エクスマキナの祭壇

政木朝義

第一章 天使は既に死んでいる

一節 file ??/data.20××.12.24

1-1


 眠らない都市だったはずの塔京は、今静かに眠りについていた。信号機はいつものように動いているが、車の往来はほとんどない。この国一番の高さを誇る電波塔は、長らく節電モードのまま。電車は何ヶ月も前から運行していない。踏み切りの電源は、全て落とされている。深夜でもないのに飲食店街は闇に沈み、ビル群の明かりも数えるほどしかない。

 街中が暗すぎる。電気がついている場所があるのが、かえって不気味なほどに。昨年の今頃は、色取り取りのイルミネーションで華やいでいたはずだった。輝く街に飛び出して遊ぶ人間も、プレゼントを抱えて帰路を急ぐ人間も、酔っぱらって騒ぐ人間もいない。十二月二十四日とは思えない、異様な光景だ。


 闇の中、エンジン音が響いている。どこからともなく、近づいて来る。



 黒の中型バイクが、人気のない国道をのんびり走っている。誰もいないにも関わらず、律儀に法廷速度を守って。しかし、ヘルメットは被っていなかった。外出禁止令が出されていること、時刻が夜であること、何より今日世界が終わることもあって、往来は全くない。何キロか走って来たはずだが、歩道にも人っ子一人見当たらなかった。物流が停止しているため、トラックの類も見かけない。多くの電柱は逆さまで宙に浮いている。やたらと巨大な雀が、群れをなしてどこかへ飛び去った。救急車の音だけが近づいて、遠ざかって行く。


 目の前の信号が赤になる。中型バイクの運転手は速度を緩め、左足を出して停止した。こんな時に信号を守っても意味はないが、彼の気分的な問題だった。

 乗っているのはやや背の高い男だ。黒基調のジャンパーの下に黒いスーツを着て、黒いフレームの眼鏡をかけていた。髪も黒なら、瞳も黒っぽい。黒づくめの中ひときわ目につくのが、首回りを覆っているギンガムチェックのマフラーだ。別に死神ではないし、烏でもない。ただの公務員だ。この世界からすれば、特殊なタイプの。男は異常の原因を理解していたため、顔に少しの動揺もない。どうせまた、惑星管理局がやらかしたのだろう。ここに住んでいる者達にとっては、洒落にならない話だ。彼らにとっての地球は、たったひとつのここしかないのだから。


 彼は別段、急いでいる訳でもない。脱走中の身でありながら、または滅亡していく世界を目の前にしていながら、呑気なものだった。本人の社会的重要性が低いので、直接監視されている訳でもない。よって、誰も彼を助けに来ない。崩壊に巻き込まれたらそれまでだが、そうなったらそうなったで仕方ない。レイジという名前、彼に残ったたったひとつの個人情報すらも、今度こそ消えるだろう。

 停止ついでに眼鏡を整え、周囲を見渡した。ゴーストタウンの交差点の向こうに、眩しいほど輝いている一角があった。見慣れないチェーンのコンビニだ。ビルの一階が店舗になっているタイプの。

 バイクに乗ったまま、もう少し近づいてみる。窓越しに店内を覗くと、棚が壊れていたり、商品が床に落ちていたりする。天井の蛍光灯は、一ヶ所割れていた。ずっと前に営業放棄されたようだ。



 レイジはバイクを降りた後、念のため鍵をかける。思えば、この店舗には初めて来た。

 自動ドアが開いた瞬間、初めて聞く入店音が軽快に弾む。店内放送の音は、当然ながらしない。そもそも、去年の夏バージョンから更新されていないから、流しても意味がないだろう。雑誌棚は、去年の秋号のまま。期限の切れたキャンペーンの類が撤去されず、更新もされず長々と放置されていた。世界滅亡前キャンペーン。

 冷蔵庫の電源はどれも切れている。弁当やデザートの冷蔵庫はすっからかんで、酒も冷凍食品もすっからかん。缶詰めやワインなどの保存食類も残っていない。店内のありさまも相まって、なんとなく地球滅亡な雰囲気だ。まあ、これからそうなるのだが。ここまでめちゃくちゃになってしまっては、管理局も修復のしようがない。



「あれ、人だ」

 唐突な人間の声に驚いて、レイジは頭を上げた。両目はたちまちレジ内に釘付けになる。予想外なことに、なんと店員が一人いた。これほど歪んだ時空の中に、純粋な人間が取り残されている。

 名札には『宮本』とある。歳はレイジの外見とそう変わらなそうだ。つまり、二十代中盤。髪の下の方だけまだらに色が明るい。自分で適当に切っているのか、お世辞にも綺麗な髪型とは言えない。美容院の類は、とっくの昔にどこも閉店に追いやられていた。二千年代では別に珍しくもない、小洒落た眼鏡をかけている。レイジと目が合うと、彼の表情が少し明るくなった。興奮しておらず、かといって鬱状態でもない、静かに話ができそうな相手だ。さすがにもう、生きてはいなかったが。彼の頭上には、輝く小さな魂が浮いている。


 カウンターには、数種類の菓子が広げられていた。しかも、事務所から持って来た椅子に座っている。世界の終わりでなければ確実にクビになっているだろうが、世界の終わりなのでクビにはならない。よく見れば背格好が似ている。レイジの心に、謎の親近感がわいてきた。何となく眺めていると、彼は聞かれてもいないのに説明を始める。

「一ヶ月くらい前までは、もうちょっと食べ物あったんですけどね。目つきヤバめの人達が来て、手当たり次第持ってっちゃって」

 レイジは我に返った。返事をせず、厳密に言うと出来ないのだが……ホット飲料棚の前に立つ。選ぶ余地はなかった。まだ電源は通っており、ちゃんと温かい。発電所が動いている訳がないので、やはり時空が歪んでいる。小さなコーヒーの缶を、ひとつ手に取る。ブラックはこの一本が最後だ。そして静かに、レジの前に置いた。


 カウンター内の男は、不思議そうに無言のレイジを観察している。忘れていた。レイジは自分の襟を引っ張り、首に巻かれた包帯を見せる。彼は反応に悩んでいるようだった。これだけでは駄目だ。

 レイジは次の行動に移る。コートの内ポケットからスマホを出すと、電源ボタンを押して動く事を確認した。さすがにインターネットは繋がらないが、目的の作業はできる。メモ帳アプリを開き、店員さんですか? と短い文章を打ち込む。スマホの上下をひっくり返して、相手に画面を見せる。

 男はようやく、納得した表情になった。そして、一拍遅れて話し出す。両手を叩く動作つきで。

「あ、そういう。じゃあ聞いてくださいよ。僕は店長とか店員とか関係ないただの人で、食べ物があるかもと思って入った泥棒で、ロッカーに開けてない服あったんで丁度いいから着てるだけ」

 なるほど。つまり彼の名前は宮本ではない。どうして名札まで着けているかは不明だが。

「彼女ともはぐれちゃったし、もう最悪ですよ。ここにいたら、最後に一人くらい誰か来るかなと思って」

 理解した。さすがのレイジも、まともな人間に会いたいと思っていた頃だった。彼も同じ気持ちなら、ちょうどいい。うつ向いたまま、何となくテーブル上のメニュー表に目をやりながら考える。

「なんだよもう。自分から聞いといて、興味ないね……ふっ、みたいな」

 またリアクションするのを忘れてしまった。レイジは慌てて顔を上げ、首を二回縦に振った。それからポケットから小銭を出して、空のトレーに置く。

「お代はいいんじゃないですか。どうせ世界が終わるんだし、店員とかいないし」

 やはり彼の魂は落ち着いている。崩壊体化する気配もない。ここまで意志の通じる存在は、実に久しぶりだった。レイジの心に、突然ある衝動が湧き上がる。スマホを手元に戻した。熱に任せて、素早く文字を打ち込んで行く。


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