第22話 流れ星のような

 どうしてみんな、死に向かって平然と生きていられるのだろう。こんなに怯えてるの、あたしだけだ。あたしもみんなと同じになりたい。けど、同じになったらあたしもみんなと一緒で、平等というルールに従っていつか人生を終える。特別になりたい、あたしだけが特別の存在。でも、そうしたら、ずっと孤独だ。・・・・・・孤独のほうがいい。


「死にたくない・・・・・・ずっと、生きていたい・・・・・・」


 どうすることもできないことは分かってるのに、どうにかなってくれと願う。科学的根拠に打ちのめされた永遠という楽園を目指して、意味のない歩みを進める。その時間がとても空虚で、無価値で、けれど、これが最も、死から遠のく瞬間だ。


 お願いだから、永遠であってくれ。あたしの命も、この時間も。


 仕事だって、なんのためにやってるのか分からないし、稼いで貯めた金も、死ぬのなら貯めておく意味もない。こんなあたしを母親は心配してくれていたけど、そんな母親もいずれ近い未来、必ず死ぬ。いくらあたしを心配したところで、死ねばもう、その心配もなくなるのに。


 母親の望む立派な娘にあたしがなったとして、それでどうなる? 母親は、満足して、笑いながら、死ぬ? ほらな、結局、死ぬんじゃないか。


 もういやだ、あたしは死にたくない。死ぬのが怖い。ずっと生きていたい。呪詛のように、何度も、何度も、呟いた。


「兎羽さんの気持ちは分かりました。けれど、今は行かなければなりません」


 切奈ならあたしに優しくしてくれるって思ってた。けど、目の前の切奈は、険しい表情であたしの手を取り、祈るようにあたしを見上げる。


 あたしは心に空いた穴を、切奈に埋めて欲しかった。あたしが泣いていたら「どうしたのですか?」って顔を覗き込んで、あたしがワガママを言ったらそれに付き合ってくれる、そういう存在にしたつもりだった。


 設定は間違っていない。でも、じゃあ、なんで切奈はこんなにもあたしを危険な場所へ連れて行こうとするのだろう。


「兎羽さんは、こんな地べたにいつまでも座っているような人じゃないでしょう。あなたにはもっと、青い・・・・・・空が似合います」


 そう言って、切奈があたしの手を強引に引くと、一目散に来た道を戻り始めた。


 切奈のものとは思えない強い力に、あたしは抗うことができなかった。先ほどとは真逆の立場となったあたしは、近づいてくる街の光に怯えながら息を切らした。


 あたしはこの世界に来てから、永遠を見たり、死を見たり。目に映るすべてのものを見渡している。だって生きていくには、いろんなものに気をつけなくてはならないから。


 空から鉄柱が落ちてきたら。横から暴走車が突っ込んできたら。人混みの中から頭のおかしい殺人鬼があたしを狙っていたら。そうやって一つ一つ、死に直結するものから避けながら生きていかないといけない。


 それなのにどうして切奈は、こんなにも真っ直ぐ前だけを見ていられるのだろう。


 街へ戻るには三十分ほどかかった。それまでずっと止まることなく走り続けた。あたしが立ち止まろうとしても、切奈は強い力であたしを引っ張って休憩を許してはくれない。


 途中から切奈の方が体力に限界がきていたのは、肺を通る痛々しい息切れを聞けばすぐに分かった。走る速度も遅くなり、あたしが少しでもスピードを早めれば切奈を追い抜くことはできた。けど、そうすると切奈はムキになってあたしを追い越そうとする。


 何が切奈をそこまで突き動かすのだろう。


 街に着くと、地面には死体が多く転がっていた。酷たらしい惨状にあたしは吐き気を催したが、切奈は気にせず前へ進んだ。


「大丈夫です、まだ助かります」

「なんの根拠があってそんなことが言えるの。思いっきり撃たれてるよ。内臓だって出てたし、人が死ぬには充分な損傷だよ。結局人間っていうのは内臓によって活動を制御されてる生き物なんだから、内臓がなくなれば死ぬし、脳がなくなれば意識もなくなる。よく霊とか魂とか言うけど、それって科学的に考えれば――」

「ごちゃごちゃうるさいです! いいから明日花さんを探してください!」


 切奈に怒鳴られて、あたしは面食らって二の句を継ぐことができなかった。


「そんなことよりもっと考えることがあるはずです! 兎羽さんは頭がいいんですから、分かるはずです」

「なに、それ。じゃあ切奈はこの惨状をどうしろって言うの? 考えて分かることなの? 人間、考えて考えて、必死に悩んでも答えが出ないことだってあるでしょ。今がそうだよ。死に直面した人間にできることなんかないんだから」

「タブレットを確認してください。地図アプリで明日花さんの居場所を探しましょう」


 切奈は額から汗を流して、膝を震わせている。バカみたいだ。あのまま逃げ続けていれば、今頃楽になれていたのに。


「近くにいる、でも動いてない。一応心拍は動いてるけど。でも、だいぶ数が少なくなってる」

「負傷しているのかもしれません。早く向かいましょう!」


 先陣を切る切奈を、あたしは必死で追いかけた。体力でも、脚の速さでも勝るはずのあたしが切奈の背中を追ってばかりなのは、きっと心が負けているせいだろう。でも、負けたっていい。勝った負けた。そういう一瞬でしかない感情なんて、死んでしまえばなんの価値もないのだ。


 近くにロボットがいないのを確認してから、あたしたちは繁華街の中心を抜けて、人気の少ない路地の裏を目指した。取り付けられた換気扇から料理の香りが漏れている。飲食店かなにかの裏側なのだろう。地面に油の浮いた、そんな狭苦しい場所に、明日花は倒れていた。


「明日花さん!」


 切奈はすぐに駆け寄った。


 しかし、あたしは脚を動かすことができなかった。


 地面に浮いた油に、赤黒い血が混じっているのが見えたからだ。


「ああ、百瀬ももせセンパイ。それから、人工知能か」


 明日花は虚ろ気な顔で壁を見つめていたが、あたしと切奈のことは認識できているようだった。


「しっかりしてください! いま止血をしますから」

「どうせ助からないからいいよ。自分の身体だからよくわかる」

「そんな・・・・・・」


 明日花は力の入っていない手で、切奈のことを振り払った。


「百瀬センパイ、どうして戻ってきたんですか? 永遠は、あっちにはなかったですか? まさか、私のことを助けにきたんじゃないですよね」

「それは、切奈が言った。切奈があんたを助けに行こうって」

「そうですか。優しいですね。きっと優秀なプログラムが内蔵されているんでしょう。よくできた機械です」


 明日花は口から血を吐き出すと、壁に寄りかかる力もなくなったのか地面にずり落ちた。腹に、三つの穴が空いているのが見える。ツンとするような鉄の臭いに、あたしは思わず口を押さえた。


「どうすれば、明日花さんを助けられますか」


 切奈がぐっと拳を握っている。その悔しさは、どこから生まれるのだろう。あたしには、今の状況が恐怖でしかない。早くこの場所から立ち去りたい。そうしないとあたしもいずれ、明日花のように、死を待つだけになる。そんなの嫌だ。


「なんだ、百瀬センパイってやっぱり嘘つきだったんですね」

「嘘なんか付いた覚えはないんだけど」

「付いてますよ。昔っから嘘つきです。お姉ちゃんのお見舞いに来たとき、病室の前の廊下で話してましたよね。『病気なんて笑っていればなくなるんだ。あたしが切奈を笑わせて、病気なんかやっつけてやる』って。全然、ダメだったじゃないですか。お姉ちゃん、助からなかったじゃないですか」

「そんなの、子供が信じる夢物語みたいなものだよ。現実っていうものを知らなかったんだ」

「それでも、私は百瀬センパイのその言葉に救われたような気がしたんです。もしかしたらお姉ちゃんは助かるかもって。でも、ダメでした。百瀬センパイは死んだお姉ちゃんを見てすぐに逃げて、それからお墓参りにも来なくなりました。百瀬センパイは嘘つきです」


 時々会ったときに、よく明日花に睨まれていたことを思い出した。


「だから私は、あなたのことが好きじゃありません」


 そう言って明日花は長い、長い息を吐いた。まるで身体の中にある必要なくなったガスを外に排出しているかのように。


 もうじき死ぬ。その事実を、明日花の身体が身をもって示していた。


 短い間だったが、明日花とはここ最近よく話すようになった。相変わらず派手な見た目で、研究所で働いているわりには俗っぽい言動ばかりで。時々垣間見える地頭の良さが憎たらしくて、でも、人をよく観察しているところもあって、どんな人ともすぐ仲良くなれるのは明日花の良さだった。明日花の愛嬌に、あたしも絆されたことは何度かあった。


 生意気なのに、子供っぽいその笑顔を見ると、なんとなく許してしまう。明日花は、そんな奴だった。


 そんな奴が、今、死のうとしている。明日花の良いところ、悪いところ。これまで過ごした思い出と時間を、全部無意味なものにしようとしている。


 これが死か。これが終わりか。目の前で起こる人生の終焉に、心が痛んだ。


「・・・・・・勘弁してくださいよ」


 明日花は眠たそうな目であたしを見上げていた。


「永遠が欲しいんでしょう? なら、私が死んだところで関係ないじゃないですか。百瀬センパイは百瀬センパイの望むものに向かって進めばいい。それなのになんで。そんな悲しそうな顔をするんですか」


 あたしは自分が今どういう顔をしているか、分からない。


「ホント、嘘つきなんですから・・・・・・ケホッ」

「明日花さん・・・・・・! ごめんなさい、もっと早くここへ向かっていれば」

「あはは、ディスられてますよ百瀬センパイ。設定、間違ったんじゃないですか?」

「・・・・・・切奈は、そういう奴だよ。良い子ちゃんだと思ってると、痛い目見る」

「そう、ですか。私の知らないお姉ちゃんも、やっぱりいたんですね。思い出を反映するのに、機械はとても便利です。これからも人間は、人工知能に頼って、利便性というものに溺れていくんだと思います。そんな未来、私はクソ喰らえなので、もしかしたらここで死んでよかったのかもしれません」


 諦めたように言う明日花の気持ちを、あたしは理解できなかった。死んでよかったなんて、あたしは口が裂けても言えない。


「ほら、お姉ちゃんを模した人工知能。妹の私に、言うことはないの?」


 明日花が最期の力を振り絞るように、ゆっくりとその手を切奈の頬へ伸ばしていく。


 切奈はその手をゆっくりと握ると、もう片方の手で、明日花の髪を優しく撫でた。


 最期の言葉を選ぶように目を瞑り、そして。


「綺麗な、髪色ですね」


 まるで遊んでいるときのような明るい口調で、そう言った。


「・・・・・・やめてよ、もう」


 そう呟くと、切奈が握っていた明日花の手が、ストンと地面に落ちていった。


 眠るように閉じられている明日花の目には、微かに涙が浮かんでいた。


 切奈の身体をゆっくりと地面に降ろすと、切奈が赤く腫れた目であたしを見た。


「明日花、夢見てたのかもね。機械とか人工知能とか、お姉ちゃんとか言ってたけど、たいした意味はないと思うから気にしないでいいよ」


 あたしはこの世界が終わってしまうことをまず恐れた。こんな異常事態に利用規約が通用するのかは微妙なところだが、あたしにとってこの世界は、唯一残された永遠への道だ。


 この世界がなくなったら、あたしはまた、元の世界に戻らなくちゃならない。


 あたしはこの世界に居続けて、いつか脳が機械に浸食される日を待つんだ。そうすればあたしの意識は――。


「これが、永遠です」


 切奈が鼻を啜りながら、あたしを睨むように見つめていた。


「自分の大切な人が次々に死んでいく。悲しい涙を流しながらも、自分は死ぬことはできず、大切な人と過ごした記憶や思い出も徐々に風化していき、いつしかその人と出会ったことさえ忘れてしまう」


 切奈は立ち上がってタブレットを確認すると、その指を画面上部に伸ばした。


「兎羽さんはそれでも、永遠を望むのですか?」

「だって、そっちのほうがいいでしょ。大切な人の死を見るのは辛いし、思い出が薄れていくのは悲しいことだよ。でも、そんな感情も生きているからこそ抱ける。死んだら悲しむことすらなくなるんだよ? あたしは永遠がいい。どんなものよりも、他人の死よりも、あたしの生が一番大事なんだ」


 大事なんだ。なによりも。反響する自分の声に、耳鳴りがした。


 そんな時だった。


 すぐ近くで女性の悲鳴が聞こえた。いや、女性というよりも、女の子?


 でも、利用者の中に幼い子は見当たらなかった。それにもう、利用者はあたし以外全滅している。ただ、悲鳴の原因が、あのロボットたちであろうことだけは瞬時に理解できた。


 何してるあたし。ここにいては危ない。早く逃げないと。


 分かっているのに、あたしはその悲鳴の方へ向かう脚を止めることができなかった。


 開けた広間の中心に、ロボットが四体。何かを囲んでいた。


 その中でまた、悲鳴が聞こえてくる。


 羽虫みたいに小さく、風が拭けば消えてしまいそうなくらい儚くて、子供っぽい、力のない声。


 この声は。


 ・・・・・・小枝? 

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