第10話 月の鐘、鳴らすのは兎③

 朝になって、俺はいつも通り支度をし、マンションを出た。

 マンションの前の電柱に見知った顔がいた。



「そんな怖い顔をして、なにをするつもりですか?」



 麗歌がいつものクールな顔つきで立っていた。


「……なんで俺のマンション知ってるんだよ」


「アオ先輩に聞きました」


 麗歌は道を塞ぐように、俺の進行方向に立つ。


「もう一度聞きます。なにをするつもりですか?」


「綺鳴と約束した。アイツにちょっかいかける奴はぶっ飛ばすってな」


 麗歌を躱して、俺は学校へ向かう。

 ガシ。と、麗歌が俺の背広を掴み止めてくる。


「駄目です。そんなことをして、あなたが停学にでもなったらどうするのですか?」


「……別にいいだろ。俺が居なくたって、今のアイツなら」


「いいわけがないでしょう!」


 珍しく、麗歌が大声を出した。

 振り返ると、麗歌が見たことのない表情をしていた。眉を八の字にして、今にも泣きそうな表情だ。


「れい、か……?」


「……お姉ちゃんが原因で、あなたが停学になったら、お姉ちゃんはもう二度と学校へ行くことはありません。お姉ちゃんは言ってました、『だいふくが頑張ってるから、私も頑張らなくちゃいけない』と、『だいふくの前では格好つけたい』と! ……あなたが学校に居ることが、お姉ちゃんが学校に行くための必須条件なのです。勝手なことはしないでくださいっ!」


 肩を震わせて、麗歌は言う。

 『暴力は駄目』、『穏便に』。昨日、アオから聞いた言葉が頭を巡る。

 俺は震える麗歌の頭に手を乗せる。


「……悪かった。冷静じゃなかったよ。俺がバカだった」


「本当、大馬鹿です。先輩は」


 しかし、まさか麗歌があんな顔をするとはな。

 年相応の女の子の表情……はじめてコイツが高一だと思えた。


「綺鳴はどうしてる?」


「昨日は登校拒否していましたが、今日の朝は制服に着替えていました。学校には行くつもりでしょう。きっと登校拒否することで、昴先輩に心配をかけたくなかったのです」


 でも学校に行ってしまえば、君津からは逃げられない。


「おそらく……カラオケにも行くつもりです。お姉ちゃんは断り切れない」


「カラオケか。学校帰りに行くとしたら、駅前の〈GUNGUNガンガン〉だよな」


「はい、恐らく」


 俺は口角を上げる。


「俺に作戦がある」


「……昴先輩、この問題を解決することが最も優先すべきことですが、あまり私たちが出張って解決しても、お姉ちゃんのためには……」


「わかってる。自分で乗り越えるのがベストだ。俺はアシストするだけだよ」


 俺は信じる。


「かるなちゃまなら乗り越えられる」



 ◇◆◇



 真っ赤なはずの太陽が真っ青に見える。

 いつもよりも息が詰まる。なにも喋っていないのに喉が枯れる、懐かしい感触。

 足取りが重く、登校の時間が無限に続けばいいと思う。歩きながらずっと、学校にかなければいいのにと願う。


 中学以来の灰色の朝。


 綺鳴は1人で登校し、君津一派に会わないよう周囲を警戒しながら教室にたどり着く。

 そしていつも通り、自分の前の席にいる彼に挨拶する。


「おはようございます、兎神さん」


「よっ、綺鳴」


 いつも通りの兎神の表情に綺鳴はホッとする。

 昨日、麗歌にすべてを打ち明けた後で後悔した。麗歌が兎神に自分の過去を言うことが怖かった。

 彼には弱い自分を見せたくない。

 自分は、彼の憧れなのだから。


「すみません兎神さん、私、今日の放課後予定ができちゃって、勉強会はなしでお願いします」


「……わかった。俺も用事あったからちょうど良かったよ」


 兎神は残念そうに苦笑いする。綺鳴も合わせて苦笑いした。

 悟られてはいけない。自分がいま最悪な気分であることを、彼に悟られてはいけない。


――昼休み。


 トイレに行った帰りに、悪魔と出会った。


「綺鳴~、約束忘れてないよね」


「あ、は、はい……」


 綺鳴の声を聞いて、悪魔たちは薄く笑う。


「放課後、校門前に集合ね。待ってるから」 


 校門前を集合場所に指定したのは綺鳴を逃がさないためだ。

 どこへ逃げるにしても、綺鳴は絶対にそこを通らないとならない。これで綺鳴の逃げ道はなくなった。


 それから授業が終わり、兎神が帰るのを待ってから遅れて帰り支度をする。兎神を巻き込まないためにも、帰りの時間はずらす必要があった。


 校門の前に行くと、ギャル風の女子が5人と軟派そうな男子が6人待っていた。


「あ、やっと来た~。この子この子、今日のゲスト!」


 綺鳴を見た男子たちは「おぉ~!」と歓声を上げた。


「めっちゃ可愛いじゃん!」

「……すご、大当たり」

「なになに、名前は? フルネーム!」


 思いの外、男子たちの綺鳴に対するリアクションが良いのが気に入らないのか、楠美たちは不機嫌そうに顔を強張らせる。


「……朝影、綺鳴、です……」


「おっけー! よろしくね、綺鳴ちゃん~」


 男子たちは綺鳴の顔をしっかりと品定めすると、すぐさま視線を下にスライドさせた。

 綺鳴のふくよかな胸を見て、男子たちは鼻の下を伸ばす。そんな男子たちを見て、楠美たち女子陣はさらに機嫌を悪くした。


「ほら、早くカラオケ行こ! 貴重な青春の時間を無駄にしちゃだめっしょ!」


 楠美の言葉でみんなが動き出す。

 一人出遅れた綺鳴の耳元で、楠美は呟く。


「……調子乗んなよ」

「っ!?」


 勝手に呼んで、勝手に妬んで、なんて自分勝手な人だろうと綺鳴は思った。

 楠美は中学時代からなにひとつ進化も成長もしていない。そう確信した。


 それから綺鳴はカラオケ店〈GUNGUN〉に着くまで、一切口を開くことはなかった。

 カラオケ店の一室に入り、両脇を見知らぬ女子2人に挟まれ、完全に閉じ込められたところでカラオケが始まった。


 流行りの歌を次々と歌う面々、場は熱を帯び盛り上がってくる。無論、綺鳴は消沈したままだ。


 1人1曲ずつ歌っていく。なんとなく暗黙の了解でまずそれぞれが1曲ずつ歌うのだと、綺鳴は理解した。


 そして、11人が歌い終わったところで、綺鳴にマイクが回ってくる。


「きたー! 綺鳴ちゃんの番、たっのしみー!」

「ねぇねぇ、綺鳴ちゃんはなに歌うの?」


 男子たちは別に綺鳴をいじめようという気はない。

 純粋に、綺鳴の歌を楽しみにして言っている。


「え、えと、私は……」


「オッケー! 私が選んであげる」


 楠美がデンモク(タッチパネル式のリモコン)を取り、勝手に選曲しようとする。

 もちろん彼女が選ぼうとしているのは、高い声が合わないような曲だ。


「っ!」


 地獄の時間がやってくる。

 綺鳴の脳裏に浮かび上がる、トラウマ。

 せっかく大好きになった自分の声を……再び嫌いになってしまう恐怖。


(やだ、やだやだやだっ! せっかく、かるなちゃまのおかげで自分の声が好きになったのに!)


 喉が緊張で締まっていく。

 このコンディションじゃ、素っ頓狂な歌声になると歌う前からわかった。


(このままだと、また……自分の声が、自分が……嫌いになる)


 もう逃げ道はない。

 へたくそな歌を歌って、その歌が色々なところで拡散され、晒し者にされる。

 きっと、兎神にも見られる。あられもない、自分の姿が。

 そしてまた閉じこもるのだ、自分しかいない世界に。


(……ごめんなさい、兎神さん。私もう、月鐘かるなにも……なれなくなるかもしれません)


 綺鳴の瞳に涙が浮かび、楠美が曲を入れようとした、その時だった。


――バタン!


 部屋の扉が金髪の高校生によって開かれた。

 全員の視線が彼に集中する。無論、綺鳴の視線もだ。


「お待たせ」


 彼は涼しい顔で入ってきた。

 自然と、まるでトイレから戻ってきた友人のように。


「う……がみ、さん?」


「兎神!?」


 綺鳴だけでなく、他の面々も彼の存在は知っている。

 彼は明星あけぼし高校(兎神たちが通う高校)の有名人、三年生すら恐れるヤンキー兎神昴だ。

 たとえこの場に居る全員が襲い掛かっても勝てない相手、楠美の権力じゃどうしようもできないジョーカーである。


「悪いな。せっかく誘ってもらったのに遅くなっちまった」


「はあ!? アンタなんて誰も誘ってないし、勝手に入ってくんなっつーの!」


 楠美が前に出て、兎神に反論する。

 彼の出現を、一番歓迎してなかったのは楠美ではない。……綺鳴だ。


「どう、して」


 見られたくない。

 彼にだけは、弱いところを見られたくない。

 憧れの自分で居たい。

 月鐘かるなで居たい。


 彼の前だけでは――


「……どけよ」


 兎神は冷え切った瞳で言う。

 たった三文字の言葉、だがその言葉の中には楠美を後退させるには十分の殺意がこもっていた。


「綺鳴!」


 彼の声が、綺鳴の意識を現実に戻す。

 兎神はワクワクとした顔、画面の前で月鐘かるなの生配信の待機をしている時の顔で、言葉を紡ぐ。



「次、お前が歌う番なんだろ? リクエストいいか?」

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