弁護士と相談し訴えさせていただきますよ」
差別という言葉に、刑事の顔つきが変わる。しかし、それは一瞬だった。すぐに元の表情に戻った。
「もちろん、君を差別するつもりはないよ。では、女性の跡をつけ回したのも、その精神疾患ゆえの行動のひとつだと言うのかい?」
冷静な口調で聞いてきた。この刑事、かなり手ごわい。
「だから、跡をつけていたわけではありません。たまたま同じ道を歩いていただけです。僕はね、考えや気持ちがうまくまとまらないまま、体だけが動いていることがよくあるんですよ。気がついたら、見知らぬ店でラーメンを食べていたことなどしょっちゅうです。一番驚いたのは、成田空港で搭乗手続きをしていた時です。途中で意識が戻ったから、すぐにキャンセルして帰りました」
明彦の方も、冷静な口調で答えた。
「なるほど、それは大変だね。まあ、その言い訳を検事さんがどう判断するかな。明日、試してみなよ」
その言葉に、明彦の表情が微かに変化した。
「どういうことです?」
「君は明日、東京地検に移送される。そこで、検事さんの取り調べを受ける。まあ、取り調べというほど大層なものじゃないけどね」
「ちょっと待ってくださいよ。僕の罪状は何ですか?」
「さっきも言った通り、スタンガンを正当な理由なく持っていたことによる軽犯罪法違反だよ。護身用、というだけでは通用しない。拘留するかどうかは、検事さんが決定する。もし拘留が決定したら、君はしばらく留置場で寝泊まりすることになるよ」
「なるほど」
「そんなわけで……ここからは、単なる雑談だ。取り調べではないよ。ここ数年間、若い女性が行方不明になる件数が異様に増えているんだよね」
言いながら、刑事は顔を近づけてきた。明彦は、その視線を真っ向から受け止める。
「ほう、それは知りませんでした。物騒な世の中ですねえ」
「その行方不明になった女性のひとりが、夜道を歩いている姿が、偶然にも防犯カメラに映っていたんだよな。カメラには、その女性の跡をつけていた若い男の姿も映っていた。それがね、不思議なことに君にそっくりなんだよね。これは一体、どういうことなんだろうなあ」
「僕が誘拐した、そう言いたいんですか? それ以前に、今回の件とは関係ないですよね。別件の取り調べをする気ですか?」
明彦が言うと、刑事は大げさな様子でかぶりを振った。
「おいおい、それは誤解だよ。そんなこと、一言もいってないだろ。第一、これはただの雑談だよ。取り調べじゃない。さっきも言ったじゃないか」
「そうですよね。別件逮捕は違法ですからね。これ以上は、何も話しません。今すぐ、弁護士の
「そう、別件逮捕は違法だよ。よく知ってるね」
にこやかな表情で、刑事は言った。
次の瞬間、その顔つきが一変する。
「あのね、警察をナメない方がいいよ。君が何をやったか、こっちはちゃんとわかっているんだ。弁護士の名前を出せば、ビビるとでも思っているのかい。こっちは今まで、海千山千の悪党を大勢取り調べてきたんだよ。まあ、覚悟しておくんだね」
凄まじい形相で言い放つ。が、直後にまたしても微笑んだ。
「これから、とっても長い付き合いになるよ。だから、名前を名乗っておこう。
やがて、明彦は留置場に戻された。こちらも、取り調べ室と似たようなものだ。四畳もないような狭い独房である。壁は白く、窓には鉄格子が付いている。床には、タイルカーペットが敷きつめられていた。扉には、鉄格子と金網が張られている。
そんな場所で、明彦はごろんと寝転ぶ。
明日、検事は拘留を決定するだろう。その場合、二十日間ここで刑事からの取り調べを受けることになる。奴らは、あらゆる手段を用いて自白させようとしてくるはずだ。
しかし、明彦には勝算があった。何せ、物的証拠はない。しかも、別件逮捕の疑いもある。後は、二十日間の取り調べに耐え切ればいいだけだ。
さらに、有利な材料がもうひとつあった。まだはっきりとは断定できないが、警察は大きなミスを犯している。少なくとも、その可能性が高い。このミスさえ証明できれば、こちらの勝利は確定である。
それにしても、独房は本当に退屈だ。狭いし、何もすることがない。
仰向けになり天井を見つめているうちに、なぜか幼い日のことを思い出していた。
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