神銘武装ドレスコード

菜花日月

Case.1-1 希死念慮のアンダードッグ


 ──鮮血を迸らせ、巨大な大鎌に変換し、私は敵陣の只中で独り奮闘していた。

 鮮血を思わす緋色の戦装束ドレスコードを纏い、その固有能力である人体の操作を応用して錬成した血鎌を振るい、毒虫型の“アルガ”を屠り続ける。

 戦闘開始から3時間ほど。不死身に改造されている私でもそろそろ音を上げたくなる頃合い。けれど、それでも私の任務は──いや、私の願いを叶えるためには、もっともっと死を重ねなくてはならない。

 ──毒液を浴びて痺れる口角は、自嘲するように震えている。しかし、それは3秒と経たずして治まり、食いしばる歯だけが口の端から覗かせる。


 ……ああ、まったくもって、私は──負け犬だ。


 ──千原ちはら汐里しおりがそんなことを思うのは当然のことであった。

 “アルガ”と呼ばれる文明を捕食する獣・・・・・・・・たちによって故郷を滅ぼされ、復讐のためにと入隊した人類軍では才能ナシの烙印を押され、それでもと努力してなんとか人類守護の防人……少女兵装“神銘武装ドレスコード”の資格を得ることができた。

 ……まあ、ここまではいい。よくある復讐譚としては三流程度にはある。

 問題は、ここからだ。

 汐里は負けたのだ。人類軍の兵士と兵器の3割と同僚である神銘保持者コードホルダーの2名を亡くす大敗北を喫してしまったのだ。

 敵は“悪政邪竜”アジ・ダハーカ……アルガを統率する魔人、その一体。

 アルガの中には捕食した文明を再現する個体がある。それが魔人であり、彼らは無数のアルガに命令を下す指揮官個体である。その中でも汐里たちが相対した魔人は拝火教にて語られる邪竜を再現したものであった。

 主な能力は無尽蔵の爬虫類と毒虫サソリの兵の製造、生命の改造、そして不死身の3点。

 無限の兵力によって人類軍の兵器や兵士は蹂躙され、不死身の最強によって神銘保持者コードホルダーはなすすべなく殺害されたのだ。

 生き残ったのは本当に汐里くらいで、責任を取れるような人材も汐里くらいしかいなかったのも悪かった。

 汐里は責任を取るカタチで自刃を命じられた。まあ、これは建前であり、才能も発展性も乏しい汐里に神銘武装ドレスコードの一つを渡しておくよりも、才能あふれる新たな神銘保持者コードホルダーに託し、余分な少女は適当に処分したほうが良いと上層部が判断したのが真相であった。

 ……別に、この事実も汐里にとって最悪と呼べるようなものではない。単なるゴミ処理でしかなく、人類においては必要な処置にすぎないからだ。


 ……話を戻すと、汐里はその命令を粛々と受け入れた。

 少女が復讐を遂げるにはあまりにも目の前で失いすぎたのだ。

 復讐という漆黒の火炎は、惨めな敗走という現実で消火されてしまったのだ。

 ……本当の夢を自覚するには、その敗走はあまりにも惨めなものだったからだ。

 そして、汐里は自殺のため、ライフルを口に咥え、躊躇うように銃爪を引き──


 ……最悪なのは、彼女が改造されてしまっていたことだ。


「──あ、れ……?」


 ライフルによって跡形もなく吹き飛んだ肉塊は、無数の毒蛇となって少女の頭を復元した。

 うねうねと蛇体をくねらせ、チロチロと細い舌で少女の血液を舐めながら。

 少女は戸惑った。なんども、なんども、ライフルを撃って。

 弾が尽きればナイフで、刃が折れたらバスタブに頭を突っ込んで、それでも死ななければ全身にガソリンを浴びて……それでも死ななかったとき、汐里は人類軍によってとある研究室に送り込まれた。




 そこで汐里は無限とも思える“治療じっけん”を味わった。

 地獄を見た。生きたまま解剖される、なんてのは序の口。

 未改良の薬物を依存するまで投薬されるとか、最新鋭の兵器が人体に及ぼす100の影響をつぶさに観察されたり、アルガの細胞が人体にどのような変革を齎すのか……その第一症例としておよそあらゆる治験じごくを千原汐里は体験した。


 ……それが一年ほど続いたある日のことだ。

「もしもーし、シオリちゃーん。生きてますー? ああ、肉体的な意味じゃなくて精神的な意味で」

 その日、彼女が目覚めたのはいつもの実験室ではなく、清潔な診察室であった。

 少女の顔を覗くのは20歳ほどの白衣を着た女性であり、しかし医者と見なすには些か気楽そうな人間であった。

「あ……えっと……あな、たは……」

「ん、生きてるか。そりゃそうよね~、肉体が不死身になれば精神も自ずと不死身になる。ただタイミングがちょーとずれるだけ。あなたが最初、なんども自殺してしまったのはその誤差故ね。……もう幾千幾万と死んでしまえばその誤差もなくなっていて当然だもの」

「あの、あなたの名前は……?」

「うんうん、健全な反応。この調子なら一般社会に戻っても問題なさそうだし、この特別任務も問題なさそうね……っと、自己紹介をしなくちゃね」

 延々と続くかと思われた意味不明な診察は女の自己紹介によって終わりを迎えた。


「わたしはイル・ゲートキーパー……あなた達が纏う神銘武装ドレスコードの開発者……って言えば分かるかしら?」

「っ、あなたが……あの……」

「そうそう、人類最高の天才サマ。サイン欲しかったらあげるわよ?」


 その名前は汐里にとって聞き覚えのある名だった。

 イル・ゲートキーパー。僅か十代のうちに人類逆転の切り札……少女兵装“神銘武装ドレスコード”を完成させた才女……自分とは全く似ても似つかない天才だったからだ。


「……そんな天才さまが私に何のようなんですか? 私を解剖するなら兎も角、対話をする意味が分かりません」

「そんなことないわよ? わたしにとって、今のあなたは最高のホルダーに見えるもの」

「……わた、しが……? 何かの冗談……ですよね?」


 達筆で“意流イル華会戸奇異羽亜ゲートキーパー”と書かれた色紙を抱きながら、汐里は小首を傾げる。

 凡人である彼女にとって、その言葉の意味を正しく認識することは酷く難しいことであった。天才から言われればなおさら、皮肉か揶揄する言葉に思えて仕方なかった。


「ま、冗談の方が絶対によかったと思えるような内容だけどね。聞く?」

「聞いたら、どうなるんですか?」

「贖罪と復讐の力が手に入るわよ。その代わり、あなたから普通こうふく平穏にちじょうは永遠に失われる。どう? 人類希望の鉄砲玉になってみる気はない?」

「鉄砲玉って……本当に、ロクでもないんですね」


 そーねー、とイルは汐里の引きつった言葉を肯定する。そこに真面目さはまったくなく、完全に適当な返事であった。

 ……この人にとっての最高とは、凡人にとっての核兵器みたいなモノなのだろうと汐里はなんとなく察した。


「ま、そんな怖がんなくてもいいわよ。だって、もうとっくに慣れたことを繰り返すだけだし。わたしがあなたに渡すのはこの神銘兵装ドレスコードだけよ」


 そう言って、イルが懐から取り出したのは一つの金色のブレスレット……神銘武装ドレスコードが内包されたキャビネットリングであった。


「……このキャビネットリングの神銘コードは?」

「源流神キングゥ……古代メソポタミア神話において、人類創造の材料となった負け犬の神様よ」

「まけ、いぬ……」

「そうそう。母なる海の女神であるティアマトが神々と争う際に指揮官として任命された神サマで、ティアマトの寵愛を受けたのにも関わらず強大な神々を前に敵前逃亡! 結局、逃げ切れずお縄についたキングゥは人類の材料にされてしまいましたってのが大まかな話」


 その話は不思議なほどに汐里の胸に入り込んだ。あるいはしっくり来た、とでも言うべきか。

 私とキングゥは同一だ。私は逃げたのだ。そして私は捕まったのだ。

 あの日、故郷が滅んだ時、私は我が身可愛さで家族を見捨てて逃げてしまった。

 あの日、私は生き残るために仲間を見捨てて逃げ出した。

 アジ・ダハーカに組み伏せられたときも、生きたい、生きたい、生きたいとうわ言のように懇願していた。そして、毒蛇に……邪竜に噛まれたのだ。

 ……復讐なんて、結局は言い訳だ。自分が生きていてもいいと思えるよう勝手に理屈を付けて、ウソの目標に向かって邁進することで自分の罪から目を反らしていただけで……それが、私の真実だ。

 そして私は捕まった。キングゥと同じように、バラバラになるまで、骨の髄まで利用される。


 そして、その運命は変えられない。自覚したところで、もう手遅れに過ぎる。

 10万近い私の犠牲は、たった一人では贖いきれるものではないのだから。

 その罪を背負い切れるほど、私は強くないのだから。


「それを覆すのが、このドレスコードとあなたの身体よ」

「──え?」

「言い換えればそうねぇ……あなただけにしか出来ない仕事があるわけなのよ」


 それは、つまり。


「千原汐里、あなたの仕事は死ぬことよ。キングゥの万能性と、あなたの身体を使えばおよそあらゆる場所の偵察が可能よ。そもそも、ホルダーの死因の1番は不意打ち……言い換えれば情報不足が原因よ」

「情報、不足……」


 思い当たるフシは、ある。あの日、アジ・ダハーカが出現していると知っていれば不死殺しの神銘コードを持つ少女が参戦できたかもしれない。あるいは、殺しきれずとも封印という対応ができたかもしれない。

 情報を集めるには、どうすれば良いか。……1番は実際に戦い、そして生き残ることだ。

 しかし、それでは意味がない。いくら生存に特化した神銘を持とうとも、状況次第では10秒と経たずして死んでしまうのがこの戦いで、そもそも情報を集めるために貴重な兵を情報のない死地に向かわせること自体が本末転倒に過ぎるのだ。

 だが、千原汐里という少女であれば……?


「……鉄砲玉って、そういうことですか」

「そーいうこと、あなたの仕事は死ぬことと、死因をこちらに伝えること。これで理解は十分かしら?」

「ええ、十分すぎるほどに」

 ……つまり、10万の屍の罪を、私一人だけの屍山を築くことで償えと、私一人の死を以てこれから先の死の確率を下げろと言われているのだ。

 なんて、恐ろしい。私はこれから何回死ねば良いのだろうか。

 もう、幾千幾万と死んでいるというのに。まだ死ねと、これから先の死を総て背負えと私は定められているのか。


「話が理解できたところで……この話、受ける?」

「……拒否したらどうなるんですか?」

「その選択肢を選んだら……そうね、普通の人生があるわよ。ただ、終わる可能性は微塵もない、死という結末を迎えることが出来ない、永遠の牢獄にちじょうにあなたは落ちるわ」


 それは、ある意味で幸福だろう。私は……私が本当に欲しかったのは、そういう日々だったと思う。

 だけど、終わりがない、というのはある意味死ぬ以上に恐ろしいことだと私は理解できてしまう。

 あの日々の真逆を想像すれば、それは天国ではなくまた別の地獄であることを、汐里は想像できてしまった。


「ちなみに、この仕事を受ければあなたは本当の死を迎える可能性が僅かにだけど生まれるのよ」

「……まさか」

「そうそう。不死殺しの概念ぶんめいを取り込んだアルガに殺されれば終わるだろうし、あるいは……あなたを改造したアルガ“アジ・ダハーカ”であれば、あなたを元の在り方カタチに戻すのも可能かもしれないわよ?」


 息が詰まる。この人は天才と呼ばれるけど、本当は悪魔なんじゃないかと汐里は思った。

 抱いた色紙にシワが刻まれる。……事実上、拒否権はない。汐里に無限の死を受け入れることが出来ないように、永遠の生を耐える器もまたない。……不死身の肉体と不死身の精神を得たとしても、不屈の魂を備えているわけではないのだ。

 であれば、確率が僅かでも高い選択は……一つだけだ。


「……わかり、ました。なります、私は……私の死を以て人類救済の防人に……なります」

「いい返事ね。オーケー、本部にはそういう風に伝えておくわ」

 血を吐くように頷いた少女の言葉を、イルはニタリと笑いながら聞き届けた。


「それじゃ、気が向いたら地下訓練室でそのドレスコードを纏ってみなさい。運用までそんなに時間はないから、早い内に慣れておきなさいね~」

「了解しました」


 じゃね~と手を振りながらイルは診察室を後にした。

 残ったのは、不死身の少女と金色のブレスレットだけ。


「──はぁ……気が重いなぁ」


 ため息混じりに呟いた言葉は、少女がブレスレットに手を伸ばす頃には虚空に消えていた。

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