第25話 (Other Side)転生者アリウス
テネルがアリウスに初めて会ったのは、まだ十二歳の頃。アダマス公爵領で主催されたお茶会だった。
ふだん領地にいて社交の場に出ることが少なかったテネルだが、来年十三歳になれば王都の学園に通うことになる。その前に、高位貴族の子弟たちと最低限の顔つなぎが必要になることは理解していた。
その最初の一歩として選ばれたのが、
「お父様の、お友だちなのですか?」
「……ああ、そうだ。しかし……」
伯爵の言葉は、珍しく歯切れが悪かった。貴族家の家長として、娘に対してでも言えることと言えないことはある。テネルは、理由について詮索するのはやめた。知りたければ、自分の目で確かめれば良い。
「いま公爵家には少し、複雑な事情があってね。お茶会はテネルには、気詰まりするものになるかもしれない」
「大丈夫です、お父様。わたしは、お父様の娘ですから」
そう言って乗り込んだお茶会は、父親の言った通りの……あるいはそれ以上に気詰まりするものだった。
なぜか主催者となるはずの長子アリウスは不在、お茶会の場は公爵家の次女ミセリアがすべてを取り仕切り、取り巻きが追従と愛想笑いを繰り返す。話題はドレスと宝飾品と菓子の流行から始まり、あとは招待していない他家令嬢に対する揶揄と、他派閥への誹謗中傷に終始した。
貴族子女の社交というのがそういうものだと、頭で理解はしていた。とはいえ、これまで比較的近しい貴族家との穏やかな付き合いがほとんどだったテネルには、拷問に近い時間だった。
「それで、あなたはどちらの御令嬢だったかしら?」
「スタヌム伯爵家の、テネルです」
取り巻きのクスクス笑いとともに何度も繰り返されるやりとりにも、テネルは半ば苛立ち、半ば呆れた。
こちらが公爵家から見て取るに足りない伯爵家の子女だと、思い知らせたいのかもしれないが。社交の場において上位の者が知識と情報を持っていないというのは――たとえそれが意図したものであったとしても――貴族として無能の証明でしかないのだから。
自らを貶めるだけならともかく、いまミセリアが汚しているのはアダマス公爵家の家格だ。
「……あのときは傑作でしたわね。まさか、あんな結果になるだなんて」
「失礼、あちらの方々には、わかりませんわね」
「仕方ありませんわ。田舎に篭ってらしては、中央で起きていることなどご存じないのも当然でしょう?」
「ふふふ……♪」
ミセリアと取り巻きは仲間内だけが理解できるような話題で盛り上がり、新たに招待されたテネルと数人の令嬢はお茶のお代わりさえないまま置き去りにされている。
説明もなく、話題に加えるでもなく、投げかけられるのは無知を嘲笑うような視線だけ。
彼女たちの口から嘲笑とともに囁かれる“まぬけ”というのが、この家の長子アリウスを指しているのだということは文脈から読み取れた。公爵家が、想像以上に危機的状況にあることもだ。
ミセリアの愚行は、母親アヴァリシアの差し金なのだろうか。アダマス公爵家の後妻でありながら、王国貴族の中で派閥が違うプルンブム侯爵家の出身。国王陛下の采配による政略結婚であると大人たちの噂で聞いていたが。
王国の貴族政治を
◇ ◇
手洗いを借りるとの名目で庭園に出たテネルは、そこでアリウスに出会った。
「失礼いたします、アリウス様」
「……どうぞ、スタヌム伯爵家令嬢テネル様」
お互いに最低限の愛想だけで交わした挨拶だったが。そこで相手の知性と感性を理解した。
アリウスは無関心そうに見えて、テネルが何者かを瞬時に判断したのだ。アリウスとは面識がなく、今日のお茶会にも出ていないというのに。
「本日はアダマス家にご紹介いただいたというのにご挨拶が遅れ……」
「社交辞令も虚礼も必要ありません。わたしのことは、どうかお構いなく」
「……ええ。わたしも、そう言える勇気と力を手に入れたいと強く思いました」
適切な距離感から半歩だけ踏み込むと、アリウスはようやく、テネルに関心を持ったような目を向けた。
厳しい教育を受けた高位貴族の令嬢であれば、すべての貴族家と子女子息の名前が頭に入っていることは有り得なくもない。とはいえ、それもパーティやお茶会でどのような人物かを知ってからだ。会ったこともない人間を、初見で判断できるものではない。いまテネルはひとりきり、紹介も連れもなく着衣や持ち物に家紋や特徴もない。考えられるのは、妹のお茶会に出席する者をすべて知った上での消去法か。ミセリアの様子を見る限りでは、姉に情報を与えるようには見えない。
そもそも、アリウスは顔を上げる前からテネルの名前を口にしていた気がした。
「もしかして、ミセリアのお茶会に来るのは初めてですか?」
「ええ。そして最後です」
吐息まじりにテネルが言うと、アリウスはくすりと笑う。
それから少しの間、ふたりはその場で話をした。他愛もない、身もない、意味もない会話だったが。
話していて気持ちが引き合うのを感じた。それは好意ではなく、共感。それは不思議な感覚だった。
「この世界のひとで、話が合ったのはあなたが初めて」
ぽそりと呟いた言葉が、テネルの耳に届く。褒められているのだろうと理解はしたが、“この世界”という聞き慣れない表現が少し頭に残った。
干渉すべきではないと判断したテネルだったが。ふとした沈黙の後で、アリウスは真っ直ぐに見返してきた。
その目にあったのは、わずかな怖れ。
「……テネル様、お聞きいただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「もちろん。アリウス様がお望みであれば、なんでも」
その怖れはテネルに対してではないようだが、なにに対してのものかはわからない。
それでも。テネルは初めて会ったばかりのアリウスのために、なにかを行いたいと。助けになりたいと思った。
それを伝えると、不思議な公爵令嬢は息を吐いて自らの身の上を話し始めた。
曰く、アリウスには事情があって、魂の定着が不安定なのだとか。それを嗅ぎ取った一部の者たちが、長子アリウスを亡き者にしようとしているという。
一部の者たちとはいわれたものの、それが
「そんな」
「それ自体は、既に手は打ってあります。わたしの身に何かあっても、それはわたし自身が望んだことと思ってください。ただ……」
しばしの逡巡の後で、アリウスは口を開いた。
「もし、わたしの魂が新たな
できるかぎり願いは叶えようと思っていたテネルだが、アリウスの言葉はさすがに理解できなかった。
「見極める、ですか? 止める、ではなく」
「はい」
「新たななにかというのは、いったい……」
そのとき見たアリウスの顔は、その後もずっとテネルの目に焼き付いている。
静かな決意と、強固な意志。幸せそうでもあり、悲しそうでもあり。寂しそうでもあり。まだ幼い身でありながら、自分には先がないと思い知っているような絶望。もう止まらないことを知っている諦観。
すべてを飲み込んで、公爵令嬢は笑った。
「魔のものです。それは、わたしに代わって、この愚かな国を滅ぼすでしょう」
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