夢の骨 

戸禮

序章 ボイジャー

01 夢に堪える

 人々が水を求めて彷徨っている。

 傷ついた母と子は、川を伝って逃げていく。

 死体の山が在りました。


 空を蔽い盡す群集者。羽虫がざわざわ、ざわざわとこの四肢を捥いでいく。取り留めもなく。

 孤独な世界でありながら、この身はどうしようもなく蟲毒の一片。誰がどう思うとも、俺は呪物に他ならない。


 黒に染まっていた世界に青が刺す。次第に白濁、明滅、伸張を主張する嫌に煙たい世界になる。息も続かぬ身炙りにも抵抗できない、色褪せた虫が俺。飛んで火に入ることをわざわざ選んだくせに、夢の中に捨てたはずの平穏を求めてしまっている。


 足元はいつだって、自分の頭では想像できない挽肉の谷。イェルサレムの最下で鎮するサタンでさえも、この量の屍を前にしては窒息死してしまうだろう。

 

 この世界に耽るたびに思う。


 どうして人の想像力と創造欲というものは斯くも残酷で、何者をも彩らなければ堪えがたいのだろうか。



――――――――――――― 


『エンゲージメントは依然として安息値をキープ。対象機[アンブロシア]まもなく深度5000を通過、神経接続を再認識。受信された脳内環境に問題見受けられません』


 艶もなけらば肉もない、ひたすら無機質でどこか乾いたようなアナウンスがその四角い部屋に染みる。

 そこにはオークションを想起させる程、これでもかと剥かれた双眸の数々が分厚いガラスで区切られた正面の部屋に吊るされている一人の少年に向けられていた。硬唾をのむ十名余りの集団が手元の資料やらデータやらと少年のバイタル情報を示すモニターに視線を交互に注ぎ、耳に届く乾いたアナウンスの吉報に脂ぎった顔を更に火照らせている。


『エンゲージメントは依然として安息値をキープ。対象機[アンブロシア]まもなく深度6000に到達。仮想意識体の供給に問題見受けられません。相互干渉の接続は対象機からの信号により再開。モニター、対象機の耐用値を表示。深度5000から深度5800の区間、耐用値における被ダメージは総許容量の12%を示しています。予想される深度6000での予想値を算出。総許容量の18%未満の成果を以て、耐用値は基準を十分に満たすものと仮定します』


 

「おお。深度5500を超えても12%か。話に聞いていたより随分と頑丈な機体じゃないか」

 恰幅の良い、司令官然とした大柄の男が傍らに立つ白衣の壮年に言葉をかける。壮年の男はその発言に対し不服気味に悪態をついてから言葉を返した。

「いいえ。私は確かに事前にお伝えしたはずですが?……アンブロシアは数年単位で見ても比類なき耐用値を示したまさに堅牢な重騎士とも言えよう逸材です。シミュレーション上での結果では最高到達点は深度9000を示しました。これはカテゴリー5を仮想敵に据えられるトップランクの数値です。天童てんどう大佐殿、少なからず提示した資料を読み込んで頂けないようであれば、どうして実戦投入の認可など出せましょうか?」

「フン。深度9000など信仰染みたシミュレーション結果などをまともに受け取れと?TD2Pのドクトリンに机上論は信仰されていないんだよ、ロッツ博士。そもそもこの施設での耐用測定実験の限界値が深度6000だというのに随分と大層な理論だ。そうでなくともこの機体の登記には手を焼かされるだろうにな」

「TD2Pがもっと研究費を惜しまなければ耐用実験の回転率も増し、明らかな戦力増強が見込めるというのに。

 軍がかような保守的な姿勢を見せることにこそ、TD2Pのドクトリンの脆弱性が見えましょうな!」

 

 声を荒げるロッツ博士。肩で息をするまでに高揚しているのは、傍らの左官の横柄な態度が故か、自身の研究対象に対する絶対の自信が故か。

 

「しかしだな、ロッツ博士よ。成果を上げていない施設に回す余力は金銭的な面こそが最も如実に顕れる。卑下するわけではないが、少なくとも……アンブロシアだったか?この少年でここまでの数字をあげるのに潰した機体は10機は下るまい。安定した成果が得られなければ、上層部が重たい腰を上げたがらないのも尤もだろうに」

「そんな蒙昧は今に黙らせてやりますとも。アンブロシアは間違いなく我が研究所が排出する世界最強のボイジャーになることでしょう」


 そこで、分厚いガラスに隔てられた先のモニターに変化が顕れる。耳に障らない程度の甲高い効果音が鳴り、スピーカーから発せられるであろう成果に五名の白衣の研究者と七名の軍部関係者が期待する。


『最終値測定。エンゲージメント、バイタルともに安定値をキープ。対象機[アンブロシア]は仮想夢想世界デミ・アンダーワールドの深度6000地点に到達。耐用値における被ダメージは総許容量の17%を示しています』



 そこでわっと湧き上がる歓声。オークションの値踏人のような眼をしていた者たちが急にピアニストの公演を聞き終えた観客のような表情を浮かべだし、各々がつぶさに自分の見解を述べながら周囲のものと感情をぶつけ合っている。


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 どいつもこいつも狂っている。何が実験だ。何が実戦だ。

 こんな少年を。こんな年端もいかない子供を巻き込むのか?巻き込まなければいけなかったのか?

 

 何故お前ら研究者はこの子を逆さに吊るして頭に幾つもの管を通し、息もつかぬような地獄の夢を見させてなお平気でいられる。観光地でも見るように目を輝かせていられる?

 何故私たち軍人は自らの手ではなく科学の手を汚し、子供に悪夢を見せてまで戦おうとする。

 機体の耐用値だと?ふざけるな。人間の命をなんだと思っている?戦闘機として名前を付けられたこの少年を減価償却して値踏みして、襤褸雑巾が如く擦り潰すことが人類のためになるのか?救われる命があれば、そこに才能があるからといって一つの人生をないがしろにしてもいいのかよ。


 夢の中にいる彼は今もなお、その痩躯を灼熱に焼かれている。軍人である私でさえ、想像もできない屍の海に揉まれながら、羽虫や毒虫に全身を貪られてなお死ぬことも許されない責苦の中で正気を保っていられる自信などない。


 これが。人間のやることなのか?

 反吐が出る。

 

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「どうした?ベク少尉。顔色が険しいが、今後の展望に何か懸念でもあるのかね」

「いえ。小官、白英淑ベク・ヨンスクに当事項に対する懸念はございません。しかし、前提として私の所属する部隊においてはボイジャーの運用実績はなく、小官としてもこの手の知識に明るいとは申せません。そんな中、何故私がこの場に召還されたのか、まだ説明を頂いておりませんが…」


 それ聞き、白英淑少尉よりはるかに背丈が恵まれず、顔色も悪く不健康そうなロッツ博士が物申す。

「なんだと!?この場に素人を連れてきたのか?天童大佐、どういうことか私にも説明して頂こうか」

「ん?そうか。てっきり上層部からの通達が先行していると思っていたが、入れ違いになってしまっただろうか。…まぁ私としてもこの仔細に関して及び知る機会こそないが、当該機体の運用においては白少尉、君が調整役という配役に決定したとの御達しだ」


(は?)


 精悍な白少尉の表情に緊張が奔る。指先が意識に反して撥ね、瞳孔が狭まる。

 

「それは…」

「なんだと!?こんな浅知恵も感じられぬ小娘に我が研究所の最高傑作を渡せというのか!本当にそれがTD2Pの正式な命令なのか!?」

「仔細は知らないと言っただろうに。私は多忙の手隙の合間にわざわざ仲介をしてやったまでだ。それにTD2Pからの伝令ではもう一人そちらの研究所からメンテナンス用の人材が見繕われるそうだが、名前までは聞き及んでいないな」

「抗議だ!おい、TD2Pに抗議の連絡を至急入れろ!そんな馬鹿げた話に乗ってたまるか。少なくともアンブロシアの実戦投入は三年後、いや、五年は必要だ。このままTD2Pの阿呆共に従っていては半年で使い潰されかねん。こればかりは口を尖らせて言わせてもらうが、アンブロシアは世界最強のボイジャーになれる逸材なのですぞ!」


 天童大佐は呆れたように言い放つ。

「さっきも言った通り、軍部は信仰第一主義でなく成果こそを至高とする機関だ。深度9000というリスクの伴う耐用実験の試行より、深度6000に堪えられる平均以上のボイジャーを実戦に数多く投入した方が戦果は明瞭だろう。したがってTD2Pの方針そのものに問題はなかろうよ」

「だからと言って、こちらで指定した人材を調整役として指名できないことはおかしな話だ!」

「白少尉には現在の隊を除隊後、ボイジャーの登記機関での正式認可を待ってから調整役になってもらう。まぁ、アンブロシアの元となった少年も少尉のような壮麗な女性が上司とあれば何かとやる気が出るんじゃないか?そういう意味では適格な配役かもしれんなァ」



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 声を荒げて否定したかった。

 このイカレた科学者が言うように、私のような存在にボイジャーの面倒を見ろというのはかなり身の丈に合わない要求に思える。

 ただでさえ、私はボイジャー実験や戦闘機としての在り方に懐疑的だというのに。

 そんな私にこの少年の人生を直接毀せと命令するのか?私がこの少年を戦場に誘うのか?

 

 まったく馬鹿げている。


 こちらは日々の死体回収の仕事で鬱屈しているというのに。

 これ以上に私の心を虐めないでくれ。

 私より遥かに凄惨な世界を見ている子供を委ねないでくれ。


 もう自分が嫌いになりそうだ。

 何もかも嫌ってしまいそうだ。


 いっそのこと。

 この場の全員を殺してしまおうか?



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 そこで意識を劈くようなサイレンが鳴り響く。

 少年を白いスポットライトが鮮烈な赤の明滅に変化し、非常事態を直感させる不快なサイレンがこの部屋どころか施設全体に響く。

 浮ついた白少尉の心もまた、現実に引き戻されるようにハッとさせられた。


「な、なんだ!?何が起こった?」


『異常値感知。異常値感知。対象機[アンブロシア]と制御装置の神経接続の乖離が確認されました。エンゲージメント反転。肉体の制御権が対象機[アンブロシア]に移行しました。出力された仮想夢想世界デミ・アンダーワールドに対し不明な心象世界による浸食が開始されました』


 ざわつきだす研究者たち。足を縫われたような観客であった彼らが、今では一心不乱にコンピュータを動かして事態の解明と対処に動き出した。その様はまるで石をどかされた日陰の虫の逃げ足を思わせた。


「ロッツ博士。対象機体との神経接続の乖離により、制御塔による相互干渉が絶たれました!最終計測されたアンブロシアの意識レベルは非常に低い値であり、内部干渉で接続に影響を与えたとすれば中途覚醒が考えられますが……」

「いや、あり得ん。アンブロシアの管理体制にはシミュレーションの段階から厳重に厳重を重ねたようなシステムロックを敷いている。意識体が解除できるようなものでもなければ、まして肉体の主導権を奪い取るなんて考えられん!」


 騒乱たるその場の様子を横目に見ながら、天童大佐はため息をついた。

「まったく、物騒がしくなってきたな」


『不明な心象世界の浸食が増大。パラメタの類似性からアンブロシアが保有する夢想世界アンダーワールドと推定。夢想世界の拡大につき、出力された仮想夢想世界が固有の心象風景との同期が開始されました』


「おいおいおい、肉体の主導権どころの話じゃないぞ……これじゃああの”悪魔のしもべ”と変わらないじゃないか。これ以上夢の領域が拡がれば、周辺区域が取り込まれる危険性だってある」

「そうならないようになんとかするのが白服の仕事だろうが。悪いが軍の人間は下がらせてもらうし、この件は上層部に報告させてもらう」

「勝手にしろ!!」


 なおも鳴り続けるサイレンと明滅するライト。足を器具に固定され、頭を逆さに吊るされている少年の夢を移すモニターには、不気味なノイズが奔っている。


『捕捉した[アンブロシア]のノイズが拡大。また、成立した夢想世界の深度0に投射されたアンブロシアの姿が出現しました』


「制御から外れて単独で夢の中に顕現した……だと」


『[アンブロシア]が潜航を開始。深度100,200,500,1000,2000を通過』


「なっ、なんだ。どうしたと言うんだ。アンブロシアは自分の夢の深部に潜航している。それも飛んでもない速度だ」

「まったく、ロッツ博士よ。こういうトラブルがあるから金が渋られるというのを今一度思い知ってほしいものだな。システムに依らずとも、強制覚醒用の薬剤の投下で収拾がつくんじゃないのか?」

「ダメだ!この速度の潜航に対応できる量の薬剤では一瞬でオーバードーズを起こして機体が即死する!!」

「だが、このトラブルの延長で危険に晒されるのは我々だ。悪いが、システムの強制停止をしてもらおうか、博士よ」


 ロッツ博士はぎょっと顔を強張らせる。


「ふざけるな!どれほど貴重な機体だと思っているんだ!」

「んん。ならば薬を使え。どの道このままでは緊急の殺処分をせねばならん」


『深度4000を通過。深度5000到達まで、およそ40秒』


「………………ッ」

「責任者はあくまであんただよ、博士。さぁ、選んでくれ。自分で殺すのが嫌なら私がやってやろう。なんならそっちが本職だからな」

「糞…くそ、くそ、くそったれ!」


 博士は歯茎を見せるまでに顎を噛みしめ、巻き込まれた唇から血が流れだす。目は瞬時に充血し、焦る心からか涙も頬を伝いだした。


「ふん、学者というのも難儀だな。いい、俺が殺してやろう。このまま暴走すれば我々の全滅も目に見えているしな」

「まだ……まだわからんだろう!待ってくれ!頼む!!」


 強化ガラスよりなお硬い特別性の透明な壁に亀裂が入る。おそらく、これは夢の影響なのだ。この世界では夢は現実世界に実害を齎す。だからこそ、この狭い空間でさえ世界が歪み出した今、アンブロシアは生かしてはおけなくなった。


「うわぁ!」

 サイレンとは関係なしに周囲の音が歪み出す。ぎゃんぎゃん、ばさばさ、シーシー、と多様で不快な音がどこからともなく聞こえ出す。次第に周囲の空間は黒く歪を帯び、明滅する警報機の光は妙な反射をしてより激しい光に変容する。

 震度5をも思わせる強烈な揺れが周囲を襲い、天童大佐もロッツ博士も、他の研究者たちもその場に立ってはいられなくなった。壁が一挙に崩落し、周囲の電子機器には不明なノイズが奔りだす。大佐が手にした対処ようの拳銃は意思に反して暴発し、その弾があり得ない軌道を描いて大佐の銃を持つ手に命中した。


「はッ!?」

「糞、糞、糞。なんでこんなことに」


 泣きじゃくるロッツ博士。口元はもうすでに血で真っ赤に染まっていた。



 歪み出す世界の中で一つの影が瞬時に撥ねる。

 手に持った長物で性格に少年の頭部を串刺し、奇妙な空間の中で妙に吹き上がる血の雨をその一身に浴びる。


「ごめんね……」


 アンブロシアの頭には刃が刺さり、数舜を置いて事態は収束した。

 白少尉は静かに少年から剣を引き抜き、振り返って精悍な表情でその場の皆に訊ねる。


「お怪我はありませんか?」

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