第三話『ハゲタカの夜』その6

 一晩中歩き続けた割には、大した距離を移動できなかったらしい。


 勢十郎が辿り着いたのは、七期山にやってきた初日に迷い込んだ旧篠塚城跡だった。まっすぐ下っていけば、あのふざけた駐在に捕まった、七期大社の禁足地に出るはずである。


 大木に背中を預けていた勢十郎は、ふと、山の麓に大きな建物がある事に気付く。

 

 巨大な給水塔を屋上に構えるその施設は、まだたった一日しか通っていない宮戸高校だった。おそらく今は三限目の最中だろう。たった一日、それもまともな授業さえ受けていないのに、学校という当たり前の日常が、今の勢十郎にはひどく遠い。


「なんか、疲れちまったな」


 太陽をさえぎるかすみ雲が、勢いよく東へ流れていく。


 実家へ戻る事も、一度は考えた。考えたのだが、一晩かけて勢十郎が出した答えは、まったく別のものだった。とにかく大花楼へ戻るつもりはない彼は、いっそこのまま失踪してやろうかとさえ思い始めている。


「……あの刀仙からは、逃げられないよ」


 本来この場にいないはずの少女の声に、勢十郎はあまり驚かなかった。


「……松川」

「やぁ。おはよう大槻君」

「お前、学校は?」

「剣道部の自主練中だよ、こんな時に授業なぞ受けていられるか」


 そう言って彼女――、松川切絵は、制服姿で竹刀を掲げてみせた。


 使い込まれた竹刀の柄の黒ずみが、彼女の実力を匂わせている。しかし、刀仙を追う法力僧が『剣道』とは、皮肉というほかないだろう。


 勢十郎は木の根本に座り込み、「ざまぁねえよ」と、肩を落とした。この様子では、彼が勇み足で大花楼を飛び出した後、切絵が黒鉄にフォローを入れてくれたのに違いない。


 クラスメイトは、大人びた苦笑いを浮かべていた。 


「仕方がないさ。人間だもの」

「そうだな。……けど、男のやることじゃなかったな」

「そうだね」


 こんなやりとりも、今の勢十郎には心地良い。

 出会った時から感じていたが、この松川切絵という少女は、いかにも女性らしい見た目とは裏腹に、男性的な思考をする。それは彼女の不思議な魅力だった。


 この場でうまくなぐさめてしまう事が、かえって勢十郎を傷つけるのを、切絵はわかっているのだろう。

 彼は屋上を眺めたまま、彼女の言葉を待っていた。


「それにしても、転入早々サボりとは、大槻君もなかなか不良だね」

「お前に言われたくねえよ」


 負け惜しみの一言が、山の風にさらわれていく。残り雨に湿った森の匂いが、体内を満たしていくようだった。


「……以前、七期大社に伝わる刀の話をしたけれど、覚えているかな?」

「ああ、あの小汚い刀の事か」

「そう、あの小汚い刀の話さ」


 切絵が話しているのは、朽ち果てた白鞘の日本刀と竜退治の事だ。昔話を聞くような気分でもなかったが、右隣に立つ彼女の太腿を気にしながら、勢十郎は仏頂面で続きをうながした。


「三百年前……、江戸時代だ。現在の七条市で治水工事が行われたところまでは話したね?」

「ああ。自分のシマを荒らされた竜神サマがブチ切れて、そんで逆ギレした人間が、あの刀でそいつをぶっ殺したんだろ?」


 言いながら、勢十郎は話の詳細を思い出す。


 かつてこの場所に建っていた篠塚城の主によって、治水工事を進めるのに邪魔だった竜神の排除を画策したという、神殺しの物語。


「うむ。七期大社のHPに載せていた画像があっただろう? あの日本刀が、そうさ。今では我が家の家宝だ。……でもね? 松川家は、何もはじめから神職だったわけじゃない」

「そりゃ、どういう意味だ?」

「七期大社の神主という地位は、当時の藩主から与えられた『褒美ほうび』なんだよ。あの小汚い刀を、神剣・竜尾羽喰たつのおはばみを鍛えたのは、私の先祖にあたる松川貴生きしょうという刀匠とうしょうだった」


 別段、驚くような話でもない。


 刀をまつる神社は全国にみられるので、こういった事例もある。しかし、英雄の子孫であるはずの切絵は、偉大な先祖を誇るどころか、侮蔑ぶべつ眼差まなざしを空へ向けていた。


「神剣鍛造たんぞうの功績を称えられて、私の先祖は七期大社の神主に任命された。けどこの話には、一般には知られていない事実があってね。……松川貴生という人物は、竜神を倒す兵器開発を建前にして、ある禁忌を犯していたんだ」

「……キンキ?」

「生けにえだよ。貴生は日本刀に霊的処置を施すために、実に五人もの少女を人身御供ひとみごくうにしていたのさ」


 勢十郎は、生唾を呑み込んでいた。


 切絵はそれが、真実だと思っているのだろう。竜の実在はさておき、日本刀に霊的処置を施すために、生け贄というものがどれほど有効なのか理解しているのだ。

……彼女もまた、霊気と超科学を頼りにする、法力僧なのだから。


虱潰しらみつぶしに家の文献を読みあさったよ。けれど、この話題に触れている書物は、たった一冊の日誌だけだった。おそらく、竜退治の後に箝口令かんこうれいが敷かれたんだろう」


 そう言って、彼女は制服が汚れるのも構わず、勢十郎の隣に腰を下ろした。


「罪もない少女を五人も殺しておきながら、のうのうと成り上がった愚か者が、私の先祖なのさ。蔵で埋もれていた文献を読むまで、私は何も知らなかった。自分があの家の子供だという事に、誇りさえ持っていた。笑えるだろう?」

「……なんで、そんな話を俺に?」

「モノガミは、ヒトとは違うんだよ。大槻君」


 唐突な指摘に、勢十郎は思わず鼻白む。


 大花楼に住むモノガミ達は、かつて八兵衛と暮らしていた。その延長線上に、今の勢十郎の立場がある。互いの距離感を決めているのは、モノガミ達の方なのだ。


「私は法力僧だから、心霊現象は飯の種だ。モノガミもそう。だから必要以上に彼らに肩入れするような真似はしないし、道具として扱う。……私の先祖は、人間も道具にしたわけだけど」

「オチをつけるなよ」

「なまじ人型のモノガミが多いから、迷っているんじゃないのかい? 今はまだ曖昧あいまいな関係でも、そのうちはっきりさせた方がいい。でないと、見ている方はもどかしくなるばかりだよ」


 勢十郎はなんとも言えない気持ちになって、さっとその場に立ち上がる。うつむいたままだったので、隣に座る彼女の茶髪と、セーラー服の胸元がガッツリと見えていた。


 赤ジャージの少年は、慌てて顔をそらした。


「……文献によると、人身御供になった少女達は全員志願者で、貴族の家柄だったそうだよ。ねえ、大槻君? 生け贄になった日、彼女達は、本当は何を思っていたんだろうね?」


 こいつは嫌な女だと、勢十郎は思った。

 冗談の上ならまだしも、この状況で他人の気持ちを試すような言い方は、あまりスマートとはいえまい。


 切絵はすっ、と立ち上がった。


「そう悩まない事だよ。そうだ、気分転換に明日は春祭りへ来たまえ。君みたいな不良にとっては、友達を作る絶好の機会だし、なにより、お賽銭さいせんが私の小遣いに反映される」


 勢十郎の反論を待たず、彼女は軽く手を振って山道へ戻っていく。


 わざわざ学校まで休んで、切絵が勢十郎の様子を見に来た事ぐらい、彼にも分かっていた。つくづく、お人良しなクラスメイトである。

 だが、不思議と勢十郎の気持ちは軽くなっていた。


 七期山の空には、いつのまにか晴れ間が覗いている。


「……?」


 クラスメイトの姿が見えなくなってすぐ、勢十郎の鋭い声が森の中にこだました。切絵との会話の最中、彼はずっと、誰かに監視されているような、気味の悪い感覚に神経を削られていたのだ。

 

 ほどなくして、杉の木の陰から現れたのは、ひどく地味な人物だった。



「いやあ、申し訳ない。出歯亀でばがめするつもりは、これっぽっちもなかったんだよ?」



 本心でそう思っているなら、すぐに立ち去っていたはずである。森から現れたのは、やけに背の高い、しかしくたびれた中年男性だった。



 男は、三日前に勢十郎を車で送ってくれたあの駐在だった。よれたシケモクに火を付けて、大きく紫煙を吐き出すその姿には、やはり警察官の貫禄はない。


「ストーカー趣味があったのか? 言っとくが、今日は何もしてねえぞ」


 あくまでも喧嘩腰な勢十郎に、駐在は煙草の煙をくゆらせた。


「これでもう三度も会っているのに、つれないな」

「……二度目の間違いだろうが。適当なこと言ってんじゃねえよ」

?」


 いきなり抑揚を無くした男の声に、勢十郎は戦慄する。


 何気なく持ち上げた駐在の左手には、『天狗の面』がぶら下がっていたのだ。見覚えのありすぎるそのデザインは、確かにあの刀仙の――、東条のものだった。


「てめ……ッッ!?」


 悪い冗談としか思えなかった。


 勢十郎は大花楼の住人達と出会うよりもずっと前に、この男と遭遇していたのである。手錠を掛けられたまま、パトカーで護送されていたあの時も、東条はいつでも彼を殺せる状態にあったのだ。


 身の毛もよだつ想像に勢十郎は硬直したが、東条はおだやかに笑っている。心なしか、その手にぶら下がる天狗の面まで笑い出しそうにみえた。


「私もいい大人だからね、昼間はこの通りさ。……、意外だったかな?」

「お前みたいな野郎が公務員やってるようじゃ、日本はよっぽどヤベーんだな」


 言い終わると同時に、勢十郎の首から下は、驚くほど大胆な行動に打って出る。彼は東条に向かって、一目散に駆け出していた。

 足場の悪い山道、坂の上側にいる勢十郎が少しだけ有利な状況だ。拳でも体当たりでも、当たれば吹っ飛ぶのは東条の方――。


「……そういう愚かなところは、八兵衛とそっくりだな」


 ぞっとするような囁きが聞こえた直後、天狗の面を被った東条の姿が、勢十郎の目の前からかき消えた。だが、彼は大木に激突する寸前に踏み留まると、上半身の筋肉がねじ切れるのを覚悟で、左拳を真後ろにフルスイングする。


 次の瞬間、脳天から爪先へ打撃音が突き抜けて、勢十郎の視界は暗転した。



……そういや黒鉄のやつ、今、どうしてんだろうな。



 カウンターで貫かれた顎の痛みより、彼はなぜかその方が気になった。


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