鳥取県消滅 その時県民が選んだ選択肢とは

らんた

鳥取県消滅 その時県民が選んだ選択肢とは

「鳥取県は『県』の要件を満たさず選挙区の維持も出来ないことから合併もしくは近隣自治体を一部吸収する勧告を出します」


総務大臣の記者会見に鳥取県民は唖然となった。


なんと、鳥取県の人口が50万人すら切ってしまいそこらの中核市未満の県になったのだ。しかも鳥取市と米子市の人口を引くとほぼほぼ県内の人口は消えていた。このため政府は3年以内に合併もしくは存続を決める勧告案を出したのだ。もはや49万人の県というのは県としての要件を満たしていなかった。


政府が出した案は次の通りである

A:島根県と合併。山陰県とし県庁所在地を「米子」とする

B:兵庫県の山陰地域を合併。鳥取県として維持していく

C:外国人を多数引き受け鳥取県を維持していく


このA案に対し強烈に島根県民は反発した。島根だって消滅県だよと宣告されたようなものだからである。合併拒否運動や「鳥取にノー」という露骨な嫌がらせを展開する。合併拒否決議案が島根県議会から出される。島根県だって65万人しか居ないわけで他人事ひとごとじゃないのだが島根県は出生数の増加で県消滅を抑えることに成功する。島根県は隠岐地方の出生数がなんと2.0に近いのだ。


A案が消えた。


B案はどうだろうか。兵庫県神戸市からあまりにも遠い兵庫県の山陰地域。特に山陰ジオパークの地域を吸収合併し鳥取県にする事は現実的だ。なぜならあまりにも鳥取市の方が近いからなのだ。そもそもこのエリアの住民は買い物などで鳥取市に行くのである。関西圏とはお世辞にもいえない。

しかしこのエリアの自治体を合併しても53万人にしかならない。つまり、もう一回消滅要件が政府から来ることを意味するのがB案である。


つまり、残された案はC案だけとなった。


文化摩擦を起こさず外国人を入れて「鳥取県」という故郷を維持していく鳥取県民の壮絶な戦いが始まった。


「文化摩擦をおこさないように」ということで同じ仏教圏からの移民を受け入れることになった。しかし上座部仏教は日本の大乗仏教の文化とは遠くかけ離れていた。では大乗仏教国のベトナムはどうか。ベトナム政府は度重なる外国人技能実習生への虐待・嫌がらせを鑑みた結果ノーを突きつけた。それにベトナムは高度成長中。ベトナム人が日本へ移民する意味はなかった。ベトナム人実習生は現在絶賛帰国ラッシュ中である。


残されたエリアがあった。モンゴル。大乗仏教国で人口は約300万人。モンゴルはベトナムよりもずっと貧しかった。


モンゴル人は幸いにも外国人技能実習生として日本に来たことはほとんどない。モンゴル政府は鳥取県の特別待遇に感謝した。


鳥取県で無住寺となった寺を一気に有人に戻す。日本仏教とチベット密教の融合もはじまった。モンゴルはチベット密教の国である。ゆえに宗教的には真言宗にほぼほぼ近いのだ。


鳥取県消滅阻止プロジェクト名として名付けられたプロジェクト名は『プロジェクトM』となった。MとはモンゴルのMである。


モンゴル人の平均年収の稼ぎの30倍も日本のバイトで賄える。モンゴル国民約300万人のうち実に20万人が実習生となった。そのほとんどが鳥取県で農業実習生となった。その農業実習には「緑化」も含まれていた。この緑化実習がモンゴル人の心をとらえた。


モンゴルは特殊出生率が3.0~2.5とかなり高い。これでも抑えている方なのだが。ソビエト連邦が崩壊して民主制に移行した時のモンゴルの特殊出生率は約6.0! つまり若々しい国なのだ。もっともこのころは共産主義が崩壊して経済が混乱し……多産多死社会でマンホールチルドレンがそこらじゅういるなど社会的に崩壊してた時代のモンゴルなのだが。この時代に比べればモンゴルは相当マシになったがそれでも貧しかった。


鳥取県外国人保護条例という者も可決された。それはベトナム人実習生への虐待、反日感情増大という反省を踏まえて同じことをモンゴル人に行わないようにするものである。


C案により鳥取県消滅は免れた。


国民人口49万対外国人人口20万人……合計県民人口69万人の外国人比率が日本一(29%だ!)の鳥取県は「ミニモンゴル」とも呼ばれるようになっていく。日曜日に神社で行われる相撲興行はモンゴル相撲が当たり前になっていく。そうだ。なんと仏教とは無関係の神社までもが復活するようになったのだ。神主の雇用が県内で増えたのだ。


やはり最後は宗教の力がものを言うのだ。「神は死んだ」などというニーチェの文言は嘘ということを鳥取県は社会実験で実証した。


そして日本消滅阻止のモデルともなった鳥取県は「鳥取モデル」とも言われるようになった。


実習生によるモンゴルへの送金はモンゴルという国の高度成長の原動力となった。ウランバートルなどに豪邸が次々出来る。


鳥取県内の大学はモンゴルの緑化に尽力を尽くした。なにせ、砂丘があるのだ。実証実験できる場があるのだから日本の技術で緑化などたやすい。


米子市や鳥取市にモンゴル料理店があちこちに誕生する。それが本当の「異文化コミュニケーション」でありエスニックシティーである。


モンゴル人と結婚する者も多数出た。国際結婚である。俗にいうコミュ障と言われている人にとってモンゴル人女性は好みだったのかもしれない。


学校では放課後に日本語教室を設け必死に日本語を覚えさせた。そうでもしないと学業で落ちこぼれて不登校になってしまう。


そう、実習生というのは家族も一緒に来るのだ。


ネトウヨと呼ばれるヘイターからいわれなき差別を受けることも多かった。鳥取県は毅然とした態度で民族差別に対してはIP開示請求を行った。ヘイト書き込みは激減した。


緑化だけではなかった。


――なんだ!?この糖度の梨は!?


農業県は衰退県などではない。日本の種苗技術は世界1位なのだ。信じられないほどの甘さを持つ梨はモンゴル人を驚愕させた。日本=モンゴル条約によってモンゴルに高級梨も作られて行く。梨の種は乾燥に弱いが梨の樹自体は乾燥に強いので「砂漠梨」というものがあるくらいなのだ。モンゴルにうってつけであった。


人と人は社会があってこそ人がいる。マウンティングゴリラほど人を……社会を消し去るものはない。


鳥取県知事松田洋一は後に別名「モンゴル知事」と言われるようになり日本史に名を刻むこととなった。


――こうして鳥取県は存続したのだ!


倉吉市が人口5万人に回復する。なんちゃって市が文字通りの「市」に戻ったのだ。そう、市の要件は人口5万人超なのだ。鳥取市と米子市の間にあった「都市」が回復していく。


過疎で苦しむ知事が、市長が次々鳥取に視察に訪れる。新幹線で姫路駅に降り気動車特急に乗ってやってくるのだ。

鳥取空港からも視察団が来る。航空機から降りた視察団が驚愕するのは鳥取空港駅である。空港と中心市街地を結べば在来線は存続できる。なんせタクシーやリムジンバスより早くて安いのだ。


これは特急やくもという電車特急に乗って来た視察団も米子空港駅を見て同じことを思ったという。特に米子はモンゴルとの取引を行う工業が盛んとなった。


日本の人口減少に歯止めをかける時がやって来た。


忘れてはいけないことがある。単にモンゴルで日本語教育熱が盛んになっただけではない。実習生として鳥取在住時に日本のアニメ文化や漫画文化をモンゴルに持ち帰ったのだ。「まんが王国鳥取」は建前でも嘘ではなくなった。


こののち日本はネパールとも条約を結ぶこととなる。


ネパールはモンゴルの比ではないほどの最貧国である。最貧国にとって日本はあこがれの地であった。

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