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 暈人は人間ではない。安易に低次元の存在と一緒にしないでもらいたい。わざわざメモする事でもないので、レイジは思うだけにとどめる。ともあれミカの件は、エテルから連絡が来るまで保留するしかないだろう。彼女なら何とかできるかもしれないし、原因が分かるかもしれない。レイジはメモを書く。

 君の件は、同業者と合流するまで保留だ。それまで俺と一緒にいてもらう。

「分かった」

 ミカはひとつ頷いた。

 これからどうするか。ペンを走らせながら見えて来たのは、レイジ自身も意外な言葉だった。


 最後にどこへ行きたい?


 ミカに見せるかどうか、レイジは迷った。エテルからの連絡はまだない。普通上司に確認を取るべきだろうが、自分から念話を送るのは苦手だ。そもそも彼女自身から、緊急時以外の自発的な連絡が禁じられている。ならば、こちらもある程度自由にさせてもらおう。レイジは考えた。今日のところは、日が落ちるまでに合流できればいい。未練が送還の邪魔をしている可能性もある。

 最長日没までなら付き合ってやれる。そう書き加えて、ミカに見せる。彼女の顔から緊張がほどけていった。

「まずは、学校かなあ」

 まずは。その一言に厄介事の予感がする。レイジは後悔した。





 最初に連れて来られたのは、聖海高校だ。門前の標識に書いてある。彼女が着ているのはここの制服で、校門にある校章と学生鞄の校章が同じだ。よって、ミカの母校と判断できる。外の人気は少ない。時刻からして、今は授業中と思われる。奥から聞こえてくる多数の靴音や軽快な叫び声は、体育の授業のものだ。

 ミカは無意識に、生前の登校時と同じように歩いて行く。レイジより背が低い分歩幅が狭いので、追い抜かないように注意する。そのまま律儀に正面玄関から入ろうとするので、軽く肩を叩いて引き留めた。ミカは立ち止まり、不思議そうな顔でレイジを見上げてくる。レイジは横方向に歩き出しながら、控えめな手招きをした。せっかくだから、こちらのやり方でも見せてやろう。無用な交流を避けるという規則は、レイジの頭からすっぽり抜けてしまっていた。楽しかった。久しぶりの生き生きとした世界と、ごく普通の人間との交流が。

「どこ行くの?」

 レイジはもう一度、同じように手招きする。そしてゆっくり歩き出した。メモを書くのが面倒で省いたにも関わらず、ミカはきちんとついて来る。目的地は近くの壁際だ。



 レイジは何の変哲もない壁の前に立つ。向こう側には廊下があるはずだ。壁を指差して、軽く叩くふりをする。ミカはそのあたりをじっと見て、ぽつりと呟いた。

「壁でしょ」

 確かに壁だ。三次元構造体にとって障害物でも、四次元構造体にとっては違う。物理的に強固でも、特定の方向には隙間があるのだ。まあ見ていろ。レイジが腕を入れると、壁の中に埋まった。ように見える。三次元方向からは、いわゆる抜け穴が確認できないのだ。レイジが腕を抜くと、当然腕はまた現れる。全くの無傷で。

「はあ? なにそれ! どゆこと?」

 予測よりも気持ちのいい勢いで、ミカは食いついた。人間にとっては、まるで魔法に映るはずだ。彼女は腕と壁との境目を、おっかなびっくり眺め回す。もう一度同じ事をやると、動作に合わせて視線が追いかけてくる。だが全く理解できていない。間抜けな顔だ。自分が上位存在としてまだひよっこなのを棚に上げ、レイジはほくそ笑んだ。

「あーっ。もしかして、わたしをからかってるでしょ!」

 バレたか。何故だか余計におかしくなってしまい、表情筋が更に緩んでしまう。レイジは眼鏡を直すふりをして、顔を隠そうと試みる。

「下から丸見えなんだよー。口とかガッツリ笑ってるんですけどー」

 不満げな声が、脇の辺りから聞こえてきた。ミカが悔しそうな顔で、レイジを見上げている。面白い。人間は何でもない事も素直に驚いてくれるし、真っ直ぐに怒ってくれる。純粋でかわいらしい。



 確かに、ミカ単体で壁抜けは無理だ。しかしミカの手を引いてやれば、一緒に壁を抜けられる。彼女のしたいように学校中を回った。レイジは途中で、少し悪い事をしている気分になる。仕事をサボっているのだから、当然と言えば当然だ。しかしミカがあまりに楽しそうなので、まあいいと思い直した。生者に害を与えようとか、世界に傷を残そうとか、そういった意図はないのだ。最後のお別れを告げて回る行為くらい、許されてもいいはずだ。レイジはその機会がなかった。

 ほとんどの人間は幽霊など見えないのだが、存在に気がつく者がたまにいる。校内には二人ほどいた。レイジが見学中につき危険はない旨を書いたメモを見せると、釈然としない顔で元の生活に戻って行った。レイジの制御輪を見ると納得した。全員が全員、同じような反応だった。しかし、見学中とは一体、と思っただろう。自分で書いた身でありながら、レイジも同感だった。



 最後にやってきたのは、第二体育館裏だった。レイジは周囲を見渡して、平和を噛み締める。微風によって葉が揺れる音と、小さな鳥達の声がする。久しく聞いていなかった、レイジの好きな音だ。土の匂いは、いい匂いだ。レイジは上体を屈ませ、こっそりと植え込みに鼻を寄せる。ここの葉もいい色だし、何より匂いが素晴らしい。しかし、こんな場所に何の用事があると言うのだろうか。

 人為的に草木の揺れる音がした。ミカは植え込みを軽く叩いたり、覗いたりしながら、少し前を歩いている。何かを探しているにしては軽快な足取りだ。レイジは制御輪からメモを取り出す。ある一言をメモに書いて、ミカの前へ出る。彼女は立ち止まり、迷いなく手元を覗き込む。ミカもそろそろ、レイジとの会話に慣れてきた。

 何を探している? レイジはミカに問いかける。

「何も探してないよ。なんとなく、ここいいなって」

 予想外の答えだ。レイジは、メモとペンを持っている腕を下ろす。よく分からない。二年三組の教室でも、ほぼ同じやりとりをした。そのどれもが、楽しそうな顔だった。彼女はきっと、幸福な学生生活を過ごしてきたのだろう。楽しい事がたくさんあって、肉体を失った後も朧気に覚えているのだから。





 ミカが学校はもういいと言うので、歩いて校門を出る。門を通り過ぎた辺りで、ミカは立ち止まった。流れでレイジも立ち止まる。後方で学校のチャイムが鳴り出した。腕の時計を確認すると、時刻は正午だった。エテルからの連絡はない。レイジは、次はどこへ行く? とメモを書いて見せる。

「うーん。家……は、もういいや。何度行っても、誰もわたしの事見えてないし」

 見える人間が、家族の中に一人もいなかったのだろう。仕方がない。

「あ、思い出した。美龍万みるま水族館行きたいな!」

 水族館とは。レイジはメモを見せる。

「水族館知らないんだ。ふーん」

 ミカは得意気に口角を上げる。しょうがないから教えてやろうなどと言いながら、雑な解説が始まった。彼女には悪いが、現地生物の口頭説明よりも的確な資料がある。レイジはそれとなく、制御輪の中に情報があるか探す。水族館。水中や水辺の生物を展示、及び研究している施設である。展示生物は、貝類のような小さな生物から大型の海生哺乳類まで多岐に渡る。アクリルガラスの発明以降、巨大な水槽を作れるようになった。施設内は涼しい。

「ペンギンとか、イルカとか……あとジンベエザメもいいよね」


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