37 叢雨禍神
拳を突き上げたような小高い峠を八方に据え、獣道にすら思えるような申し訳程度に整備された険しい山道を進む二人の若人。
TD2Pの存在意義、悪魔の僕の討伐における最重要ファクターの一つ。
対悪魔の僕用夢想世界航海決戦兵器ボイジャー。
この若人二人は、そんな世界の命運すら握るとされる悪魔の僕に対抗する無二たるボイジャー機体である。
葛原梨沙。
十年前、幼少期において反英雄との邂逅を果たし両脚を奪われた少女。以来、究極反転の成就と反英雄の打破を本懐に据え、ボイジャー:スカンダ号として数多の戦場に身を投じてきた。
佐呑島防衛戦ではTD2P本部から援軍として佐呑の夢想世界座標に派遣されたが、援軍部隊の前に立ちはだかった白英淑とクラウンの邀撃を受けて部隊は全滅を喫した。退去した後もすぐに単独で佐呑のパスへと侵入を試みたが、クラウンの手によって佐呑を起点とした夢想世界の座標情報が改ざんされ、鯵ヶ沢露樹らの抗争に参戦することが叶わなかった。
しかし、後に判明された情報から鯵ヶ沢露樹が使用する能力は他者の使用した冠域をコピーするという前提の下で成り立っている。そのため、もしあの戦いに彼女が参戦していれば、キンコルの計画の中で彼女の韋駄天の能力もまた露樹に吸収され、完成してしまった人造悪魔の能力にさらなる拍車をかけてしまっていた可能性もある。
さらに言えば、彼女の実力では対鯵ヶ沢露樹の有効な攻撃手段がない。大局的に見ればこそ、彼女は援軍として惨敗したからこそ、命が救われたといっても過言ではなかった。
彼女はTD2Pと関連する技術提供機関が作り出した義足を両脚に装着しており、継続的なリハビリによって既に人並の脚力と移動能力を手に入れていた。元々有していたトップアスリート並みの身体能力を発揮するにはまだまだ不足する要素は大きいが、長い車椅子生活から離れられる時間が生まれたのは彼女にとって重要なことだった。
それでも、今歩んでいる雑木林は義足で踏破するにはあまりに過酷な道行だった。
動きやすさと怪我の防止を兼ねた登山服を身に纏っていても、傍らを進む軍服姿の青年の歩みより数歩幅遅れて歩みを進めていた。
鴇田裕田。
ボイジャーとしての機体名はグラトン号。
摂食障害の反動から夢想世界では大食と悪食を操る能力を手に入れ、ボイジャーとして数々の悪魔の僕を喰らい屠ってきた討伐急進派の一人。
梨沙と同様に純日本人であり、TD2Pの保有する三機の日本製ボイジャーの一つ。佐呑の戦いでは不死腐狼に敗北後に昏倒していたところ、ロッツ博士を含めた職員たちの決死の脱出決行によって島から逃れ、TD2Pの本部で再起を図った。
俯瞰的に見ても、佐呑戦においてTD2Pは実に多くのものを失い、同時に手痛い消耗を被った。一年たった今でもそのツケは払い終える目処が立たず、特に日本国内では上位個体の大立ち回りに感化された人間らが下級の悪魔の僕に成り下がり、訴えられる被害の数は鰻登りになっている。
世間からの風当たりも増し、体制の転換を訴える声が多い中、やがて意見はTD2Pに二つの意見を浴びせることとなった。
一つ。対悪魔の僕対抗機関としての組織の解散。
多額の出資や特別税金の利用が前提となるTD2Pの軍事行為に対する不信感を訴える存在がは増大し、主に上位個体に対する戦績の悪さが不満の根底にあることは明白だった。
だが、二つ目の声は奇しくもこのTD2P解散とは対を成す様相を呈している。その中身としては、早急なる上位個体の地球上からの排斥が主張となっている。
理由として、これまでのTD2Pは現実世界に及ぶ悪影響を配慮した火力兵器の制限が敷かれた上での戦闘を行っていた点にある。TD2P解散派と並行して高まったTD2Pの無制限火力解放を訴える過激派の声は、これまでのような現実世界への配慮を欠いてでも、全身全霊の実力を以て上位個体の打破を実行していくべきであるというものだった。
今回のボイジャー二機のみの作戦行動もまた、世論で熱く交わされる過激派の声の延長線に存在するものだった。
二分する意見の中、TD2Pの内部ではやはり機関の存続に有利な主張である過激派の声を厚く受け止める姿勢があり、それはつまり、上位個体の排斥を目的とした一大決戦である”大討伐”の編成を助長するものとなったのだ。
だが、これまでの大討伐の戦績はあまりにも低迷しており、多額の資金と人材が消耗する大討伐の編成は回を重ねるごとに慎重を期すべきであるという機運の高まりによって実施自体の難易度があがっている。
そこでTD2Pの上層部の一角、日本支部における軍部の鬼才と称される
TD2P/AD2Pそれぞれの最高位権力者たちが集う討議の場での彼の発言曰く。
『人類が有する全ての尊い資産は、既にその所有者を悪魔の僕へと移している。然るに、山川草木から機械、知恵、金、愛。延いてはまだ手の届かない宇宙の果てのまだ見ぬ深き海までが彼らの縄張りと化している。悪魔の僕は人類の欲から生まれ、強大な力を以て我々からあらゆるものを奪っていく。それに対し、我々は彼らから奪われたものを取り返すだけの力が果たして存在するのだろうか。
意気軒高な志のみで彼らと対等に渡り合えるのであれば、今日に続く世論の対立を招くには及ばないだろう。どれだけの美辞麗句で我らの体裁を保とうと試みたとて、その実情は脆く危殆化してしまった薄く伸ばした盾。世界と海で分け、それぞれの大海とその近郊地域の悪魔の僕を打ち破るために存在する二つの機関だが、その在り方は守備範囲の広域化と同時に組織の保有する軍事力、開発力、資本力の分散を招いている。そして、その薄く広い盾が意味ある役割を持つシチュエーションは、対下位個体、つまりはすぐに対処が可能な雑魚敵の抑止に限定されている。
雑魚狩りを続けることも意味も勿論大きい。後に育つ強大な上位固体への成長をさせずに若い芽を摘むことで、長期的に見れば人類の平穏の時間を確保できることは確かだ。
しかし。今の人類には何より時間が残されていない。佐呑の事件を経て、既に大陸では触発されたカテゴリー5の"挑戦者"と"青い本"が縄張り争いを始めました。この二体は究極反転を可能としない点からして、おそらくは夢想世界における最大の大暴れを演じることで現実世界に悪影響を派生させ、地上の生命体の排斥を目的としている。
消耗や敗北を嫌煙してこれまで中立を貫いていた二体が動き出したことは、さらなる上位固体の活性化を連鎖的に巻き起こすことだろう。それに加えて、上位固体の争いに巻き込まれることを嫌った下位個体や別解犯罪者が夢想世界の悪のシンボルとして君臨し始めた"
もはや下位個体を意識した戦略を講じていては、TD2P/AD2Pは取り返しのつかない敗北を経験することになるだろう。我々の戦いの針路を明確に上位固体へと向ける決断が必要に迫られているのだ。薄く伸びた盾を一つの堅牢な要塞と化し、集中した一つの砦を頼りに全ての上位固体を排斥する。
その足掛かりになる最初の土地として私は、我が故郷の日本を推薦する。佐呑での失態によって奪われたものを奪い返す。お誂え向きに今の日本には全世界規模で最も注目しされている悪魔の僕の最大株であるクラウンが根を張っている。まずはクラウンを打ち破る。
クラウンを屈服させ、悪のシンボルを完膚なきまでに叩き潰す。
そのためには大討伐の編成が大前提となる。 』
この発言が今回の大討伐編成の最大の引き金となったのは確かだろう。
TD2Pの中でも最大派閥をとっている軍部のトップが明確に大討伐の指針を示して見せたことで、組織全体の機運が世論の過激派の声に則った上位固体排斥のイズムを受容したのだ。
そして東郷中将が訴えた編成に加える勢力として、若干の対立構造を持つ新生テンプル騎士団との同盟とカテゴリー5の悪魔の僕との提携が明かされた時には、組織全体にかつて例を見ないような激震が走ったものだった。
---
---
「ハァ…ハァ…ただでさえ騎士団の連中がこれからしゃしゃってくると思うと気怠いのに……。その上、お使いで悪魔の僕のご機嫌取りに参拝に行けだって?…ふざけんのも大概にしろよあの糞中将…ゼェ」
肩を揺らして息を荒げる梨沙。義足で力強く荒れた地面を踏みしめ、体に鞭打ってくる傾斜のきつい山道を進んで行く。
「だいたい……百歩譲ってこんなバカげた命令をボイジャーに下すとして、こういうのは一番新入りの奴がやるんじゃないの?アンブロシアは何してんのさ」
悪態をつく梨沙に対し、裕田は端的に答えた。
「あいつは佐呑で特別作戦だとさ。…先日の擲火の件といい、いったいアイツは何を目論んでるんだか」
「一年前は無知でも多少の愛嬌があったもんだけど、今はもうなんだか性格まで機械染みてきた感じがするよ。……まぁ、あいつのことはいいや。てか、ほんと、どんだけ歩けばいいのさ。…足が棒になるわ」
裕田は一度辺りを見回し、そして足元の小石を蹴放った。
「
「土地の形変えるとか、それ天気関係なくね?」
梨沙が鼻を鳴らした。
「究極反転の厄介なところは、空間そのものに対する干渉行為である固有冠域を現実世界に引っ張ってくることができる点でもある。元々がカテゴリー5という強大な夢想世界での存在格を持っているだけあって、その固有冠域の規模感も相応のもの。
今我々が存在する富士の樹海だが、その全体が既に禍神の固有冠域に取り込まれている。一見すれば在り得そうな地形が続いているが、おそらくは全て意図して改竄を加えた現実世界とは乖離した別世界の構造物なのだろうよ。それに加えて禍神の能力は天候の操作。この場が雷雨に見舞われてないだけでも、まだ手心が加えられていると見るべきだろうな」
「確か、十一年前に大陸軍が海越えて日本に来ようとしてた時に無銘だった叢雨禍神との縄張り争いが起こったんだよね。究極反転同士の現実世界でのバトルなんて度を超えた特大迷惑行為だけど、結果としてそんな無銘が大陸軍を吹き飛ばしたお陰で日本に奴らの足跡が一つも付かずに終わったとか。
それでいて人間社会に対して明確な対立姿勢をしなかったってことで世間からの評価は二分して、TD2Pは無論究極反転した最強格の悪魔の僕ってことで無銘に叢雨禍神の名を与えてカテゴリー5に指定した。それでも世間は大陸軍を打ち破ったプリマヴェッラと同じように禍神を英雄視して祀り上げる熱狂的な信徒が爆増したわけだ」
裕田は顔をしかめた。
「そして生まれた組織が"叢雨の会"。富士の樹海に根を下した禍神を囲う宗教団体であり、歴史の浅さとは裏腹にその信者や支援者は全世界で一億人を超えている。組織の内部構造は未だに謎に包まれていて、下級の信徒になるのは容易いが、黒い噂の絶えない深部に安易に踏み込もうとした者らが無惨な遺体として発見されることもあるらしい」
「いいねぇ、カルトあるあるだ」
「消えた人間がわかっているだけでもマシな方だが、実情はもっとブラックだろう。何しろ、それなりに有力なマフィアグループやら別解犯罪者集団との繋がりが指摘されていたり、延いては各国の政界に対しての太いパイプがあるとさえ言われている。これまでTD2Pが反転個体である奴に対して一度たりとも大討伐の発案を出していないということが、叢雨禍神のバックについている存在群の強大さを物語る証左でもあるだろう。……まぁ、単純に叢雨禍神と対峙したとしても勝ち目がないというのが一番の理由だろうが」
「てか、あの糞中将も禍神の信者なんじゃないかな。……いや、なんでもない。
それで禍神の代わりに喧嘩売った反英雄にボコボコにされたっていうのが一連のオチだね」
二人は荒れた岩肌が剥き出しになっている道を進んだ。義足では苦労する場所では裕田が積極的に梨沙の手を取って補助を行い、そのたびに梨沙は得も言われないような表情を浮かべていた。
「情けないわ。なんか」
「腐ってもここは固有冠域の中と見るべきだからな。あちらさんの考え付いたデザインがこういう地味な嫌がらせだとすれば、それなりに効果ありといったところだろう」
そこで裕田は梨沙に向き直る。
「そういえば、君は反英雄と邂逅したことがボイジャーになるきっかけだそうだが、その時には周辺の空間になにか異常が生じていなかったのか?」
「…………。いや、どうだろうね。雨が降ってたけど、特に変わったことはないかな。アイツのやり方は武器や鎧に直接小規模の冠域を固定して雷だの突風だの生み出すカンジらしいし、こんな大規模で空間に干渉するなんてことはしないんじゃないかなぁ。……………。なんかヤなこと思い出しちゃったかも」
「いや。すまない。悪かった」
そこで二人を取り巻く光景に変化が顕れた。
やはり叢雨禍神の空間干渉が働いているらしく、彼らの景色に馴染まない無数の朱色の鳥居とその下に緑色のタイルが敷き詰められた参道が出現した。
「これは……凄まじいな。夢想世界に換算すればおよそ深度5000といったところか。おそらく、夢想世界の冠域内と同様にこちらに及んでくる精神負荷や精神汚染は相当なものになるだろう。しっかりと気を保っていなければ、心が乱されてしまうかもしれない」
「あー。どうりでさっきからイライラするわけだ。まぁダイジョブでしょ。天下の風除けのボイジャーが二機も揃って気が触れるなんてことにはならないと思うよ。それにもし私がおかしくなったときは、鴇田君がなんとかしてくれるでしょ?」
「それはこちらからもお願いしたいことだ。俺に何かあった時、処分されるなら同じ日本人のボイジャーが良い」
「ははっ。それな」
二人は最初の鳥居を潜った。
すると、さらに急激な光景の変化が両名の下に訪れる。無数に連なった鳥居と鳥居の合間に帷を張ったような夜空を思わせる深い青と闇が張り巡らされ、次第に参道の周囲全体が謎の空間に侵食されて消滅した。何か邪悪なものに閉ざされたような長く曲がりくねった参道は妙な静けさで満たされており、これまで義足から打ち鳴らされていた足音すらもが生じなくなっていた。
両名はお互いを確かめるように何度か声を掛け合い、そのたびに冗談なんかを交えて場を和ませていた。明瞭な精神的な汚染や身体的な不調は起こらなかったが、それでも音の広がりに現実とは隔絶した妙な感覚が付きまとい、やはりここが上位固体の縄張りの内部であるということが再認識された。
「こんな風に参道が曲がったり、乱れていたりすればするほど、その先に祀られている神の気性は荒いものであるという言い伝えがあるらしい。これが迷信であることを願うばかりだな」
「ははっ。こんな気怠い道ばっか作る奴なんて、度を超えた変態か陰キャでしょ。ビビることないよ」
「心強いな。……もうすぐ、出口だ。気張っていくぞ」
「うん」
―――
――
―
夢見心地の参道の先。
眩い光に包まれた真っ白な石畳の上に聳える豪華絢爛で美麗な神社が姿を現した。
振り返れば既にこれまで歩んできた参道は存在せず、見渡す限りの空間が端正に造り込まれた庭園が広がっている。
呆けたように立ち尽くす二人の前に、境内社と思われる小さな建築物から姿を現した一人の男が歩み寄ってきた。
白い装束に身を包み、貌には張り付けたような満面の笑みが浮かんでいる。どこか不気味さすら演出するような表情を堅持したまま、その男は二人の少し前に立ち、両手をすり合わせてさらに笑顔の角度を増させた。
「ようこそ。遠路遥々おいでいただきまして、誠に感謝いたします」
「アンタは何?神官かなんか?」
「ええ。わたくし、叢雨の会の大司卿を務めさせていただいております、
「そうだ。お前の親玉に用があって参拝しにきてやった」
「ええ。ええ。お伝え聞いております。わたくしどもと致しましても、大切なご来訪者様には贅を尽くしたおもてなしにて迎えたいという思いは重々ありますれど、我が主の命によりご対面より早急に御社殿へと連れ参れとの趣。失礼を承知して申しますれば、どうかわたくしめにご同伴頂ければと存じます」
「ああ。いいよ。別にのんびりしにきたわけじゃないし。悪魔の僕の趣味の悪い巣の中じゃあ気も緩まらないしね」
「……。悪魔の僕ですか。
お二人がお帰りになられる頃には、そのお考えもお変えいただいていいると嬉しいのですが」
「どういう意味だ?」
「あの御方はまさしく神。神そのものであります。
八百万の神格の中で最新にして最高。全人類が等しく傅き、敬い、愛し、畏れ、崇めるべき存在であるのです」
「そーかい。はやく案内してちょうだい」
「ええ。ええ。お連れさせて頂きます。
我が主、偉大な神、叢雨禍神。
【
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます