第二章③ 社会人になるとMPの概念が身を持って理解できる

 いろいろと聞きたいことはあったが、まずは前提の部分を聞いてみる。

「勇者だとか魔法使いだとか吸血種だとか、そういうファンタジーの中でしか見たことのないような存在は、実はこの世界に多く潜んでいるのか?」

「わたしの中では全然ファンタジーじゃないんだけどね。とりあえず魔力とか超筋力などの、大半の人間にはない力を持つ存在の総数を聞きたいという認識でいい?」

 俺は頷く。

「魔法使いは少なくとも日本にはほぼいない。片手で数えられるくらいかな。魔術師はもう少しいるかもしれないけど、魔術は個人の素質より家系が重要視される世界で、わたしが知っている限り魔術師の家系は日本に十世帯もいないはず」

 それを聞いて俺は安心した。懸念していた数よりも相当少ない。実は隣人のほとんどが魔法使いです、とか言われたらどうしようかとちょっと緊張すらしていた。

「で、吸血種の数は本当にわからない。繁殖方法もわからないし、人間との混血もいるっていう噂も聞く。でも、基本的にはカインのように人間を殺すことはないはずなんだ」

 真帆は百年ほど前の魔法使いと吸血種の大戦の経緯を話した。

 戦いの末、魔法使いは吸血種という種族全体に人を殺さないようを打ち込んだらしく、本来カインのような行動はできないらしいのだ。その魔法が解けた気配や報告もないため、どうして彼のような例外が生まれたのかは目下調査中とのこと。

「吸血種以外の、人間に危害を加える存在はいないのか?」

「いるよ。そうだなあ、全国各地でだいたい三か月に一回くらいは何らかの事件を起こしている。まあ魔法使いがその度に止めに入るから悲惨な結果になったことはほとんどないし、最近は事件の頻度自体も減ってきているけど」

「そして、真帆は魔力を持たない人間を守るのが仕事だと」

「仕事、というとちょっと違うかな。でもそれを目的に魔法を使っていることは確かだよ」

「どうして桜塚に来たんだ?」

「それは……もちろん聖剣伝説の調査だよ」

 真帆は少しだけ言いよどんだ。

 俺はその言葉に違和感を覚える。

 桜塚の聖剣伝説自体はかなり前から浸透していたはずだ。テニサーの海斗さんが知っていたように、桜塚市民のほとんどが知っていただろう。

 それをいまさら調査する意味が分からないし、そのために大学を受験したというのも腑に落ちない。日帰りで洞窟を観察したら終わりのような気もするが。

「……ごめん、ちょっとだけ嘘ついた」

 じっと見つめると真帆は謝りながら両手を挙げた。

「大学に行きたかったんだ。ほら、わたしって高校どころか義務教育も受けてないし。でもこれからは魔法使いだけを生業として生きていける時代でもないでしょ? 生き抜くためにある程度の学歴は必要じゃん」

「えっ、義務教育受けてないの?」

 衝撃的過ぎて思わず一瞬スルーしてしまった。

 魔法使いを生業とする、あたりも看過できない発言だったけれど、義務教育のほうが一大事だ。

 まああれは教育を義務ではなく義務だから、真帆本人にはなにも責任はないのだが。

 でも、真帆と半日話してて、とても義務教育を受けていないとは思えなかった。受け答えはしっかりしているし、難しめの日本語も知っているし……

 いや、待て。

「もしかして、何でもかんでもネットで見たって言っているの、あながち間違いじゃないのか?」

 そう聞くと真帆は図星を突かれたかのように顔をしかめた。

「そう、なんだよね。わたしって対人経験が薄いから、普通義務教育で得られるはずのイッパンジョーシキは大体ネットで得たんだよ」

 俺は少しだけ戦慄した。

 この女、かなり危険じゃないか?

 インターネットは正しく使えばかなり優秀な情報収集ツールだが、いたるところに落とし穴が存在している。いまのところ真帆の言動に対してそんなに強い違和感を覚えたことはないが、彼女の言動や動向には注意しておくべきかもしれない。

 などと考えていると、真帆が意を決したような顔でこっちを見た。

「剣くん」

 思わずその長い睫毛に見とれてしまう。俺は少しだけドキドキしながら真帆の言葉を待った。

「……こんなわたしだけど、これからもどうか仲良くしてください」

 手を差し出しながら頭を下げてくる真摯な姿勢を見て、その申し出を断れるはずもなく。

 というか、断る理由が全くなく。こちらのほうこそ仲良くしてほしい。

 俺は少しだけ照れながら、彼女の柔らかい手を握り返した。

 数秒見つめ合うと、にこっとしていた真帆が突然……と真顔になった。

「真帆……?」

 その表情の変わりように戸惑っていると、彼女が事務的な口調で話し始める。

「と、いうことで剣くん。仲良くしてくれるってことはわたしに一方的に守られるだけじゃなく、対等な関係でありたいということだよね」

「……お、おう」

「だったら、自分の身は自分で守るために、ここを拠点とすることを認めたってことでいいよね」

 優しく差し出された手は悪魔の契約だったようだ。

 それは暴論だよ! と叫ぶのを我慢して黙っていると、真帆は再びにこやかな顔つきになって「大丈夫だよ。それと、もしここが拠点になるならわたしも時々お邪魔させてもらうかも」と語尾にハートマークがつきそうな甘えた声で言われるもんだから俺はあっけなく首を縦に振った。

 こんな可愛い女の子がまた家に来るとか言われて断れる人いる?

「やった~~~~!」

 と、馬鹿でかい声で叫んだのは聖。

「ここがあたしの新しい家ね! 魔法使いの娘、感謝してあげるわ」

「いえいえ。わたしも剣くんが心配でしたから。聖剣さんしっかりこの人のこと守ってくださいね。あと真帆でいいですよ」

「わかった、任せてマホ! マホもあたしのことは聖って呼んでくれていいから」

「そんな……恐れ多いです」

「遠慮しない遠慮しない。もうあたしたちは共に戦った仲間でしょ?」

「わかりました。よろしくお願いします、セイントさん」

「変なルビを振るな!」

 そんなこんなで、壁にもたれかかるようにして立っていた聖が嬉しそうな顔のまま目を閉じた。どうやら拠点作成をはじめたらしい。

 ああ、俺の家が……

「拠点作成には数時間かかるからね、あんたたちは寝てていいわよ。目は閉じておいてあげるから安心して」

「そんな変な気を回すならせめて耳も塞いでくれ。真帆、家はどの辺だ? 送っていくよ」

「あら、ありがとう剣くん。優しいね。でも大丈夫」

「大丈夫じゃないだろ」

 俺はちらりと時計を確認した。もう深夜一時を回っている。こんな時間に女の子一人で帰らすわけにはいかない。でも真帆は大丈夫の一点張りだった。

「いやいや、本当に大丈夫だから、ね?」

 上目遣いで説得されても、こんな可愛い子に夜道を歩かすわけにはいかないという気持ちが強まるだけである。

「君みたいな女の子に一人で夜道を歩かせるとかあり得ないから。ネットにも書いていただろ? だから送っていくって」

「ネットにはあなたみたいな人を送り狼っていうって聞いたよ」

「人聞きが悪い!」

 大体俺がその気なら今このタイミングで手を出している。

 なおも引き留めると、真帆は手を挙げた。

「いや、はい。あの、本当に大丈夫なんで」

 彼女は人差し指をおでこにつけて、深呼吸をひとつした。


「『深き森――――』」


「瞬間移動で家に帰るやつがあるか!」

 確かに最も安全な方法だけども!

「えー、この方法が一番早くて便利だもん」

「そりゃあその通りだけどさ」

 古今東西、自宅に帰るために瞬間移動をする魔法使いなんて見たことないぞ。

 大体、魔法を打つリスクとかそういうのはないのか? 普通、エネルギーを消耗したりしそうなものだけど。ゲームでも魔法はMPを消費するだろう?

 考え込んでいると、その疑問に答えるかのように真帆が口を開いた。

「魔法っていうのは、簡単に言えば大気中に漂う魔力を自分のものとして使う奇跡の技なんだ」

 何となく聖から聞いていたので少しは知っている。外的な力を利用する魔法に対して、己の魔力を使用する技が魔術と呼ばれるんだったか。

「でね、剣くんには見えないだろうから信じてもらえないと思うんだけど、大気を漂う魔力って、半透明だけど固形として存在しているし、自我のようなものを持っているんだ」

「は?」

「わたしたちはその魔力の塊のことをって呼んでいる。わたしの目にはこの部屋にも数多くの精霊が見えているの」

「……」

 情報量が多すぎて頭が痛くなってきた。俺は現実逃避を兼ねてどうでもいい質問をする。

「どんな見た目なんだ?」

「うーん、大きさは手のひらに乗るくらいで、見た目は各属性によってまちまちかな。火属性の精霊は赤色で二足歩行のライオンのぬいぐるみみたいな見た目」

 そんなんが大気中に漂っているの、シンプルに怖いんだけど。

「あ、ほら今剣くんの目の前にいるよー」

 楽しそうに真帆が俺の方を指さす。

「いまね、顔の当たりをふわふわ漂ってる」

 実況されても俺には何も見えない。

「あ、今顔触ったよ! それでねー、え、えっと……いや、そこは、そこは、ひぃ! そんなところに入っちゃ……」

 突然真帆の精霊観察実況が乱れ始めた。

「やっ、だっ、だめっ!」

 と、文字に起こすとえらく官能的な言葉を発して真帆はこっちに手を伸ばしてきた。

 目が合う。

 今回は真帆がすぐに目を逸らした。

「……真帆」

「なんでしょう?」

「いま、精霊が俺の顔付近にいたんだよな。その精霊、今どうなってる?」

「……耳の……い、いやあ、君の肩にちょこんと行儀よく座っているよ?」

「絶対嘘じゃん!」

 今耳って言いかけたよな? 耳って何? 耳の中? 耳の中に小さいライオン? グロくない?

「と、まあ、こんな感じで世界は精霊であふれているの」

 俺の耳の奥にもいるしな。

「で、その精霊たちと友達になることが魔法を使うための一歩目なんだ。友達になった精霊は、基本的にお願いすればいつでも力を貸してくれるの。というより、友達になった証に、自分たちを使役する呪文を教えてくれる。それが詠唱。一度友達になって詠唱を教えてもらえれば、あとはいくらでも魔法が使えるってわけ」

「ほー、それは本当に便利なもんだ。ちなみにその詠唱を俺が唱えるとどうなるんだ?」

「何も起きないよ。その詠唱はあくまでの友達の証だからね。なんなら、全く同じ精霊と友達になっても別の詠唱を教えられることすらある」

 魔法は思ったよりも奥が深そうだった。真帆の唱えていた詠唱を同じように唱えたところで単純に使えないらしい。

 そもそも精霊とか見えんし。

「剣くんはさっきのビームを出す技のように聖剣を介して聖エネルギーを扱えるっぽいけど、それは魔力とはまた別だからねえ」

「そうなのか」

「うん。聖エネルギーは勇者にしか扱えないとされている不思議なエネルギーで、使い手の精神と密接に結びついているはずだよ。剣くんはさっきビームを打っていたけど、イマジネーション次第ではもっといろんなことができるかも」

 それは心が躍る話だった。

「そんなわけで、わたしは安全に帰れるから帰るね」

 少し浮足立っていた俺に、真帆は小さくあくびをして、ばいばいと手を振ってきた。

「じゃ、また近いうちに。おやすみ」

「ん、んん、おやすみ」

 俺は女の子からのおやすみ発言に少し照れながら手を振り返す。

 それを見て満足気な表情を作った彼女は、瞬間移動の呪文を詠唱して、光とともにどこかへと消えていった。

 あとには、心地よい眠気と、目を閉じて集中している聖、そして明日から授業だという現実だけが残った。

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