33 共闘
「固有冠域、展開。
痩せっぽちの背中に二つのリングが浮き出る。宙に預けられた円環はその規模を次第に増していき、拳ほどの直径から観覧車のホイール並みの面積を持ち始める。一方の円環はその内部を逆巻く黒々強い闇へと変容させ、渦巻く闇が不思議と燃え盛る炎のような熱を帯びる。対を為すもう一方の円環には輝きが宿る。目を覆いたくなるようなどうしようもないくらいの眩しさを有しながら、心を掴まれて離さないような視線誘導を醸し出す。見れば眩しかったそのさんざめく光は一種の影のようなものであると気が付く。影が光るというジレンマを解消せぬままにそれはなおも照り輝き、色という概念を失った曖昧な光としてそこに球体として存在している。
「冠域延長:
ボイジャー:アンブロシア号は量の手をしなやかに掲げ、手の甲と平を詠唱と共に額の辺りで交錯させる。パンと手を打ち鳴らし、それを合図として二つの円環が動き出す。掲げた両手が額という中点で交わったように、黒い太陽と輝く影が徐々に彼の頭上の中点へと引き込まれ、位置を前後させるようにお互い輪郭が重なり合っていく。
冠域の展開に伴って周辺空間の光度がアンブロシアの力による干渉を受け、現実世界に釣り合わずに明るかった空に翳が差していく。置換された太陽と月により起こる疑似的な月食効果により、周囲の明るさはみるみると下がっていった。
「冠域固定:陽を干した
アンブロシアが駆け出す。不安定なんてものではない重力の釣り合わない特殊空間の中、自身の因果律を冠域の効果によって無理やりに生み出して爆発的な走力を獲得した。投げ出した身を捩り、拳を硬く握りしめた彼はそれを虚空叩くように振り捌き攻撃を発動させる。
振られた拳に呼応するように何もない空間に揺らぎが生じ、そこから時速200kmを超えるとさえ思われる高速の車両が飛び出してきた。大砲染みた衝撃を生み出した暴走車は複数台に渡って揺らめいた空中から飛び出し、断続的に露樹に向かって突っ込んでいく。
その様子を少し上の頭上の光景として捉える形で一瞥したガブナー雨宮は、釈然としない面持ちで顎に手を添えて言葉を漏らす。
「……それは確か、アンブロシア号の初陣の相手の冠域。…信号鬼。捜査部の割り出した本体は矢田敏行だったか」
TD2P管理塔情報部に所属する彼の脳裏に過る信号鬼戦の過程。キンコルが介入した時点でTD2P側の勝利は最初から決まっているようなものだと彼は思っていたが、その実、戦況は一度完全に崩壊するレベルの苦戦を強いられたとされている。結果的に、信号鬼の打倒に必要とされたアンブロシアの固有冠域の開花によって一方的な討伐が成功したが、そのアンブロシアの固有冠域に関する具体的な情報は依然として解明、開示されてしなかった。
(疑似的な天体のようなものを生み出すアンブロシアの固有冠域……応用として信号鬼の冠域に似た性質の空間を構築して技を模倣しているのか?…初めての強敵で神経を局所的に割かれた結果なら
ガブナーは胸元のポケットから煙草を取り出し、無言のまま火を点けた。
糸引くような粘っこい煙を吐き、視線を竜へと戻す。
(無理でなくとも、それは固有冠域でやることじゃない)
「……まぁいいか」
煙草を宙に放り投げ、傾けた手元にサングラスを生成する。それを指で掻きまわすようにくるくると弄ぶと、不敵な笑みを浮かべたまま着用する。黒の強いサングラスの奥で瞳に紫が灯り、レンズの色味を上書きするような熱烈な光を奔らせる。
冠域を持たない彼が持つ唯一にして絶大な闘争手段。夢想世界のありとあらゆる精神干渉や空想攻撃から身を守り抜くに足る超強力なガード能力が彼の周囲に不可視のベールを張り巡らせる。彼もまた重力の不釣り合いな空間において跳躍し、竜とアンブロシアの狭間に躍り出る。今まさに虹色の煙を吐き散らし、その霧散する靄の中から巨大な焔柱を生み出した露樹はけたたましい咆哮に併せてそれを一斉に宙に滑らせる。バゼット・エヴァーコールの冠域を設計図とするその大技の火力はやはり凄まじいもので、オリジナルであるバゼットが扱うものよりもさらに威力が数段階引き上げられ、火薬やガスタンクの援助なくしても擲火戦略小隊の総攻撃に匹敵する火力を示して見せた。
「さて、助太刀するよ。唐土君」
「助かります」
周囲を一挙に燃焼させる炎の中で、ガブナーの眼前に展開されたハチの巣模様の刻まれた壁が熱と光と衝撃から二人を守った。それでも、ガブナーの表情は若干険しさを滲ませており、頬には重い汗が流れ落ちて行った。
「つっても、人間の状態の彼女が相手でも割と厳しかったからなァ……全力だすけど、ワンチャン死ぬかも」
「死ぬのを前提に戦ってもつまらない。……やるからには勝つ。生きて勝つ。そしたら次に繋がります」
「へぇ…やっぱり君は面白いねぇ。キンコルさんが目を付けたのもわかる気がするなァ」
「その彼は、結局やりたいことはできたんですか?」
炎が一度収まる。展開された壁が収縮し、ガブナーが付きだした掌に吸われていった。
「ああ。彼は自分の人生に責任を持って一本筋を通し抜く人だ。この世界の為に心身を削り、その身を捧げてまで行動できる人が果たしてどれくらいいるだろうね。キンコルさんは本物さ。どんあ聖人君主よりも聡く、人類のために夢を背負ってそれを叶えてみせた。これから間違いなく新時代が訪れる。君も一緒に祝ってくれるかい?」
「まぁ、楽園の響きは俺にとって魅力的でしたけど……どうでしょうね。闘争の廃絶による人類の安寧の享受が果たして世界を救うことと同義に扱って良いものか、俺にはわかりませんよ」
「難しく考える必要はない。誰だって喧嘩しなければ怪我はしない。つまらない怪我で死ぬ人生ほど悲しいものもないさ」
「……理想郷というよりは理想論のようなものでしょうね。俺はそれを認識はしますが、認めることはできません」
「……………」
再度、竜はその三つ首に備わった顎を拡げ、虹色の煙を吐き散らす。煙は積乱雲のように高所に堆積し、煙を掻き分けるようにして大量の海賊船が出現した。重力が不釣り合いな環境とはいえ、それらは一応下に向けて落下する挙動を見せる。瞬きの間に加速してゆくそれらに対して闇から車を発射させるアンブロシアだが、根本的に火力も物量も足りていなかった。
「固有冠域展開:
眼下の海上から熱と光の一閃が天に向かって吹き抜け、驟雨を思わせ大粒すぎる木造帆船の押し寄せる群れを穿ち抜いた。火の手を右から左へと拡げ、膨大な物量をそのまま焼き焦がす炎の槍が、翳りを帯びた宙を燈色に染め上げた。
バリアを展開したガブナーとその背後のアンブロシアの元に大量の木屑が降り注ぎ、ハチの巣模様に貼られたバリアを天蓋として除けられていった。その後、二人の傍らに技の主であるバゼット・エヴァーコールが合流し、お互いを確かめるように視線を交錯させた。
「ガブナー雨宮。貴様、自分がしたことを理解しているのか……ッ」
「おいおい、こんな時に説教かい?」
「ボイジャーに成り切れなかった半端者がキンコルの思う儘に踊らされている。貴様はあの食わせ者に利用されただけ。その実、得られた成果があんな悪魔の誕生とは……酷い冗談だ」
「オルトリンデ嬢にご執心のオッサンに言われたかねぇけどな。最強を語るほどの烏滸事を夢に抱けなかった俺に、キンコルさんは夢を見せてくれた。同じ夢を共有できたのなら、踊らされるのもまた自分に従う選択になり得るとは思わないかい?」
バゼットの眉間に皺が寄り、彼は悪態と唾を吐き捨てた。
「退去したオルトリンデがもしも命を落とすような結果になれば、私は貴様を地の果てまで追い駆けて必ずその報いを受けさせてやる」
「はっ、半端者呼ばわりした俺よりさっさと消えてった雑魚ロリータのことなんて知るかよ。正式に登記されたボイジャーがどれほど担がれようと、俺のような本物の力を持った半端者の足元にも及びやしねぇ。現にあの化け物が展開する意味不明な空間変異の中で生きていられるのは俺が最強の"風除け"であるおかげだぜ?」
そこでバゼットは言葉を押し出すことが出来ずに口を閉ざした。
「おや?アブー・アル・アッバースもやる気出してきたな、ありゃ」
ガブナ―は顎でしゃくるようにして夢想空間のある地点を差す。アンブロシアとバゼットはそれに沿って視線を傾けるが、それを待つ間もなくその方向からけたたましい獣の咆哮の揺れが生じるのを知覚した。
「ウヴォオオオオォォオオオオオォオオオオオオオオオオオオッッッン‼」
「流石、不死の夢。虫みたく湧いてきやがるね」
「あの爺さん、俺と戦っている時でもまだ余力がありそうでしたから、結構期待できるんじゃないですかね」
「…へぇ、俺からしたら君は不死腐狼に全力を出させた逸材に見えるけどね。結構、慎ましいんだねぇ」
「彼は本気を出していましたが、全力ではなかったです」
「……?」
人狼の肉体を生成した不死腐狼/アブー・アル・アッバース。咆哮を数度繰り返し、悪魔の僕の青い眼の光がかなり開けた距離からも見て取れるまでに発光する。周辺の空間に不思議と赤い色合いが差すように強まっていき、何故か血走ったようにも見える瞳の値を起点に人狼の体が空間を侵食していく。
そもそもが人の背丈の三倍ほどの巨躯を誇っていた人狼の体躯が、一秒刻みでさらなる肥大を遂げていく。膨れ上がる肉体の体積に従うようにして空間への影響も轟く咆哮も勢いを強めていき、食い入るように刮目した三者がその変化の終わりを見届ける頃には、人狼の体は竜と化した鯵ヶ沢露樹の巨躯の半分に迫るほどの大きさにまで膨れ上がっていた。
巨大化した人狼はそのまま露樹に向けて攻撃を始めた。大きな爪の宿った手で竜の体を鷲掴みにし、かっぴらいた顎で勢いよく食らいつく。露樹からしても自身に迫るほどの巨体との戦闘は想定していなかったようで、虹色の煙を吐くのを辞め、三つの頸がそれぞれ持つ強靭な筋力と顎に備わった鋭利な牙で応戦を始めた。
その規模と勢いは圧巻であり、狂い尽くした空間のバランスにますます亀裂が入っていく。それぞれの所作の一つ一つが多大な轟音と突風を引き連れてアンブロシア立ちに吹きかかり、目も耳も覆ってしまいたくなるような悪影響を振りまいていた。
「そうか。……不死腐狼は固有冠域そのものに肉体の再生処理が組み込まれている。再生の際に精神的な摩耗や悪影響が生じないのはアンブロシアやグラトンの猛攻を受けきったなお会話が成立していた時点で明らかだったが、なるほど、精神が摩耗しない以上は冠域の出力や規模をいくら釣り上げたところで本質的なオーバーワークにはならない。…本来最適化されるはずの冠域の出力制限が必要ないなら、空間自体の許容量を迎えない限りはああいった意味不明な巨大化も可能だ」
「別になんでもいいですよ。もう行きますね」
「え?」
アンブロシアの肉体が生まれ変わる。黒い靄に包まれ、皮を被る様に奇妙な昆虫然とした肢体が彼の背筋に沿って張り付けられる。顔の上半分を人間とは決別した雀蜂のそれに変貌させ、残った口からだらだらと涎を垂らしている様子は彼が何者かに寄生されたのではないかと思わせる程だった。
人に憑りついた蜂は爆発的な初動で飛び出す。迫りくる戦闘の衝撃派に押されることなく、最高速度を維持したまま覇を競り合う二つの巨大生物に向けて突っ込んでいった。その際に複数の高速車両を様々な位置から発射し、彼なりの攻撃を交えながら立派な参戦を果たしていた。
「なんて子供だ。あれがボイジャー:アンブロシア。あのえいも言われぬ執念のような動力には不吉さすら感じ入る」
「擲火のボスが随分なことを言うねぇ。…執念。確かに、なんだかそんな感じのものを感じる。なんだろうね、彼。記憶をなくした状態で正式なボイジャーになったって話だけど。そんな状態からよくもまぁこんなステージで戦えてるもんだ」
「元の人間の性質に問題があったのだろう。……才能では片づけられない、欠陥のような何かがな」
「或いは……帰巣本能か。奴が辿り着こうとしているその目的地は、もしかしたら奴の起源そのものであるのかもしれない」
「………………」
僅かに心が浮ついた中、ガブナーは突如として瞠目して全力のバリアを展開する。
「屈めッ」
バゼットに向け、叫ぶや否や、両者を呑み込む雷の束が襲い掛かってきた。空を焼き焦がす途轍もない火力によって反応が間にあわなかったバゼットの上半身が雷撃に揉まれて千切れ飛び、残った下半身は熱に侵されて灰に転じてしまった。
ガブナーは固唾を飲むことも許さないほどの刹那の合間に、その雷撃の応酬を五度受けきった。展開した障壁によって雷は見事に防げているが、バリアの行使によって彼の精神には脳が軋むような不快感が生じた。
「…ッ……‼……まぁ、そうだわな。全員で一丸となって巨悪を討ちましょう、とはならねぇか」
雷撃の主が迫りくる。
「なぁ、反英雄」
壁が打ち砕かれた。反英雄の振り捌いた大剣の一閃が垂直にガブナーのバリアを叩き、生じた亀裂に併せる形で剣先から雷鳴が轟く。紫電がバリアを破って尚、執拗なヘビのようにその脅威は彼に迫った。瞬時に複数の部分的な壁を展開したことより、うまく防いだものの、反英雄の赤黒い重装甲はがしゃがしゃと派手な音を立てながら彼への追尾を一貫した。
宙を滑るように両者が跳ぶ。何度も何度も紫電が空を焦がし、ガブナーはバリアを何枚も瞬時に生成してなんとかそれを凌ぎきる。
「んだよッ……反英雄。船の時から思ってたけどよ、アンタにゃ愛想が足りねぇなァ」
「良く言われる」
反英雄の強力な蹴りが非常な重みを残して彼の腹を穿つ。ボイジャー級の存在のガブナーの有する世界最高峰の耐用値を以てしても、一撃で昏倒に迫るレベルにキツイ一撃だった。
「あァ‼……おぉ」
「冠域延長:
反英雄は手を掲げ、その手に太刀のような剣が握られる。
「冠域固定。……誹れ、冥剣。生者も死人も解き尽せ」
大上段から振り下ろされた一撃。直線的に遠くに位置するガブナーに対し、掠ってもいない太刀の一撃が不可視の斬撃となって届いた。これまで派手な雷を攻撃に纏わせていただけあって、ただ剣を振り下ろすという行為しか目に映らなかったガブナーにはそれを対処するだけの意識が間に合わなかった。
彼だからこそ、その一撃を受けてなお、即死しないだけの耐久力があった。だが、既にその意識は朦朧としており、歩み寄ってくる反英雄を視界に捉えることもままならなかった。
「さすが……カテ…リー5。……お話にならねぇや」
「コォー…」
「なんで…お前が………こんなこと…」
「コォー……安心しろ。貴様はまだ殺さない。代わりに導け。そして打倒しろ」
「ハァ…?」
「キンコルの時代は来ない。お前にはまだ役目がある。唐土己と共に、奴を…クラウンを殺せ」
「……んだよ……それ」
時間差によってガブナーの耐用性能の限界値は飽和し、彼の体は縦に二つに割られた。噴水を思わせる血飛沫の中、赤黒い反英雄の姿は小首を傾げる。冑の奥の奥に仕舞われた重瞳で竜と狼と蜂の戦いを見つめ、剣についた血を払うように一度切先で弧を描いた。
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