第36話 (Other Side)置き去られた者たち

「……こんな、弱い魔人などでは」

「ダメだ、……ダンジョンの、魔圧が」


 倒れておった魔導師たちが、隅でなにやらモソモソ言うておる。

 現れた魔人族の複製オイラディアが期待外れと言いたいらしいがの。わしが魔力を貸さねば術式の起動もできんかったお前らに、とやかく言う資格はないわい。


「エテルナ、魔圧がどうのと聞こえたが、あやつらはなにを言うておるんじゃ」

「つよ~い魔人、ダンジョンの最深部おくに現れたら、なかの魔物が怖がって、外に逃げて、あふれる?」

「あ?」


 なんじゃその、アホらしい話は。わざわざ大量の魔力を注ぎ込んで、出来損ないの魔法陣でブサイクな魔人族もどきを生み出した目的が、魔物を追い立てるためと抜かすか。

 ダンジョンが活性化して魔物が溢れるとか聞いておったが、王国と帝国の阿呆どもが、必死に溢れさせようとしていたわけじゃな。


「まあ、ええわい。魔人の錬成は失敗に終わったし、成功したところで溢れる魔物はもうおらん」

「「なにッ⁉」」


 愕然とする魔導師どもは無視して、エテルナにダンジョン・コアを収納してもらう。鞘豆型になったエテルナに乗って、テネルとわしは地上への帰路につく。


「ま、待て……ッ!」


 後ろで魔導師どもがなにか言うておるが、知らん。殺さんだけでもありがたいと思うがよい。魔物はあらかた殲滅したとはいえ、ダンジョン内の一匹残らずというわけでもない。特に深層の魔物は、弱り切った魔導師が前衛もなしに戦える相手ではない。生き残りがおったら、それで終いじゃろうな。


「へーか、オイラディアが」

「どうかしたか?」

「くずれてく」


 エテルナに言われて振り返ると、オイラディアの複製が狼狽うろたえながら呻き声を上げておった。その腕がぼそりとげ落ち、砂のように流れて飛散する。

 魔力の供給を絶たれただけで形を保てなくなるとはのう。三流術者が組むと、術式はここまで脆くなるのか。


「もうよい、ゆくぞエテルナ」

「あいさー!」


 鞘豆型スライムは地上目掛けてスルスルと静かに加速し始める。ダンジョン内に散らばった魔珠や魔物素材を超高速で回収しながら、あれこれと平行化個体パラレルドの視界や収集した情報を思念連結パス経由で伝えてくる。

 わしの後ろで静かにしておったテネルが息を呑むのがわかった。


「父が」


 平行化エテルナから送られてきたのは、男を肩に担いだスタヌム伯爵がひとりで敵陣へと歩いてゆく姿だった。



◇ ◇


「手出し無用」


 クレーデレ・スタヌムは、それだけ言い残して自陣を出る。相手はスタヌム伯爵領軍の統制権を持つ領主にして貴族。兵が逆らうことは許されない。

 それでも、領兵指揮官アンプルスは苦虫を噛み潰した顔で抗議の唸り声を上げた。


「心配するな。すぐ戻る」

「それが問題なんでしょうが」


 クレーデレは鼻でわらって、意識のない若造を肩に担ぐ。

 最後まで我慢して能書きは聞いてやった。対価は鼻面に叩き込んだ拳の一撃だ。顔の形は変わっているが、軍使は無事に返してやろう。少なくとも、敵陣までは。

 “不屈”と“報恩”は、スタヌム伯爵家の信条だからな。


「“置き去り男爵”が来たぞ!」

「まだ射るな! 軍使を人質にしている!」

「卑しい成り上がりめが!」


 敵兵の罵りを聞きながら、クレーデレは敵陣までの二十四メートル弱十三間をゆっくりと進んでゆく。重装騎兵が身に着けているのは、帝国軍の甲冑だった。歩兵と弓兵は半分が王国軍で、部隊指揮官は近衛の赤外套。

 それで王都の状況がわかった。

 やはり帝国の侵略を受けたのではない。無能な王子が国を売ったのだ。対価は己の保身か、帝国での地位か。なんでもいい。どうせ受け取ることなどない。


「軍使を放せ! 帝国貴族に手を出せば、伯爵家は国賊になるぞ!」


 クレーデレは乾いた笑いを漏らす。

 常に国のため血を流し、命を捧げ続けたスタヌム家を国賊と呼ぶか。王国近衛兵の赤外套を羽織ったまま、敵軍を率いている男が。


「取りに来い」


 クレーデレは意識のない若造を肩から降ろし、片手で首をつかんで立たせる。

 長剣は自陣に置いてきた。槍も兜も甲冑もだ。身に帯びた武器は、わずか百二十センチ四尺の短剣だけ。

 手槍を構えた敵の歩兵が七名、ジリジリと近づいてくる。もう少しで、手槍の間合いに入る。単身で現れた伯爵の武器が短剣しかないことに気づいたのだろう。兵たちの顔が勝ち誇ったように緩む。


「軍使を、解放しッ、ろぼぶ!」


 大きく一歩、踏み込むと短剣を抜き打ちで一閃。二名の頭を水平に割る。突き出された槍の穂先を軍使の身体で受け止め、さらに四名の首を掻き斬る。最後に残った兵が逃げようと身をひるがえす。一斉に飛んできた矢がクレーデレもろとも生き残りの兵にも降り注ぐ。


「殺せ!」


 軍使の死体は捨てた。生き残りの兵士を後ろから抱え上げ、矢を受け止めながら突進する。脚から腰に魔力を循環させ、全力で振り回すと近衛目掛けて死んだ部下を投げつけた。

 頭から叩き付けられた死体に跳ね飛ばされた近衛は血飛沫とともに転がる。その頃には、もうクレーデレは敵陣に踏み込んでいた。


「どうした」


 赤黒く染まった短剣を血振りして、“置き去り男爵”はにんまりと笑みを浮かべる。


「お飾り王子の走狗いぬは、その武器も飾りか?」


 敵味方どころか味方だけが入り乱れた戦場で、弓兵は狙いをつけられず、騎兵は突進力を生み出せない。もはや手槍すら振り回せず、長剣は振り抜くたび味方ばかりを傷つける。

 百を超える兵を揃えながら、彼らは武力衝突を想定していなかった。戦いになるとしても、魔物の群れに背後から襲われ、逃げ惑う伯爵領軍の残党狩りだと。誰もが思い込んでいた。

 その甘えで初動が遅れ、後手に回る。たったひとりの、短剣しか持たぬ男に。


「怯むな! “置き去り男爵”は単身ひとりだぞ!」

「退くな! 押し包め!」


 腰を落とし滑るように、クレーデレは敵陣を駆ける。短剣が首を斬り、腹を裂き、腕や頭を薙ぎ払うたびに、刀身は赤黒い光を帯びてゆく。

 かつて恩師から賜った短剣は、何度もクレーデレの命を救い、愛するものを守る力を与えてくれた。魔圧が低いと鞘から抜けず、魔力が弱いと心を蝕む。紛うことなきだった。


「むぐッ、あ」


 最低限の動きで、敵の攻撃を避ける。ほんの半歩。首を振り身体を流して、敵との間に他の敵を入れる。味方を巻き込むのを嫌って攻撃を止めた瞬間、ひとりの腹を抉って、もうひとりの首を落とす。突き出された穂先をするりとかわしながら、踊るように身を入れ替えて指を飛ばし、手首を断つ。

 乱戦のなかでは、とどめを刺さない。血まみれで身もだえ、悲鳴を上げて転げ回る。その姿が残る敵から、確実に士気を奪ってゆく。

 

「止まるな!」

「殺せ!」


 声の大きい者ほど地位が高い。安全な場所から居丈高に命じるだけだ。その理不尽さが兵たちの間に、苛立ちと憤りを広げてゆく。


「次は誰だ」


 静かに問う声が、なぜか敵を戦慄させる。


「さあ」


 後に“置き去り男爵”と揶揄されることになる絶望的な撤退戦で、クレーデレは目覚めた。死を恐れなくなったわけでも、強者の力が開眼したわけでもない。

 優に四百を超える敵が迫り、自分は六十を切っていた。戦いのなかで、ただ淡々と殺し続けただけだ。目の前の敵を、ひとりずつ、着実に。


 静まり返った戦場に、ひんひんとすすり泣く声だけが響く。それは致命傷を負い死を待つだけの兵たちが上げる、末期の呻きだ。

 残るは、重装騎兵が十と少し。高価な重甲冑に身を固め、勇壮な騎兵槍を携えた彼らは混成軍の最大戦力でありながら、最も戦意を持たぬまま生き残ってしまった。


「どうした。掛かってこい」


 クレーデレは笑みを浮かべ、騎兵たちに歩み寄る。重装騎兵に平民などいない。下級貴族に維持できるわけもない。帝国の上級貴族、それも軍閥貴族であることは明白だった。そんな生え抜きの強者たちが、馬上で身を強張らせたまま、信じられないものでも見るような顔でクレーデレと対峙する。


「置き去りにされたのは」


 近づいてくる伯爵の背から、赤黒い靄のような魔力が立ち昇る。それは悪魔でも乗り移ったかの如く、ゆらゆらと揺らめいた。


「お前たちの方だったな」

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