第1章 信号鬼

03 夢の世界へ

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「対象の夢の仔細は不明。能力としては三次元的に展開された町において信号機やそれらしき光を駆使して交通網を攪乱させ、夢の世界の住人の交通事故を頻繁に招いている。被害としてはそういう交通関係でダメージを負った住民が現実世界でも危険運転や交通違反に走って轢き逃げ、当て逃げ、人殺し。果ては民家に突っ込んだり無意識に歩道を爆走したりなど、馬鹿にできない騒ぎと混乱を現実世界において招いている。

 捜査対象として確立されてから悪魔の僕と登記される期間までの被害者はケガだけでも数百、死者も既に三十名は下らないとされている。夢想世界アンダーワールドでの存在座標が確定し、調査隊と捜査班が接触を試みたが、先日その半数以上が現実世界オーバーワールドでの交通事故により少なくない怪我で苦しんでいる。想定されるカテゴリーは2だが、この急速な被害者数の増加は早期に対処しなければ奴がカテゴリー3に昇格するのも時間の問題ということで、周辺のボイジャー機体3機を導入した40名の臨時小隊が編成されることになった。

 候補には当初アンブロシアの機体は選出されない予定だったが、ある機体が隊の規律違反と混乱を招いたことで現在凍結処分に至っている。……その代打での抜擢としてはリスクが伴うとは思うが、隊員のリストを見る限り我々を除いた戦力でもかなり手厚い構成だ。以前私が所属していた部隊からの人材も当てがわれているから、少なくともTD2Pはこの初戦で確実に討伐を狙っているようだな」


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 朝に新聞を読み漁るような滑らかな視線の滑りと飄々とした口調。白英淑特任左官はおそらく自身が所属するTD2Pの本部と思われる所と通信連絡を図るべくそれからは具に紙のように薄いパソコンを弾いている。

 セノフォンテ・コルデロと名乗ったイタリア人のボイジャーの整備技師は話を聞いてから少し余裕を持ちつつもどこか高揚した面持ちでパタパタを動き出し、この湖畔に立つ掘っ立て小屋のような小さな木造家屋の中の自分の部屋からバカでかいジュラルミンケースを何個も引っ張りだしてきた。何やら物騒なドライバーやレンチには似てないハンドツールを持ち出しては僕の前に並べ、鼻歌交じりに彼は何かのコンピュータにつなぐ電源コードを引いて駆けていく。


 まるで、お祭りの準備に勤しむ人を尻目に自分だけが祭りの存在を知らずにただ歩道を呆然と突っ立っているような感覚だった。


「あ、あの」

「んー?」

「これから本当に戦いが始まるんですか?……その、信号の人を討伐するために」

「そうだよ。つっても君は別に特別な準備をする必要はないよ。強いて言えば自分の寝床を丁寧に整えておくとかさ」

「でもこれから移動するんじゃ?」

「ははっ。移動ってどこに?……敵さんは夢の中にいるんだぜ?これからそこのサイコ剣士と君を敵の座標情報を元に特定の夢想世界の地点に飛ばす。おうい、サイコお姉さん、作戦の開始は?」

「午前ヒトフタサンマル。あと十五分後だ」


「ええ!十五分後って…」


 あまりに急だ。まだ全然、心の整理なんてつくはずもない。

 いきなり目覚めたらこんなどこの国ともわからない田舎のボロ屋で目覚めて、そう間を待たずに戦闘?

 世界の形だの、軍隊だの。一から十まで飲み込めっていうのか。この人たちはさっきからなんで人のことを戦闘機扱いして意味の分からない世界の話を臆面もなく垂れているんだ?

 

 今からでも逃げ出すべきか。ここに住んでる二人は若いが、単純な運動だけならば僕だって若いからそう遅れをとることもないはずだ。不意を衝くように全力で駆け始めれば、どうにか街にでも出れるかもしれない。そうでなくても少し身を隠す場所さえあれば、どうにか時間を稼いで追手から振り切ることも或いは……


『それから?』

 耳なじみのない声。不気味でがさついた声が、どこからともなく頭に響く。


 それから……。そうだよ。あっちの方には山もある。きっと川を上っていけば綺麗で生き物がたくさんいる場所もあるはずだ。そこで水を確保してうまく食料も手に入ればしばらくは暮らせるんじゃないかな。


『お前は戦闘機だぞ?悪魔を殺すためだけに存在するお前のような兵器が、そんなことできるのか?』


 僕にとっては関係のない話だ。言葉巧みな詐欺師の方がまだ信じられるような突拍子もない話をこの人たちはつらつらと……。だってそうだろう?いきなり記憶をなくしてこんな世界に放り投げられて、どっちが悪夢だかわかったもんじゃない。名前だってきっと適当だ。モロコシオノレなんて、バカみたいな名前で生きてきたつもりはない。戦闘機アンブロシア号?人を馬鹿にするのもいい加減にしろッ!



『そこの女はお前が起こしたトラブルの中、一切の感情を捨ててお前の頭を刺した。今度も同じ目に遭うかもな』


 知るかよ。知らない。

 それだってこの人たちが勝手に言ってるだけかもしれない。人様の頭を勝手にいじって、本当の僕をどこか遠くに隠したんだ。こんな木偶の坊みたいなガワだけ残して、本当の僕を殺しやがったんだ。それで今度は人殺しの指令?いかれてるよ。


『じゃあ、お前はどうしたいんだ?』


 どうしたい?どうしたいってなんだ。僕はこんな場所から早く逃げたいだけだ。

 何者でもない僕を何者かわからない奴らが縛るなんておかしな話だろう。


『お前はどうなりたいんだ?』


 何者になんかならなくてもいい。思い出せるのならそうしたいけど、そのせいで殺されるのなんてゴメンだ。


『お前の夢はなんだ?』


 遠くへ行きたい。ここじゃない、もっと広くて自由な世界。

 海の底でもいい。空の果てでもいい。自分だけの、自分のためだけの世界に行きたい。

 

『悪くないな』



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「んん。君、やる気満々だねぇ」

「え?」

 アンブロシアは目をぱちくりとして言葉を漏らす。


「いやさ、常時から君のバイタルは俺がチェックしてるし、夢想世界への潜航時はもっと精密に君の情報を管理するわけだけど、君の今の状態はすごくいい。夢想世界での悪魔の僕の力に対する耐性は君自身の精神状態に大きく依存する部分もあるから、あんまりビビられると困るなぁって思ってたけど…問題はなさそうだね」

「そうなんですか?」

「見せてみろ」

 白が肉薄し、端正に整った女性の顔が急にアンブロシアの眼前に寄る。

「ああ。そうだな。外部信号を与えてるとはいえ、自己発現で"瞳"が出るとはよほどの出力だ」

「瞳ですか?」

「ほぅら、御覧」

 コルデロがアンブロシアに鏡を差し出す。改めて鏡を見て彼は自身の貌に驚嘆することになる。一度寝起きに見た限りではどうにも無個性で無機質な痩身黒髪の残念なアジア人といった風体だったが、今の姿はそれとは一線を画している。栗色だった彼の瞳はその両眼からして分裂し、わずかに膨らんだような眼球には複製したようなもう一つの瞳が重なり合うように存在していた。その色も栗色から鮮やかな紫色へと変化していて、どこか眼球のそこから漏れ出すような光に後支えされて自然と靄が浮くような様相を呈している。


「なんですか!これ!?」

「私もボイジャーの"重瞳"を見るのは初めてだ。これは悪魔の僕の特徴でもあってな、特異な夢の性質を持った存在は現実世界でも夢想世界でもその目が変質する。ボイジャーに至ってはある程度の余力がある場合であったり、戦闘準備の際や興奮時に発現するとされているが、これなら君の十分な性能が発揮できる状態とみていいだろう。……よし、作戦開始までおよそ五分だ。そろそろあちらの世界へ行こうか」


「え!…ちょ、待っ」


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 頭に凄まじい衝撃が流れた。

 僕がぼんやりとしている間にコルデロさんが頭にかぶせたヘルメットみたいなやつのせいだろうか。


 衝撃の後には全身が一挙に痺れて、吐き気を覚えるような不快感に襲われた。泥の中に無理やり押し込まれたような、それでいて藻掻くことも許されていないような。どこか悲しさのような感情が先行する。


 これが夢の世界か?

 右も左も真っ暗で、かと思えば色鮮やかな色彩がうざったい程明滅している。

 誰もいない。

 とても静かだ。


 まとわりつく泥のような感触も。

 息をせずとも存在できる危うさも。

 そのどれもが現実のものではないような。


 もう、いっそのこと静かにここで眠ってしまいたいような。



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 目を覚ませばそこには静寂はなく、煩雑とした世話しない足音が振動となって仰向けになっていたアンブロシアの頭を揺らした。

 

「ん?……」


 確かめるまでもなく手指が意思に沿って動き、浅かった呼吸も寝汗を感じる程までに戻った五感に支えられるように深い呼吸へと変わっていく。目をこすればそこには夕暮れ時の空が広がっているし、周囲には妙なテントが張られて大人たちがてんやわんやの騒ぎをしていた。


「気が付いたか?唐土君。いや、作戦中は規定通り機体名称アンブロシアとして扱うべきだな」

「英淑さん。…すいません、僕。眠っちゃってたみたいで、こんな夕暮れに目が覚めるなんて……。作戦はどうなったんですか?」

「ふむ。混乱するのも当然だが、いつかは慣れてもらわなければそういう呆けた考え方は危険につながる。アンブロシア号、ここは夢想世界だ。世界中の人間の空想が繋がった空間。実在しないオープンワールドだな。夕暮れ時というのもこの町の構成上の設定に過ぎない。ここは既に討伐対象:信号鬼の縄張りだ」

「え…ええ!」


[その通り。そこは周辺区画の中でも群を抜いてヤバい危険度バリ高のテーマパークさ。現実世界からそっちの様子をモニタリングさせてもらってるけど、いやぁ、すごいね。展開された空間深度は2200前後を常に示してる。今そこに集結した三機の耐用展開で小隊のバイタルは保ってるけど、一個体で深度2000をキープするだけの出力があるわけだ]


「その声はコルデロさんですか?あなたは現実世界の方にいると?」


[ああ。そうだよ。君たちが夢想世界の特定の座標に潜航するには俺みたいな技師のバックアップが不可欠だからね。そこに集結してる小隊の構成員もみんなTD2Pの支部か本部で集団管理されてるはずさ。君らのバイタルやらエンゲージメントっていう干渉精度を維持しつつ、必要とあればサポートもする。そんでヤバそうになったら脳への負荷も逃がしてあげたりなんかする君の国でいう縁の下の力持ちってな役だわ。ま、万が一には君たちを現実に引き戻してあげるし、こんな田舎には突っ込みたくなる道路も信号もない。ある程度は安心してその空間で暴れちゃいなよ]


「はぁ…」

「整列するぞアンブロシア号。隊長からの初期伝令があるはずだ」

「わかりました」


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 よって、前述のボイジャー三機である[スカンダ号][アンブロシア号][キンコル号]の運用を以て作戦を展開。

 指揮系統を遵守し、最小の被害と最大の戦果を以て現実世界への帰還を約束せよッ!!!!

 以上、作戦開始ッ‼‼‼‼」



 口火を切られた戦争。

 悪魔の僕と航海者の血で血を洗う戦い。


 僕が逃げれば良かったのだろうか。

 あんなことになると、知っていたのならば。

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