馬謖転生 ~孔明に泣いて斬られる前に本気出す~
五月雨輝
第1話 登山家に転生したようです
「ジャンジュン、マージャンジュン、メイシーア?」
「ジャンジュン、チンシンシン!」
不思議な言葉の声が大きくなり、身体を揺すられる感覚で、将平は沈んでいる意識の底から覚醒した。
同時に酷い頭痛を感じ、更に吐き気まで覚えながらゆっくりと目を開けると、不安そうにこちらを覗く薄汚れた顔が二つ、視界に入った。
「オオ、シンライラ!」
「タイハオラ、ジャンジュンカイイェンジンラ」
将平が目を覚ましたのを見て、男二人の顔が不安から喜びに変わったようだった。
だが、やはりこの二人が何を言っているのかさっぱりわからない。
そもそも、将平はこの二人を知らない――どころか、
――何かぶってるのそれ?
将平は、二人の頭を見て、思わず噴きそうになった。
くすんだ灰色で、両脇の耳にまで覆いが垂れ下がっている変な帽子をかぶっていた。
だが、次の瞬間にそれが帽子ではないことに気付いた。
――あれ?
そこでまた、二人の首から下を見れば、鉄の
――いや、これも服じゃない。
将平は上半身を起こした。
「ジャンジュン、シェンティゼンマヤン?」
男二人が、再び心配そうに声をかけて来た。
一人は面長で目が細く、もう一人はやや丸い顔で目も丸く、髭がやけに長い。だがこの二人の格好が明らかに普通ではない。傍らを見れば、鈍い銀色に光る刃を備えた鉄の棒まで横たえてある。
――それは槍じゃないのか?
更に、男二人の向こう側を見ると、他にも数人の男たちが見えた。彼らも皆、同じような奇怪な格好をしており、槍を持っていた。
――なんだ? コスプレ会場か?
だが、周囲を見回してみれば、まばらに樹が生えた乾いた景色で、遠くを見ても建物が見当たらず、連なった山脈の上にどこまでも青い空が広がっている。
「ジャンジュン、ヨウメイヨウナーリーブシューフーダ?」
面長の目が細い男がしきりに話しかけて来る。だが、やはり何を言っているのかわからない。
「あの、あなた方は? ここはどこですか?」
将平が恐る恐る問いかけると、男二人はぽかんとして顔を見合わせた。
「ターヅァイシュオシェンマ?」
「ティンブドン」
――何言ってるんだ?
そこで、将平は頭に電撃が走ったかのように思い出した。
――あれ? 俺って死んだんじゃなかったっけ?
馬場将平は二十六歳。
東京都内の電子機器メーカーに勤務している。
会社の規模は決して大きくはないが創業は古く、長年高品質の製品を製造してきたことで顧客から安定した信頼を得ており、業界内での評価も高かった。
将平は有名一流大学を卒業後、その会社に営業職として就職した。
すぐに仕事内容を覚えると、将平は二年目にして、これ以上の受注増は無いと見られていた長年の得意先からの受注数量を大幅に増やしただけでなく、大口の新規顧客の獲得にも成功した。
これには社長も大喜びで、直々に将平を称賛し、表彰までした。
だが、社内では彼を冷ややかな眼で見る者が多かった。
将平は確かに頭の回転が良く、仕事もできて実績も挙げた。だがその一方、それを鼻にかけるようなところがあった。
直接的な表現はしないが、自分の実績をそれとなく誇っては他の同期社員のダメ出しをし、時には先輩社員の批判までもする。しかも、その言い方がまた、どこぞのビジネス雑誌から借りて来たようなカタカナ言葉が多いせいで、嫌味ったらしく聞こえる。
いかに将平が実績を挙げたとは言えそれは先述の二件だけで、しかもまだ入社二年目、それらの発言は流石に度が過ぎていた。
――馬場将平はビッグマウス過ぎる。
――大口将平だ。
などと、社内での反感は静かに高まって行った。
だが、当の将平は更に高成績を挙げることに夢中で、社内のそんな空気に気付いていなかった。
それどころか、将平は工場の製造現場への批判までも始めた。ちょうど将平の営業成績の伸びが止まった時期で、焦りもあった。
将平は、現場のベテランが自ら手作業で行っている製造工程のある一部分を外注により機械化すれば、一月の製造量も上がるだけでなく納期の短縮にも繋がり、ひいてはより多くの受注と新規顧客の獲得が望める、と力説し始めた。
そんな時、会社に大きな別注案件が舞い込んで来た。これまでにない数量と金額で、これを成功させれば大幅な売上増と言うだけでなく、会社自体の名声が格段に上がることは確実であろう案件だ。
だが、ライバル企業との競合案件であった。
社長がこれを誰に任せるか考えていたところに、将平は自ら名乗りを上げた。かねてから主張していた製造工程の見直しを行うことにより得る優位性を説明し、是非にと熱望した。
元より実績は挙げているし、若さと熱量を買って、社長は将平に任せることにした。
将平はその日のうちに顧客を訪問し、会社に戻ると
だが、将平が工場に出向いて生産スケジュールを見せると、工員たちは猛反発した。
「馬場さん、この納期は流石に無理ですよ」
ある、ベテラン工員がため息をついた。
「いや、だからこそ私が以前より言っていた、最も時間がかかるこの工程を外注するのですよ」
将平は、あれこれ言葉を尽くして熱弁した。
だが、将平がよく混ぜるカタカナ言葉がどこか薄っぺらく、ベテランたちには響かないどころか、却って反発を招いた。
そこへ、工場長の町山がやって来て、将平に言った。
「馬場さん、あなたが言う外注するべきと言うこの工程が、うちの商品の肝なんだよ。ここを我々が自ら仕上げることによって、他社が真似できない品質にすることができる」
「しかし、機械化すればより効率的に、より速く生産できます」
「確かにそうでしょう。だがこの部分は不具合が出やすく、しかも自分たちの目で見ないとそこが見えないんだ。不具合が出たら、時には私自身まで徹夜してでも検査し、良品に仕上げる。こうして不良品を出さずに高品質を保つことで、うちはこの業界で長く評価を得てきた。だから、納期を短くできようとも、ここだけは我々の手でやらなければならないんだよ」
工場長町山の言葉は力強く、重い説得力があった。
町山はまさに職人と言った叩き上げで、言葉は少なく物静かだが、全ての製品に最も精通しているだけでなく、業界でも有名で顔が広く、現社長も町山を尊敬して「町山さんなくしてはうちは成り立たない」と言わせるほどであった。
だが、そんな町山相手にも将平は
「わかっています。ですが、これは大きなチャンスです。うちが更に飛躍する為に、一度これを試してみませんか? 必ず受注を取って来ますので」
「いいや、失礼ですが馬場さんはわかっていません。この時代だから外注や機械化で効率化を図るのは否定しません。ですが、どうしても我々の手でやらねばならないこともあるのですよ」
「そこを何とか……」
「無理です」
町山は言葉が短い。
だが、将平は食い下がる。
「お願いします。実はもうこのスケジュールで取ってきてしまったのです」
「え? なんと……」
町山は絶句した。
実は、将平は先手必勝とばかりに、このスケジュールとそれによる見積もりを顧客に提出し、仮受注を取って来てしまっていたのであった。
将平は、顧客からの発注書を差し出した。だが、町山は頭を抱えた。
「なんてことを」
「町山さん、大丈夫です。上手くいきますよ」
こうして、将平は強引にこの案件を進めた。
しかし、結果は大失敗に終わる。
将平が力説したその外注工程のところが、町山たちが
確かに納期も短縮できてコストダウンもできたのだが、肝心の品質がそれまで工場のベテランたちがやっていた物には遠く及ばず、その結果製品全体の品質も悪化して多数の不良品を出してしまったのだ。
顧客は激怒し、契約書に従って損害賠償を求められた挙げ句、もう二度と取引はしないとまで言われ、業界内での評判にも影を落としてしまった。
怒った社長に対し、将平は責任の半分は工場にあると言い逃れようとした。
だが詳細を調べた社長は、全ての責任は最も大事な工程を外注までして無理なスケジュールで押し通した将平にあるとした。
この失敗で、社内にくすぶっていた将平への反感も噴出し、上司から責任を取るかたちでの自主退職の話も匂わされた。
「俺だけが悪いってのかよ。製造体制があのままじゃいずれどこかで行き詰まってたはずなんだ!」
その晩、帰り道に将平は居酒屋を三軒はしごして泥酔し、ふらふらで夜道を歩いて帰った。
ふと、足元が滑って将平は転んだ。何かを踏んだらしい。
「ふざけんな、低学歴が」
悪態をつきながら、将平は起き上がり、踏んだ物を取り上げた。
表紙には、三国志七巻、と書いてあった。
――三国志か。昔読んだことあったな。
パラパラとめくった。
――街亭……蜀の
将平は赤ら顔で嘲笑した。
その時であった。
耳をつんざく大きなクラクションの音と共に、猛スピードで巨大な何かが突撃して来て、将平は凄まじい衝撃に吹き飛ばされた。
将平の身体は宙を舞い、アスファルトの上に落ちた。
そこは横断歩道でちょうど赤信号であり、走って来たトラックに撥ねられたのだ。
将平は、全身が引き裂かれるような激痛で声も出せなかった。
だが、やがて痛みも感じなくなり、意識も遠のいて行く。そして、将平は夜よりも暗い闇に落ちて行った。
死んだ、と思った。
だが今、眼が覚めた。
そして起きてみると、おかしな連中が将平を取り巻いて、聞いたことのない言葉で騒いでいる。
将平はゆっくりと立ち上がった。
「ジャンジュン、歩けるのですか?」
「え?」
今、面長の男が言った不思議な言葉、その後半の意味がわかった。
「どこかお怪我はございませんか? ニーフンダオラヘンジョウイェ」
今度は、もう一人の丸顔に長い髭の男が言ったことの前半の意味がわかったが、後半が意味不明である。
「ああ、頭が少し痛いけど、怪我はしてない感じ……」
と、言った時、将平は自分が発した言葉が日本語ではないことに気付いた。
――これって中国語か? しかもかなり昔のだ。
将平は、古代中国語どころか現代の中国語すら全く知らない。
だが、将平の脳のどこかが、今自分が喋った言葉がそうである、と言っている。
「ああ良かった。今、
今度は、はっきりと全ての意味がわかった。同時に、
「
「はい?」
そこで将平は、自分も彼らと同じような格好をしていることに気付いた。
鉄の札を繋ぎ合わせたような鎧を着て、鉄の兜をかぶっている。
身体に慣れない重さで、動きにくい。
更には、腰に剣まで差していた。将平は身体のあちこちを触った後、
「失礼ですが、私は馬場将平と言う名前です」
すると、男二人は再び顔を見合わせた後、
「ははは、将軍、ご冗談とは珍しいですな」
丸顔の男が大声で笑ったが、もう一人の面長の男は笑わず、
「いや、待て。さっき樹の上から落ちた衝撃で頭に何かあったのかも知れん。頭を打って記憶を失くした話を聞いたことがある」
と言って、将平の顔を
いきなり近づかれたので、将平は思わず一歩後ずさって、
「すみません、ここはどこですか?」
「やはりおかしい。将軍、しっかりしてくだされ、ここは
聞いた瞬間、将平の全身を衝撃が貫いた。
――中国語……馬将軍……街亭……まさか俺は……
続けて、
見知らぬ人間の記憶である。だが、それらは瞬く間に将平の脳を侵食するように広がり、将平の記憶と混ざり合って一つになって行った。
「今は三国時代の中国……そして俺は
自分の中に二人の人格と頭脳が混在しているような奇妙な感覚の中で、将平は現在の状況と自分が何者であるかを理解した。
即ち、西暦227年の中国大陸であり、将平は後に蜀漢と称され、この時代では漢と称している王朝の将軍、馬謖となっていた。
「い……いやいや、そんな馬鹿な」
将平は、顔をひきつらせて苦笑いし、独り言のように呟く。
「あるわけないって。死んだと思ったら歴史上の時代にタイムスリップ? しかも歴史上の人物になってるとか」
将平は無意識に歩き出しながら、自分に言い聞かせるかのように言い続けた。
「そんなウェブ小説みたいなことあるわけないって」
その時、金属が擦れる音を響かせながら、
「馬将軍、大変でございます。魏の
伝令兵であった。将平の前に
「なに、もうそんなところに?」
「速すぎる。流石は
その不穏なざわめきを感じた瞬間、将平は本能的に確信した。
頬を刺してくるようないつもよりも冷たい空気、周囲の男たちの薄汚れた甲冑姿、そして心底よりせり上がって来る焦燥感。全てが紛れもない現実であった。
――夢じゃない。これは現実だ。何故かはわからないが、俺は三国時代に来てしまい、しかも馬謖になってしまったんだ。
だが次に、将平は愕然とする。
――いや、街亭の馬謖って、確かこの後やらかして大負けして、責任取って諸葛孔明に処刑されるんじゃなかったっけ?
将平の顔が見る見る青ざめて行った。
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