第三話
「夏山星舟殿、突撃して参りました」
――カチコミかけてきたみたいに言うな。
ツキシナルレ家宰、ブアルスゥの案内によって参じた星舟は、しかしその反発を口にのぼらせることはしない。
次々と浮かんでくる
「まぁまぁ、よくお越しで。戦友ながらに、ずっとお話しできていませんでしたものね」
――えぇ、そりゃまぁ全身全霊で避けて来ましたので。
と言うのも、その思考のうちの一つである。
面会を申し出たところ、歓待と共に招かれたのは、先代アルジュナの死を契機として返上された、ツキシナルレの本領。その邸宅。その茶室。
古式に則った半畳間。限られた空間の中では、女性にしては上背のあるナテオは、たとえ平服で座していても、外面の気品と相まって威容がある。
互いの護衛は室外に侍り、一対一。もし争っても到底太刀打ち出来まい。
それに呑まれぬよう、かつそのような敵愾心や競争意識など無用の思考として努めて考えぬようする。そのうえで、相手の呼吸や所作に気を配る。
――成程。存外に外面だけじゃねぇ。
瀟洒な茶器の選別。湯を注ぐ所作。茶筅を回す細やかで手慣れた程よい速さ。
いずれも、上流階級にふさわしい。
「いささか形式とは外れておりますが、磯風すさぶ場所柄、肌寒さ残る季節の折にわざわざお越しいただいたのです。まずは、茶にて身体を温めつつ、喉を雪いで下さりませ」
「……いただきます」
一礼とともに、己がたなごころ定めて茶碗に口づける。喉に通すに障りのない適温。そして濃さ。
――完璧だ、非の打ち所がない。
「結構なお手前です」
「小腹も空く頃合いでしょう。今、茶菓お出ししますわ」
「ありがたい。いたせり尽せりです」
清浄な空気を吸う。
常日頃あの野卑な連中と戯れていては到底縁のない、侘び寂びの妙味を、今味わっている。
猪突の戦少女ではない。これが、ナテオの本当の貌か。
「どうぞ、七面鳥の丸焼きです」
「ちょ、待てぇ」
どんと眼下に置かれた大皿。それに載る巨大な茶色い肉塊。頭付き。
匂いとともに雰囲気や感慨をぶち壊しにしたそれを前に、突っ込まぬ者が居るだろうか。
文化的交流が何をどうして俄に蛮族の宴に変じた? これでは茶席ではなく、相席の食堂である。
「どうぞ頭から突撃してください。トビますよ」
「トビません」
「あら、お嫌いでしたか、お肉?」
「好きですけど、これは、違うっ! いや、空気吸った時になんか香ばしい匂いしてたからいやな予感はしてましたがね!?」
思わず声を荒げてしまった星舟を前にして、ナテオは笑声を漏らした。
「少しは肩の力、解れまして?」
という問いかけに、星舟は息を呑んで瞳を開く。
浮きかけた腰を落とし、苦笑い。
「……これも、もてなしということですか」
「さぁ、どうでしょう?」
令嬢は笑みを転がす。
いささかの悔しさはあるが、意のままになったおのが状態を想えば、素直に負けだ。
「しかしこんな食べられないようなモノまで用意して、周到なことで」
「いえ、それは食べていただきますけど? 頭からガブリと。骨ごと行って下さいまし」
「……遠慮します」
腿の辺りを掴んで剥がし、一応作法の体裁は整えつつ、両手で齧る。
「しかし、先の重苦しい様子から只事ではない相談に来られたものとお見受けしましたけれど、如何なさいまして?」
「いや、今のところはさしたる緊急時、ということではないのですが」
と前置きしたうえで、星舟は言った。
「シグル様のことで。ナテオ様が、御仁と御同門で旧知の仲であると伺いましたもので」
「はて? あのコが何か?」
主家筋を捕まえて、
「はい、先の海戦以来お心を病まれているとか。そんな状態で、国防がままなりましょうか。いずれ、かの海軍は南部を攻める。それまでに旗頭として立ち直っていただく必要があるのです」
「……そのこと、でしたか」
そのこと、を指すのが病める領主かそれとも来るべき敵勢か。悩ましげに頬に手を当て嘆息する。こうして見ると深窓の令嬢そのもので、到底突撃バカとも思えぬ。
「わたくしとしても、とても心を痛めてはいるのですわ。しかし、あれ以来、わたくしにさえ、あのコは心を閉ざしてしまって、何を考えているのか図りかねているのです」
あぁ、でもと。
両の掌を柔らかく重ね合わせて、令嬢は破顔した。
「星舟殿であれば、あるいは……かもしれませんことよ?」
「……それは、如何な意で?」
「シグル殿は、お心を壊された後も、いえ、あれ以降に星に強い興味をお持ちだとか」
「星、ですか? 占星術とかその類で」
「それも含めて、古の星見表など集めさせては、その研究に没頭されているとか。それでほら、星舟殿も『星』には違いないでしょう?」
「洒落にさえなってませんが」
苦笑しつつも、あるいはそういう攻め口もありかと考える。
――遠見鏡でも献上するかね。
と思案と打算を巡らせつつ、
「ともかく、一度お会い出来ればと考えています。よろしければ、ナテオ様のお口添えで引き合わせては」
そう言いさした矢先、屋外で何やら喧騒が湧いた。
「困ります。今はおふたりで」
「良いじゃんか。どっちも勝手知ったる仲じゃない」
という悶着の声は時を経ずして大きくなり、やがて
「いよおっ、大将やってるぅ?」
と、酒気を帯びたハンガが酔眼を上目遣いで傾けながら、躙口より蛇の如く侵入してきた。
「あら、大方さま。珍しいですわね。こちらにおいでになるとは」
徳利片手に、どう見ても酒場や一膳飯屋か何かと心得違いをしているような調子の婦人にも嫌な顔を見せず、ナテオは歓待の姿勢を崩さない。
「いやなに、うちの星舟がここにお邪魔してるって聞いたもんでねぇ」
と、半畳間に入ると片膝で畳を擦り、そして突く。目の前の焼き鳥の頭部を掴み、捻って首根より千切り、そしてナテオが星舟に勧めたごとくに、頭から骨ごと喰らう。
咀嚼と共に骨の砕ける異音を鳴らして嚥下する。
「で、お前……何しにここに来た?」
彼女は低い声で、家宰の隻眼に問うた。
「……さて、そろそろお暇します」
と、半ば無視するように星舟は立ち上がった。
「おいおい、ずいぶん性急だねぇ、一緒に茶飲みなって」
「貴方が来ると、ますますもって酒盛りになるでしょうが。仕事も残っていることですし、これにて失敬……ナテオ様、またいずれ」
そうにこやかに社交辞令とともに、星舟は辞去したのだった。
〜〜〜
本当に星舟が退去したのを気配で感じ取ると、ちぇっとハンガは舌打ちした。
差し出された茶碗に手酌をしながら、
「あー、ナテオ殿?」
と、熱に浮かされた語調で言った。
「ちょいと数日、あんたんとこの若い衆警固に貸してくんない?」
と頼み込んだ。
「それは構いませんが……どうかなさいまして?」
「いやいや、大したことじゃないんだ」
小首をかしげる娘に、大ぶりに頭上で手を振って見せた。
「ただ……恐れ知らずのドブネズミが、頭を出してきそうでねぇ」
常と変わらない酔客の調子でそう言った後、
「何を勘違いしたのか、ちょいと甘やかして目溢ししてやりゃあ、つけ上がりやがって」
と小さく付け足す。
徳利から流れ出る濁り酒は、白磁の器を十二分以上に充たし、そして畳を静かに、だが際限なく侵したのだった。
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