幕間④ 真帆の章
「あれ、わたし……なんでまだ生きて」
真帆はまだ自分の思考が停止していないことに戸惑いながら、ゆっくりと目を開けた。
両手をぐーぱーして、自分が五体満足であることを確認する。そしてそのまままっすぐ前を向くと、アヴェリンの悲しそうな顔が目に飛び込んできた。
「貴女は違う」
「……違う?」
「貴女はまだ誰も殺していません」
「……」
「カインとローデヴェインを殺した勇者、それにスコルピオンを殺したこの世界の吸血種。あの二人は駄目です。ですが誰も殺していない貴女を手にかけることはできません」
アヴェリンの言葉を飲み込むのに少し時間がかかった。
確かに真帆はエミィもハンスロッドも殺していない。しかし戦い、勝利したことは事実だ。
「戦って敗北したのは彼らの努力が足りなかったからです。彼らが悪い。ですが、生命活動を停止させるのはよくない。それは当人の反省と努力の可能性を完全に奪う行為です」
なるほど。真帆は少しだけ納得した。アヴェリンの価値観では、たとえ敵対していたとしても、他人を殺すことはやってはいけない行為らしい。
剣とアイリーンはそれを行った許されざる存在だから直々に手を下すそうだ。
「待って、でもカインは通行人を見境なく襲おうとしていたし、わたしに明確な殺意を向けた。ローデヴェインもわたしたち全員を殺そうとしたよ」
「それはあの二人の価値観でしょう」
「……」
「もしその価値観が許されないことだとしても、その価値観を省みるかもしれない未来を奪ったあの二人はやはり許せません。だからあの二人は殺します」
それだけ殺しが駄目だと言いながら剣とアイリーンを殺そうとしていることに違和感がないわけでもなかったが、問い詰めたところで理解できない答えが返ってくる気がしたので何も聞かなかった。
真帆は問答中も不意を突いて攻撃できるスキを伺っていたが、見つけることはできなかった。
ただ雑談するかのように淡々と言葉を紡いでいるだけなのに、攻撃したら反撃されるという確信があった。
――あれ? でも。真帆は思った。
アヴェリンはわたしを殺す気がない。そこに付け入るスキがあるかもしれない。
殺す覚悟を持った真帆の攻撃と、殺さない意思を持ったアヴェリンの反撃。どちらが強いかは明確じゃない?
真帆はアヴェリンに悟られないよう、地属性の詠唱を唱えた。
場所はまだ森の中腹部だ。先ほどと同じように土はたくさんある。
エミィやハンスロッドを圧倒したわたしなら、勝ちの目はあるはず。ここでこいつを倒してしまえば、剣くんもアイリーンも吸血種の影におびえる必要がなくなる。
――だから。
真帆は息を吸い、大きく右手を振り上げて土の雪崩を引き起こした。それをアヴェリンに向けてぶつける。
アヴェリンは一瞬ぎょっとして回避行動に入ろうとしたが、全方向から彼を取り囲むように流れ込んでくる土を防ぐ術もなく、そのまま飲み込まれていった。
呆気ない。吸血種とはいえ完全に生き埋めにされてしまえば呼吸ができなくなって死ぬだろう。
真帆は警戒を解かずに事の成り行きを見守る。
数秒たち、十秒たち、数分が経った。アヴェリンを生き埋めにした土の塊はピクリとも動かない。
「……ふう。案外呆気なかった、かな」
真帆が安堵のため息をついた瞬間、背中から丁寧な声をかけられた。
「満足しましたか?」
その声が先ほど埋めたはずのアヴェリンのものだと気付いた瞬間、真帆は勢いよく振り返る。
「そんな……どうして」
アヴェリンは泥にまみれていたがダメージを受けた様子は全くなかった。
これが泥もなく綺麗な状態なままだったら、真帆に認識できない超スピード、あるいは移動系の魔術か魔法で事なきを得たのだと予測できるが、彼の服についていた土や泥がその説を否定していた。
彼は一度、埋まっている。
「一体どうやって脱出したの?」
「簡単な話。上から土が迫ってくるなら下に逃げればいいだけです」
まさかこの男、地面を掘って移動したってこと?
……ちょっとシュールな光景だね。
一生懸命地面を掘る銀髪のイケメンを想像して笑いそうになった真帆だったが、アヴェリンの次の言葉を聞いて戦慄した。
「貴女もしかして、自分が壊されないと勘違いしていませんか?」
瞬間、真帆の右手に激痛が走る――
「あぐ……ああああああ」
痛みに支配された頭で必死に自分の右手を認識すると、肘が本来回らない方向へ折れ曲がっていた。
「次は切り落とします」
その言葉が脅しじゃないことは身に染みて痛感した。
「私が約束するのはあくまであなたの命を止めないということだけです。それ以外なら別にどうなったってかまわない」
「……腕を切り落とすことは、あなたの言う、未来とか努力する機会を……奪ったことにならないの?」
「愚弄しないでください」
「……?」
「腕がなくても、足がなくても、努力次第で生物は進化できます。欠損や障碍を抱えていても尊敬できる生物は多くいます。私が許せないのはその機会を完全に奪う、殺すという行為のみ。貴女は勇者や吸血種をおびき出すための餌なんですから、大人しくしていただければこれ以上傷はつけませんよ」
「……餌」
「夜明けも近い。貴女には私と一緒にいったんこちらの世界へ来ていただきます。そして次の晩、またこちらへ戻り、勇者と吸血種を殺して私は帰ります。理解できましたか?」
「……」
どうやらこの場での拒否権はなさそうだね。とりあえず、折れた腕を回復させることに専念しよう。
そのまま真帆は、なすすべもなく吸血種たちが元いた世界へと引きずり込まれた。
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