第壱章 第陸節:試練
まず最初に、みことが「どうして山なんですか?」と尋ねた。
彼女が疑問視したように、二人が訪れたのは山である。
一颯の自宅からそう遠くないその山は標高350m未満と、山の中では小ぶりな方に部類される。
特に珍しいものがあるわけでもなく、鬱蒼とした木々が生い茂るだけの風景は、まだ日が高くあるにも関わらずどこか不気味さすらある。
細川みことは、年頃の乙女だ。それ故に、ひょっとするとここでいかがわしいことをされるのでは、とそう警戒してしまうのも無理もない話である。
生憎と一颯に、その気は欠片ほどもない。
ここへ訪れたのは、あくまでも別の目的があってのこと。
それを実施するためにこの山がどの場所よりも適していたからに他ならなかった。
「それじゃあ、早速始めるぞ」
「ふ、服を着たままするってことですか!?」
「もういい加減、俺お前にツッコミ入れるのしんどいんだけど。やっぱお前もう帰ってくれない?」
「ごめんなさい、さすがに悪ふざけがすぎました」
流れるような動作で深々と頭を下げたみこと。
「それよりも、どうしてこの山まできたんですか?」と、間髪入れずにみことが尋ねる。
「――、ここに来たのはお前の覚悟を見るためだ」と、一颯は淡々と答えた。
「覚悟? で、でもそれよりも大丈夫なんですか?」
「何がだ?」
「だ、だってここ山ですよ? 山ってことは誰かの私有地ってことですよね?」
「あぁ、それなら心配ない。だってここ、俺が所有する山だからな」
あっさりと答える一颯に、みことはぽかんと口を開けた。
「へ?」と、素っ頓狂な声をもらすみことに、一颯は苦笑いを浮かべる。
「そう言えば言ってなかったな。ここは俺の家……つまりは大鳥家が代々管理する山でもあるんだよ」
山の管理と言えば、確かに聞こえだけはよかろう。
実際のところ、一颯は私有山についてあまりいい感情は抱いていない。
時代が時代ならば、私財や権力の象徴としての効果もあっただろう。
現代ではもはや、大した効力はなく、管理費や固定資産税と金だけが無駄に消費していく。
はっきりと言えば、彼は山を手放したいという気持ちさえもあった。
だが、いざ手放そうとすると二束三文の価値しかなく、無償で赤の他人に明け渡すのも一颯は気が引けて、結果今でも山を所持している。
「山持ってるって、結構羨ましいかも」
「えぇ、そうかぁ?」
「だって、山ですよ山! 山があれば好きなことたくさんできるじゃないですか!」
子供だからわからないだけだっての……! さっきまで不安がっていた様子は微塵もなく、「ここでキャンプしたら楽しいかも!」と、一人はしゃぐみことを、一颯は制した。
「おいここには遊びに来たわけじゃないんだぞ」と、やや強めの口調でみことを一喝する。
「そ、そうでした……で、でも本当に今からここで何をやるんですか?」
「そいつは――ほら、これを使うんだ」
木箱の中にあった内の一つを、一颯は無造作にみことの方へと投げて渡した。
きれいな弧を宙に描いて、吸い込まれるようにすとんと彼女の手の中に納まったそれに「えっ!?」と、みことから驚愕の声があがった。
彼女が驚くのも無理はあるまい。
何故なら一颯が投げて渡したのは、一振りの日本刀であるのだから。
全長はおよそ
大して一颯も同様に日本刀を木箱からひょいと手に取る。こちらについては全長が
長さはさておき、互いに日本刀という同じカテゴリーの武器を手に対峙する二人の顔は見事にわかれた。
「ちょ、ちょっとどうして日本刀なんですか!? そ、それにこれ……」と、激しく狼狽するみことが、すらりと鞘からわずかに抜けば美しい白刃が顔を覗かせる。
見事な互の目乱れの刃文が特徴的な刃は、これでもかと入念に立てられている。つまりこれを用いれば対象はすっぱりと斬れるということ。
真剣を手にしたみことが狼狽するのは無理もない話である。
「お前、実家が剣術道場なんだろ? だったら真剣ぐらいもったことがあるだろ?」
対する一颯は、どこまでも冷静だ。
【
「あ、当たり前じゃないですか! だ、だってこれで……!」
「そう、今からお前とは本気で俺と戦ってもらう。遠慮は一切しなくていいぞ」
「そ、そんなの無理に決まってるじゃないですか!」
「じゃあ、これを最後にもう二度とこっち側にこないと誓え。それが条件だ」
怪異と対峙するとなると、もちろん戦闘行為は避けられない。
そうなった時、真っ先に死の危険が迫るのはみことの方だ。
彼女は、つい最近になって怪異を知ったばかりの女子高生にすぎない。
いくら剣術道場で心得があろうと、怪異の前では人技などなんの役にも立たない。
無駄に命を散らすだけ。そして守りながら立ち回れるほど、怪異も優しくはない。
「どうする? 大人しく諦めて帰るか?」と、一颯は早くみことが諦めることを、心の奥底から切に祈った。
「私は……」と、しばし沈黙が流れた後、みことはすらりと完全に鞘から払った。
日本刀特有の美しい刃が、完全に露わとなる。
鋭い切先がゆっくりと、
やっぱりこうなったかぁ……! みことの迷いない目に、一颯もほんの少し遅れて太刀を構えた。彼女と同じく、
「……抜いたからには、覚悟は見せてもらうぞ。生半可な太刀筋じゃ怪異には届かない。本当に親友を助けたいって思うのなら、俺をその敵だと思って全力で打ち込んでこい!」
「い、いきます!」
みことが勢いよく地を蹴った。
まっすぐと肉薄する彼女を前に、一颯は「へぇ」と感心の声をそっともらした。
実家が剣術道場であり、自身も少しやっている。彼女自身がそう口にしただけあって、刀の構えから体捌きなど、一般人と比較すればよく仕上がっている。
「やぁあ!」の掛け声と共に打ち落とされる太刀筋にも、一寸の迷いもなし。
ブレもなく、さながら稲妻の如き一撃は相手が相手ならばこれだけで勝負は決していただろう――あくまでも、人間が相手だったならば、の話だが。
「遅い」と、一颯は冷静にみことの太刀筋を切って落とす。
けたたましい金打音が山中にこだまして、火花が激しくワッと散った。
「この程度で怪異を倒せるって思ってたら大間違いだ。こんな太刀筋じゃあ掠り傷一つ付けるのア関の山ってところだぞ」
「ま、まだまだぁ!」
片方の白刃が目まぐるしく中空に銀光を描く度に、金打音と火花がその数だけ生じる。
こいつ、なかなかやるな……! 実戦経験のなさから脅威でない、そう認識していた一颯だったが、一合、二合……打ち合う度にその認識を改めた。みことの太刀筋は、意図も簡単に流せてしまうはずだったのだが、今は逆に純粋に力負けされている。
「こいつ……!」と、一颯はここにきてはじめて、焦りの
「やぁああああっ!」
閃光と見紛うほどの太刀筋だったが、その勢いが突然ゆっくりと失速し始めた。
原因は他でもない、太刀を振るう細川みこと本人にある。
「はぁ……はぁ……!」
「……もうこの辺りでいいだろう。終了だ、みこと」
あれだけ苛烈な攻めに防戦一方の一颯だったが、ひょいと軽やかな太刀捌きでみことの手から刀を弾き飛ばした。
「あっ……」と、声をもらすみことの顔には、大量の汗がじんわりと滲んでいる。
それこそが彼女の敗因でもあった。一颯とみこと、両者の勝敗を分けたのは技量でも筋力でもなく、体力の差である。日本刀の重さはだいたいが1キログラム前後、鉄の塊を休みなく連続して振るえば当然体力も大幅に消耗する。
付け加えて、みことの剣は、とにもかくにも先の先……要するに、攻めに重きを置いたものだった。
相手のリズムに合わせるのではなく、無理矢理にでもこちらに主導権を握らせる超攻撃特化型と言って差し支えあるまい。
対する一颯は、後の先……つまりはカウンターに重きを置いた剣だった。
二人の剣質を見やれば、どちらがより早く体力を消耗するかは一目瞭然である。
「はぁ……はぁ……も、もう無理ぃ……」
「三分間休みなくぶっ通しで刀を振るったんだから当然と言えば当然だな」
「うぅ……これでも一応、体育の授業だけは成績いいんだけどなぁ」
「授業と実戦とじゃあ全然違う。もしこれが人間同士による仕合だったなら、間違いなくお前は強いよ。だけど怪異が相手なら、よくてどうにか自分の身を守ることぐらいだ」
みことの身体能力については、一颯も素直に称賛している。
ただ如何せん、相手が怪異となると分が悪すぎる。
「……もうわかっただろ。お前が親友を救おうって気持ちは立派だと思う。だけどそのために自分を犠牲にしていいわけがないし、ましてや今のお前だと無駄死にするだけだ」
「…………」
口を固く閉ざして俯くみことに、一颯は尚も言葉を続ける。
「お前は今日で手を引け。そして二度とこっち側にはくるな。完全な約束はできないけど、お前の親友は俺が見つけてやる。救えるのなら救ってやる。だから――」
「いやだ!」と、みことの悲痛な叫びが一颯の言葉を遮った。
「いい加減に――」しろ、と続けるはずだった一颯だったが、その前に彼の肉体は大きく吹き飛んだ。
原因は、みことによるタックルを食らったこと。一見すると華奢な体躯である彼女だが、地を蹴ってから対象と接触するまでに1秒も掛かっていない。
また、体格や身体能力においても圧倒的優位にある一颯をも軽々と吹っ飛ばすほどのタックルである。剣術がなかなかできるだけの女子高生、とほんの数秒前まであった一颯の認識が再び改められた瞬間だった。
およそ3メートルまで吹っ飛ばされた一颯は、なんとか体制を立て直した。
「こ、こいつなんてパワーしてやがるんだ……!」
「わ、私はたしかに一颯さんに比べたら全然かもしれない……だけど、それでも美香子は私の大切な、大好きな親友なんです! だから、私が助けなくちゃいけないんです!」
「それでお前が死んだとしてもか!?」
「私は死にません!」と、きっぱりと言い切ったみこと。
迷いのない力強い瞳で、こうも断言するものだからさしもの一颯も「その根拠はどっからくるんだ!?」とすかさず追及した。
「具体的には私もよくわからないけど、でも大丈夫って自信だけはあります!」
「そんなものが認められるわけがないだろうが!」
根拠なき自信ほど、この世においてもっとも恐ろしいものはあるまい。
一颯がそれを嫌というほど知っているのは、同僚に同タイプの人間がいたから。
根拠もなく勘のみを頼りに動く問題児だった。
確かに勘によって解決した事件も少なからずある、しかし【
そうして勘を過信する同僚だが、つい先日殉職している。
「お願いします一颯さん! 私も一緒に……美香子を探すために手伝わせてください」
「みこと……!」
「一颯さんお願いします!」
「…………」
みことの必死な姿勢に、一颯はしばし静寂の後に「……わかった」と、もそりと呟いた。
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