21 腐る生・喰らう命

「全ての人類が共通して一度は夢想する生命としての真なる本懐とは何じゃ――?;」


 大きく身を捩って間合いに滑り込む人狼。それをグラトン号は器用に躱して人狼の頭部を蹴りつける。

 すぐに身を翻して距離を取る。それに併せたタイミングでアンブロシアの大技"暁"が人狼を黒き炎の中に呑み込む。


「社会的身分。社会的地位。そんな陳腐な人間の垣根を越えた根源的な願望。

 それは自己の保存。永遠の命の概念そのもの‼

 空想、神話、伝承。どんな文明。どんな歴史においても絶対的な崇拝を受けるこの概念こそが人間の真なる本懐なのだ‼人類の到達点とはすなわち、絶対的な力でも、財力でも、名声でも、自由でもない‼

 尽きぬ命こそが最大にして最愛なる人類の極致。

 悪魔との契約により我が手に宿った人類の歴史そのものなのじゃ‼」


 不死腐狼/アブー・アル・アッバース。

 悪魔である昏山羊との契約により人の殻を破った夢の支配者。生命の限界を踏破する自己存在の保存と無限の循環を可能とした不死者にして、長らくTD2Pの敵対者として脅威を放ってきた宿敵とも言える存在だった。

 生に執着するという単純な人間の心の作用が能力として備わり、その欲求を満たすようにアブー・アル・アッバースの体は何百回破壊しても、何千回燃やし尽くしても、決して"死"という概念を受容することがない。傷ついたその身は腐り果てながらも次なる筐体へと転生し、肉体は不滅を象ったように常にその空間に存在し続ける。

 どれほど夢想世界における身体の破損耐性を持った存在であっても、頭部の破壊や肉体の消滅を受ければ夢想世界からの退去は待逃れず、殆どの場合はそのまま現実世界でも少なくないダメージを被る。稀に驚異的な再生能力を有して稀有な人材はおれど、アブー・アル・アッバースのような本質的な不死を夢想世界において実現するケースは存在しないのだ。


 黒い太陽の炎によって一気に燃焼させられた人狼の体が炎の中で絶えず再生する。再生するたびに辺りには強烈な腐敗臭が暴風のように吹き荒れ、それに意識を奪われるようにして攻撃の手が止まってしまう。火力が弱まった太陽の中から巨大な人狼が飛び出し、一思いに爪撃を繰り出してくる。

 アンブロシアは目の前の空間にイメージによって大量の木刀を出現させ、攻撃を受け止めようとした。だが、巨体から放たれる尋常でない威力と鋭利さを持った爪撃は木刀を悉く破砕し、殆ど威力を殺さずに彼の腹部に爪を食い込ませる。


「……ッ‼?」

 すぐに腹が掻っ捌かれてしまうだろうというタイミングで人狼の腕が捥げる。傷口の断面は大きな顎で食い破られたような荒々しい跡が付けられている。


「ただ生きるだけの命に何の意味がある。テメェの命の価値はその生の実感に依る自己本位的な概念だぜ。

 テメェがその魂まで殺して殺して殺しつくして、精神の髄まで腐りきった一匹狼になるまでに費やした無限の時間の一欠片は、テメェがただそこに在るという以外の目的に何の意味も大儀もありゃしねぇ‼」


「自己本位に生きることに大儀が必要か?

 そも、その身があってこその生の実感。己の生を肯定する最上の方法は不死を置いて他にあるまいに」


「せめて不老のオプションくらいつければ恰好もつくだろうがな。今のテメェは醜く腐りきったただただ膨れ上がっただけの哀れな魂だ。爺は爺らしく潔く死ねばいいんだよ。そうやって人類史は回ってきてる」


 グラトンは背から生えた竜の首頭で人狼の頭部を食い破った。

 彼の姿は自身の固有冠域の発現に伴って衣装と身体に大きな変化が顕れている。

 軍服に統一されていた服は何やら祭式めいた儀式装束のような恰好へと変化している。顔には複雑な模様が描かれた布が覆われている。前方が見えているのかも疑問な立ち姿だが、それでいて彼は宙を舞うように軽快な身のこなしを見せていた。


 ボイジャーとしてのグラトン号の能力。

 固有冠域:光喰醜竜フール・ベヘモトの発動を期にグラトンもまた自己の身体に変化を齎した。恰好だけでなく、儀式めいた装束の大きく開かれた背面から巨木に勝る太さの"竜の頭"のようなものを出現させたのだ。伸縮する首は巨大な全体を器用に這わせ、グラトンの意志に応じて操作されている。長い首の先にある竜の頭には人狼を上回る鋭利な牙とどでかい顎が備わっており、高速で竜の頭を人狼へと差し向けて勢い任せに体躯を食い破っているのだ。


 しかもその竜の首頭は一つや二つではない。計八本に上るまでに枝分かれした太い首にはそれぞれ八つの頭がついており、グラトンはその体格を何十倍にも上回る途轍もない体積の物体を指先の等しく操作して見せている。まるでそれぞれに意思が宿っているかのように竜の頭は攻撃としての連携性を有し、本体であるグラトンの肉弾戦も交えることで錯雑とした波状攻撃を実現させている。


「ええい。鬱陶しいッ」

 人狼が竜の首の一本を豪快に引き千切る。硬い鱗に守られた竜の首も人狼の腕力に掛かれば簡単に裂かれてしまう。人狼がもぎ取った竜の首をこれ見よがしに咀嚼してみると、次の瞬間には正面から渦巻くように迫りくる五本の竜の頭に全身を喰い尽くされてしまった。


 それでいて数秒と待たずに人狼の姿は再生してしまった。


「俺の竜は喰う専門だ。他人に喰わせるもんじゃねぇ」

「カカッ。食うも食ったり悪食三昧。貴様の能力は確か動物を操るようなものではなかったかの、小僧?」

「違ぇよ」


 竜の頭を三本ずつ左右に分け、それぞれ同時に人狼の体を挟撃した。人狼の体は左右に大きく食い破られる結果になったが、強い腐食と共に肉体は崩れ去って別の体がすぐに再構築されてしまう。


「俺の夢はただ喰うことだ。飢えて飢えて飢え尽くして、最期に心から望んだ力だが、食うということは本来人間の生存活動に直結する。生に執着するという意味ではテメェの冠域とそう変わっちゃいねぇさ。

 だが、俺の夢には快楽が伴う。その快楽とは生の実感という悦びだ。喰う度に心は満たされ、喰わねば満ちるために喰うものを求める。悪食の誹りも暴食の醜さも織り込み済み、俺はただ喰うことにのみ自己を肯定することができるっていうだけの生き物だからな。

 テメェの腐った体にしても、喰らえども喰らえども底の見えない快楽が伴う。我ながら気色が悪いと思うけどよ、結局は質より量なんだよな」


 竜の頭の一本が人狼と死闘を繰り広げる。上下左右に起用に宙で捩り、隙をついて自慢の咬合力を以て人狼を食い破らんとするが、それを見切られて竜の頭は人狼に引き裂かれてしまう。


「喰えば満ちるという特性は無限の好奇心を誘うんだぜ。

 人の身でも有り余るこの食欲、では自分より遥かに胃もでかく体もでかい動物はどれだけ喰えば気が済むんだろうか。

 飼育される身でありながら一日に百キロを超える餌を喰い漁る象なら?

 過酷な環境を生き抜くために一度に百リットルの水を欲するラクダは?

 海に生きる最大の生命として、日に五トン喰らうことを宿命つけられたシロナガスクジラは満ちることを知っているのか?」


 損傷した二つの竜の頭が再生する。


「空想上の動物はどうだ?伝説の怪物は何を喰うんだ?

 例えば八つも頭があるヤマタノオロチさんとかはよ。どれだけ喰えば気が済むんだろうな」


「実に茶番染みた力じゃのう。己で生み出した偶像に物を喰わせ、それでいて食道の先には貴様が在る。暴食という神に罰せられるような題目の仮面を被ってはいるが、その実やっていることは単なる捕食器官の生成と食事だけではないか。まったく、生の本質をなにもわかっておらん愚者の自己満足じゃな」

「黙れ」

 

 両者の姿が激しく交錯する。スピード感を増した人狼のパワフルな近距離の体術によって竜の首頭は立ちどころに振り払わる。お互いにカウンターと牽制、先制攻撃や騙し撃ちを意識した格式高い戦闘術を展開し、隙の無い派手な攻防が繰り広げられる。

 竜の頭首は複雑な動きで折れ曲がったり、スクリューのように回転を交えながら辺りを穿ち進むため、周辺の地形は時が経つにつれて変化していく。人狼の巨体による踏み込みもまた岩盤を抉るだけの重みを持っているため、両者がそれなりの出力を以てぶつかりあっている現状では小さな地響きが絶えず唸っているようなものだった。

 一見すれば手数に勝るグラトン号の攻勢の方が勝っているようにも見える。やはり八つの竜の首頭と本体を交えた対多数を押し付けるような戦闘スタイルは動きにかなりのバリエーションがあり、人狼の死角をうまくついたり、体躯の構造上で対処できない範囲をうまく見つけて攻撃を仕掛けるのが巧かった。一度攻撃が命中すれば、それからは一気に体躯の至る箇所を食い破り、仕留めることができている。

 

 だが、グラトンを含めたあらゆる敵対者の攻撃は本質において不死腐狼に有効に働くことは有り得ない。

 不死腐狼/アブー・アル・アッバースの能力は不死。どれだけ肉体的な限界を与えたところで、彼にとっては死という結果が存在しないただのお遊びのようなものだ。常に彼は空間のどこかに存在し続けるため、"死ぬ"という瞬間がそもそも在り得ないのだ。

 身体の修復や再生に伴うデメリットもなく、まして身体を欠損することにおけるデメリットすらもない。無論、弱点などあるはずもなく、体躯そのものを再構築してしまえば損耗する体力もまた常に万全な余力を残しておくことも可能なのだ。


「終わりはあるからこそ人生は美しい……とか」

 人狼がグラトンの隙をついて竜の頭を一つ捥ぎ取る。

「人生はどれだけ有意義で満足できる時を過ごせたかが重要じゃ……とか」

 次いで迫りくる竜の首種を三連続で躱し、最期に迫ってきた頭を同様に底知れぬ腕力で千切り取った。

「それが美辞麗句になる人の世とはまさしく敗北者の紡いできた歴史の熟れの果て。人類が本質的に何よりも求める自己の保存という神からの命題をかなぐり捨てた果てに見出した言い訳に過ぎないのじゃ」

 人狼は捥いだ頭の先から長く黒い首の上を器用に駆け抜けて、本体であるグラトンに肉迫する。

「それが人類の限界だというのなら、ワシはもはや人であろうとは思わん」

 振りかぶった腕から放たれる鉄拳は爪での攻撃よりも何倍も重く響く鈍痛をグラトンに与えた。


「ぐぁあっ!」 

 痛みに喘ぐグラトンの首を人狼は片手で鷲掴みにし、軽々と体が浮くほどに持ち上げる。グラトンの背の辺りから生えている竜の首頭の根本は力なく垂れさがっており、あれほど猛々しかった竜の動きも止まってしまっている。


「悪魔、昏山羊はあの日ワシに問うた。

 お前の夢はなんだ、と。

 こういってやったわ。"死にとうない。生き続けたい"とな。

 ワシの"夢の骨"と引き替えに、肉は与えらえた。何にも代えがたい不死という名のにくじゃよ」


「夢の……骨……?」


 声を震わせるグラトン。彼の喉を人狼は一思いに握りつぶし、血で溺れて苦しむ彼を愉悦に浸った笑みを浮かべながら思い切り背後に向けて投げ飛ばし、既に生気の失せたグラトンは、戦場と化しボロボロになった仮想夢想世界の大地に叩きつけられ、瞬時に全身がバラバラになってしまった。



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 無理だと思った。


 自分にどうこうできる相手ではないと、言葉なくして悠然と語られるような絶望を孕んだ感覚。

 

「冠域延長:暁ーッ‼」


 天に浮かんだリングが転じて黒い太陽となり、敵を燃やし尽くす火球となって放たれる。だが、予想に反することなく、乾坤一擲と放ったその太陽は不死の人狼にとって無意味極まりないものだった。

 炎の中に取り込まれた人狼は燃える。凄まじい火力の中で肉も骨も構わずに燃え尽きる。

 それでも数舜と待たずに巨大な体躯は再生する。一飛びで間合いを詰めてくる人狼の腕のリーチは体格相応に長く、ちょっと目で追えたからといって防御や回避が成功するものではない。

 鋭利な爪の線がアンブロシアの肉を抉り、またもや血飛沫が舞う。手で押さえても臓物が零れ出てくる。痛みが全身に広がり、悪寒のような身震いによってまた臓物が体外に出ようとする。


「どんな荒唐無稽な夢を持っているかは知らんが、小僧。貴様も所詮はその程度の存在なのじゃ」

 

「ハァ……ハァッ…‼」


「生とは手段ではなく、目的であるべきなのじゃよ。

 その証明に貴様は生を維持することが出来ずにまもなく死ぬ。

 死ねば何も叶わぬ。

 死ねば何も手に入れることなどできぬ。

 唯一不変で絶対な生の獲得こそが、人という枷に縛られてばかりの畜生に与えられた希望なのじゃ。

 生き続けている限り、ワシは何者にでもなれる。

 貴様が死して朽ちていった先、その夢を叶えることもワシには容易いのじゃよ。

 都合の悪い存在が全て消え失せ、キンコルも反英雄も曲芸師も全てが己から朽ちていった先の世においてワシは星に成り得る。

 無限の生とはすなわち、この星の全てがワシになるという運命をこの手に掴むということなのじゃからな」


 人狼はアンブロシアの腕を捥ぎ取る。細い腕で抑えられていた臓物がいよいよ止めどなく飛び出してくる。


「ボイジャーなどという依り代に甘えた弱者の顛末と諦めることだな。貴様の矮小な子供の夢にいつまでも付き合っているほど、ワシは暇ではないのでな」


 一思いに全身が引き裂かれたアンブロシア。人狼はぐちゃぐちゃになった彼の死肉の中から淡く光を帯びた紫色の眼球を二つ拾い上げ、爪にまとめて突き刺したままその場を後にした。

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