44 ニーズランド
空を覆ってしまうほど大きなテントの天蓋の内側には、外から見た印象を大きく裏切られるようなこぢんまりとした空間が広がっていた。
「ケッ。シミったれてやがる」
カテゴリー4の悪魔の僕、通称”
彼の本名は
彼は東南アジアや中国、アメリカ東海岸部に頻繁に出現しては周辺の夢想世界の人間を手当たり次第に攻撃し、時には悪魔の僕の冠域に侵入して対決を行うことで注目されていた。
最近では、大西洋や地中海で同じく交戦的な活動を行なっていた同カテゴリーの”海賊王”との日本近郊の海域に紐付いた夢想世界を舞台とした戦闘が世間を騒がした。
―――
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貴紳は天幕の天井から祭りの景品のように無造作に紐で吊るされている額縁入りの油絵を眺める。決して彼の趣味には合わないが、妙に視線を持っていかれるような感覚があった。
水の気配がした。貴紳は足元に視線を移せばそこには公園の砂場ほどの大きさの池が存在し、空腹を主張するように緋鯉たちが彼の前にせり出して口を突き出していた。
見れば池の周囲も何かと公園テイストの風景だ。名前も知らないような球体の遊具だったり、滑り台やシーソーのような見覚えのある遊び場が薄暗いテントの中に点在している。
「俺の地元にもあったぜ。外で暴れたがってるガキを閉じ込めるためのこーいう公園がよ」
貴紳は薄暗闇の中で目を凝らし、視界の端に捉えた人影の中から最も見覚えのあった顔に向けて言葉を投げかけた。
「日本ではもう公園もそう残ってないらしいね。君の故郷のそんな光景もいつまで残っていることやら」
「んなことわざわざ言うために呼んだんじゃねぇだろ」
「まぁまぁ。雑談は大事だぜ?お喋りもできないで友達とは呼べないだろうよ」
「テメェらと友達ごっこでつるむ気はハナからねぇけどな。クラウン」
貴紳は吐き捨てるように言った。
それを受けて、天幕の端と端を繋ぐように引かれたハンモックの上で横臥していたクラウンはつまらなそうに顔を顰めた。
「そーかい」
「まぁまぁ。憎まれ口を叩くのも若さと元気の証でしょうに。せっかくの青春なんだ、喧嘩するより美味い飯を一緒に囲む方が断然良い!」
甲高い声がテントの奥から響き、影になっていた場所から給仕服のような装いをしている壮年の男が出てきた。
その男は手に盆を持ち、盆の上には何かを包んでいると思われる幾つかの小さな紙袋が脂っこい湯気を立たせていた。
「そうだよなぁ。料理王!」
「そうですとも。そうですとも。てなわけで、
料理王と呼ばれている男は表情までハイテンションさを感じさせる様相で紙袋を貴紳に投げ渡した。
「んだよ。これ」
「見れば理解るでしょうに!
拙は理解っておりますとも。御仁方々のような若人は、何気ない青春の1ページに脂っこくジャンクでチープな肉とパンを心の裡にて欲するもの。さぁ!一口で無手勝流に頬張るも良し、嫌と言うほどにたらたらと口の中でバンズを弄ぶも良し。何にせよお味は保証しましょう!」
「……」
貴紳は紙袋を破り、中身を一瞥する。
「俺の趣味じゃねぇや」
貴紳は手にした包み袋をハンバーガー諸共に視界の端の池へと投げ捨てた。池の中の緋鯉たちは呼ばれるまでもなく宙から池に降りかかる御馳走に群がり、投げ込まれたハンバーガーは池に落ちた数秒の間に波紋と水泡の中に掻き消されてしまった。
「粗相ですね。拙の謹製の一品、口くらいつけて頂いても宜しいでしょうに」
「何度も言わせるな、俺はテメェらと友達ごっこなんざする気はさらさらねぇんだよ」
貴紳の瞳から一筋の光が漏れ出す。
「なら、なんでここに来たの?貴方もニーズランドの一員なんでしょ。わざわざ”王”の称号まで貰って、クレプスリーに歯向かうなんて、まるで子供みたい」
新たな人影にかけられたその言葉に対し、貴紳は牙を剥くように悪態をついた。
「んなこと唯のガキのテメェに言われたかねぇ。
いいか、#傀儡姫__くぐつき__#、俺は闘いてぇから#此処__ニーズランド__#にいるんだよ」
貴紳は草臥れたスニーカーのソールを鳴らすように足踏みをして見せる。
「強い奴と闘いてェ。
強い奴らと戦いてェ。
俺がこんな辛気臭い連中とわざわざ一緒くたに混じってんのはよ、単に相手が大討伐軍になりそうだったからだ。俺は相手に挑まれても、俺自身が挑んだっていい。怪獣王なんざお誂え向きの呼び名で第二圏でお預け喰らってんのなんざそもそも性にあわねぇんだ」
「んーん。燃ゆる闘争心もまた青春のあるべき姿。拙はその気高くあろうとする心意気を尊重致しますぞ‼」
「黙れよ。雑魚コック。てかそもそも、料理王だっけ?なんでお前みたいな雑魚が王様面してここにいるんだよ。俺を呼び出す
どこか皮肉混じりに貴紳は料理王を挑発した。
だが、当の料理王はどこ吹く風というような飄々とした様子を保っている。
「第五圏の王は件の大討伐の中で擁立されるという話でしたな。拙も詳しくは存じませんが、まだ見ぬ王をこの先拝せると思うとどこか心の淵が小躍りするのも確かでございまする。
それに、拙はあくまでも傀儡姫の給仕係ですぞ。明確は所属はありませぬが、しばらくは第三圏の安定に助力する所存。
それに第二圏の王である怪獣王がもしも敗れた際、大討伐という火の粉を払う役目は必然的に第三圏に移ります故、その備えをば」
「ウゼェなテメェ。一生小躍りしてろ、外野野郎」
「でも、実際に怪獣王じゃあ大討伐を止めることできないからねぇ。闘いたいっていうからには立派に肉壁くらい勤めてほしいもんだけど。
……まぁ、もしもその場凌ぎの命欲しさに逃げるようなことがあれば、第四圏まで下がりなよ。少なくともTD2Pの全勢力は第四圏で詰む。問題はテンプルの連中と澐仙だけど。後者に関してはエンカウントした時点でゲームオーバーレベルで無理な相手だ。さっさと逃げないと現実の方で悲惨な死に方することになるよー?」
「おいおいクラウン。マジで叢雨来んのかよ。確定してんならもっと早く言ってくれや!あんな化け物とやれんならこんなとこでダラダラ喋ってる場合じゃねぇや」
「ハァー……。バトルジャンキーの君のことだからそう言い出すことはわかってたとも。ヤりたいなら止めはしないけどさ。余興のよの字もないくらいにボコボコにされるのが好きなマゾ野郎でもない限りはオススメしないなぁ。澐仙はあっしと反英雄と露樹ちゃんでなんとかすることになるだろうし、怪獣王は雑魚狩りでもしれてば良いと思うけどねぇ」
吐いて捨てるようなクラウンの物言い。それに対し、言葉が切れたその瞬間に貴紳はクラウンの元ま一足飛びで飛びかかり、拳銃を突き付けるような意味合いで、突如として炎を纏った自身の爪をクラウンの喉元に突き立てる。チリチリと火の粉が舞う。蛍日に照らされるような貴紳の瞳は炎上するように青色の光に包まれている。
夢想解像と呼ばれる肉体の再構築を行ったことにより、貴紳の体躯は全体的に爬虫類的な要素が強くなった。体表は翡翠色の鱗に覆われ、四肢にはしなやかな筋肉が宿り、尾骶骨の辺りからは人間らしからぬ長く艶めかしい尾が生えている。
「冷めるんだよなァ。そーいうの。俺の性格知ってんだろ。
半端な連中と友達ごっこして全能感に浸るのは勝手だが、身の程を履き違ちゃァいけねぇよ。
命惜しさにコソコソコソコソコソコソコソコソとゴキブリみたいに生き延びてるお前と一緒にすんな。俺は命を懸けて強者に挑むために生きてるんだよ。そもそもの話、呼びつけられた段階でこのテントに反英雄と岩窟嬢が揃ってれば、まず間違いなく大討伐より先にお前らに喧嘩売ってたところだ。引き篭もりの海賊王はハナから来ちゃいねぇと思ってたがな。
これ以上、俺の生き方を侮辱するようなことがあれば、まずお前らから皆殺しにしてやるぜ?」
「ひえ~。おっかねぇ」
クラウンは両手を挙げて、やれやれと言った風に眉を顰めた。
それすら不快と言わんばかりに貴紳は腕を振りかぶる。
――
貴紳の尻尾が爆ぜるように切断され、しなやかな筋肉に支えられた長い尾が宙で躍動する。
尾を通り過ぎたばかりの剣先がすぐに彼の首元に迫る。刃は蜥蜴チックになった胴体と頭部を泣き別れにしたが、貴紳は絶命よりなお速く夢想解像を解除して元の現代風の青年の出で立ちに回帰する。
「トカゲのしっぽ斬り」
ぼそりと漏らすように、白英淑は切断した尾を足蹴にしながら呟いた。
片手に水色に光る剣を持ち、もう片方の手には先程料理王が拵えたものと思われるハンバーガーの紙袋が食べかけのバンズの断片を覗かせていた。
「テメェ……TD2Pの回し者ンが」
「君は粗相が過ぎる。同じ年の頃でも私のお気に入りの少年の方が幾分も落ち着いていたものだ」
「イカれ女が。……
「ふぅ。鼻に付くな、君。いっそこの場で殺してしまおうか」
英淑は剣を宙で掻きまわすように振り回す。大上段に構えなおしてピタリと体を制動すると、彼女の周囲からは肉眼で確認できるレベルの特異なプレッシャーが生じ始めた。
貴紳と英淑の視線が交錯し、殺意が空気に溶け込んでいく。
その間も、もしゃもしゃと英淑は片手に持ったハンバーガーを喰らう。溢れる肉汁を零すまいと口を手で拭い、時折剣の構えが崩れていた。
「何余裕こいて飯喰らってんだォオウッ‼?」
「空腹でね」
「…ん??」
そこで料理王が小首を傾げた。
「はて。
「……クラウン。本当にその死にたくなるほど恥ずかしい通り名を皆に話したのか?浸透してしまっては私の沽券に関わるのだが」
「いいじゃん。頑張って考えたんだからさ」
「…………。ま、まぁ良い。このハンバーガーだったか?…これはさっきそこの蜥蜴君が棄てたじゃないか。勿体ないからそれを食べているだけのこと」
「池に棄てたはずだが?…緋鯉の餌をわざわざ掻き集めたわけじゃあるめぇ。何かしやがったな?」
「まぁ。私の冠域はニーズランド全域に既に展開されてるからな。ほんの少しだけ能力を使っただけのこと。まさか自分が棄てたバーガーを食べているだけで相手に臆したか?なんだか可愛らしいな」
「ニーズランド全域に冠域だと……馬鹿にしやがって。ブラフに決まってらぁ」
「試してみるか。君は見ていて恥ずかしくなる。いっそこの場で死んでしまった方が君の為になるかもしれない」
「ほざけ」
貴紳は英淑に飛び掛かった。
滑らかに詰め寄った彼は再び炎爪を纏い、英淑は水色に輝く剣で応じる。
「ハイハイ、終わり終わり」
緊迫した空気を一蹴するようなクラウンのおどけた掛け声。
駄々を捏ねる子供を窘めるような拍手と共に英淑と貴紳の間に堅牢な鉄製の錆びた扉が出現し、それを避けようとして両者が身を翻す。
「ンだよマジでッ‼」
「ほーんと。やる気満々で頼もしいよ、怪獣王」
扉が軋みながら開き始める。
「今日呼びつけた理由を話してなかった。もう
「な……ッ」
突如として告げられた、戦争の開始。
「それを早く言いやがれ‼」
貴紳の胸に春風が吹く。血沸き肉躍るような戦闘への渇望感が一挙に全身を駆け巡った。
「出てる、出てる。なんかすげぇ成分が体中に巡ってハイになっちまうぜ‼
ァァァァアアアアア‼
大討伐軍。叢雨禍神‼
真正面からぶっ潰してやる‼」
「本当に子供みたいだな」
英淑は呆れた様子で剣を納めた。
「よう、イカれ女。テメェを殺してやるのはお預けだ。もうお前らに構ってる暇はねぇ‼」
「お預け、ね。私こそ、君との再戦なんて望んじゃいない」
「ハッハーッ‼楽しみだぜェ神とのバトルッ‼俺のいるべき場所はこんなシミッたれたテントじゃなくて、血の雨降る戦場なんだよなァ‼」
「そうさ。怪獣王。君も望まれて、王になったんだ。今度は君自身の望みのために、精々楽しんでいきなよ」
「ハンッ、つまんねぇよお前。俺が望まれてるだって?俺は災厄の化身、遍く怪獣の王だ‼こんな俺が一体誰に必要とされるってんだ‼‼‼
お前か?クラウン。俺を道化にして自分は安全圏から鑑賞しますってか?」
「いーや。違うね。望まれてるのは俺を含めたこの国全ての存在さ」
「わかんねぇな。わかんなくてもいいけどよ」
「僕たちはこの国における存在を望まれてるのさ。
昏山羊にね。
アレに求められるからこそ、あっしが応えた。
あっしは昏山羊の目的を知ってる数少なーい選ばれた者なんだわ」
扉が閉まる。最後まで話を聞かず、怪獣王は扉の先にある靄に包まれた光の中を駆けて行った。
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