第251話 いっぱいあってな
【兵庫県香美町 JR山陰本線】
日本海の景色が、高速で流れて行った。
窓の外に広がる様子を、ヒメは不思議そうにじっと見つめている。
JR山陰本線の各停列車だった。ヒメは今まで着たこともないような洋服に毛糸の帽子を被らされてこの乗り物に、生まれて初めて乗っているのだ。目的地は大阪、梅田。もちろん彼女は本来ならば広島まで出て電車に乗った方がよほど早いという事実は知らなかった。そのルートや高速バスなどの移動経路が破壊されてしまい、結果としてこの電車を利用してひとまず兵庫県豊岡市を目指し、そこから播但線で姫路駅へ。そこから神戸線に乗り換えて大阪に向かうのだということも知らない。
「私が初めて鉄道に乗ったのは今から一世紀半ほど前でのう。実際に動くのを見るまで、こんな鉄の塊を火と水の力だけでどこまで動かせるのかと疑問じゃった」
顔を上げる。横で、やはり洋服を着て座っている美しい女性は、悪天候の魔女だった。人間の姿を取ったこの大神は、どこか懐かしそうにしている。ヒメは迎えに来た彼女に引き取られたのだ。
「進歩は早い。最初戦車に乗っていた人間たちは、馬を品種改良してたちまちのうちに大きくし、直接乗れるようにした。ローマ人はどこまでも続く道を作った。隋は途方もなく巨大な運河を建設した。最初筏に乗っていた人間たちは葦舟を作るようになり、やがて丸木舟から紐や釘で木材を繋いだ船へと進化させていった。ちっぽけな船で日に何百キロも航海するようになった。火と金属の扱いもそうじゃ。私が若いころはまだ人間たちは銅を使っておった。やがて、私が一時期庇護していた民族が鉄を発明した。鉄を得た彼らは強かった。ヒッタイトと呼ばれておる。やがて来た海の民に滅ぼされてしもうたがの」
「ふうん」
「じゃが、ヒッタイトは滅んでも人は滅びなかった。多くの人間が世界中に散らばり、鉄の文化を広めていった。文明の滅亡とは終わりを意味するものではないのだと知った。彼らだけではない。多くの民族を守り、慈しみ、時折人と交わっては英雄や王を生んだ。名前もたくさん付けられた。私はユーラシア大陸中をほっつきまわっておったからの。覚えておるだけでも数百の名、数千の称号がある。まさしくいっぱいあってな、というわけじゃ。人を愛し、救い、全てを与え、新しいものを創造し、時には人間の愚かさを憎み、絶望し、奪い、殺し、殺された。気付いたときには崇拝者が滅んでいたこともあった。そういう時は異教の記憶に残る悪魔として蘇るのが常じゃった。私の神格が安定して一貫していた時期というのはほとんどない。私に生えている角はその頃の名残だ。私を崇拝していた民族には、鹿が天空と地上を行き来すると信じておる者たちもおった。今ではサカと呼ばれる民族とかな。彼らのような者たちの神を悪魔化する過程で角が生やされた。私は神であると同時に悪魔でもあるのだ。それ故に、魔女。
名前とはあり方よ。そして私にとっては、名前とは名乗るものではない。与えられるものじゃった」
そうして魔女は、ヒメに対して体ごと向き直った。この、ヤマタノオロチの化身に対して。
「ヒメよ。そなたは今日より私の娘となる。故に決めよ。私の名。自らの母となる者の名前を」
神と対峙した少女は、じっと相手の目を見つめた。そうして、考えた。
考えた上で、答えた。
「ならあなたは魔女だ。悪魔の女だからじゃなく、ミナがそう呼んでたから」
「そうか」
魔女は、少女を抱きしめた。似たような光景はこの日、同じ車内でもたくさん見られた。破局の訪れた島根、出雲の地から逃れるように走るこの列車内では。
2柱の女神はこの日遅く、梅田にある"魔女の庭"へとたどり着いた。
◇
ノドカは、袖で汗を拭った。
畑に囲まれた場所にある木造のカレー屋兼カフェの庭である。道からやや奥に建物があり、その周りは砂利が敷き詰められたかなり広い駐車スペース。横手には柵で囲まれ、屋根や小屋が設けられ、ポニーや山羊が放されている。
マリアと共に身を寄せている出雲のコミュニティのたまり場だった。
片付けの手伝いもようやく一段落がついたところだ。マリアはカフェの店主と共に支援物資を手に入れに出かけた。ノドカはこうして静流たちの生還を待っている。そのうち助けが来るだろう。道路が寸断されている今、すぐというわけにはいかなくとも。
寒くなってきた。薪ストーブで暖かい屋内へ戻ろうとしたところで。
「おおーい」
声に振り返ると、道の向こうから車が走ってきた。でこぼこの道をえらい苦労している。なんだか白いバンである。運転しているのは屈強な、面識のない人。
窓からこちらに手を振っているのは、静流だった。なんか髪の毛が滅茶苦茶のびている。
手を振り返す。
やがてバンが止まると、中から知った顔が降りてきた。静流だけではなく、竜太郎も。たぶん雛子も。そして、ミナも下りてきたのだ。あと、知らない男装の少女も。
「無事やったか」
「うん。静流も」
言葉を交わす。空に運ばれていく様子を見ていたからきっと生きていると信じてはいたが、今ようやくそれが確認できたのだ。
ミナが、抱き着いてきた。
「ママ!!」
「よかった。ほんとによかった……怪我とかしてない?大丈夫?」
「うん!」
そこでノドカは気が付いた。ミナの両手に、複雑な文様のようなあざが浮かんでいることに。今まではなかったはず。
「ミナ。これは……?」
「魔女さんに貰ったの。槍と、鎧。おかげで怪我しなかったんだよ」
「そう」
マントに身を包んだミナは、本当にうれしそうだった。
竜太郎が告げる。
「雛子ちゃんもそこにいる。無事だよ。あと、こっちは友人のファントマ。僕らが行方不明になったと聞いて探しに来てくれてたんだ。県警で会ってね」
そっちにも会釈する。
「よかった。全員が無事で。
中に入りましょう。ここは寒いですし」
「そうさせてもらうよ。何が起きたか話さなきゃいけないしな。マリアさんもいるんだよね」
「はい。支援物資を貰いに出てますけど、すぐ戻って来ると思います」
ぞろぞろとカフェに入っていく一同。彼らを先導し、ノドカは安堵する。今回も無事に生き延びることができたのだと。もちろん、家に帰るまでが遠足だ。被災地から神戸に戻るのも大変だろう。
それでも、ノドカは安堵していた。
◇
「や……やっと我が家だ」
竜太郎は玄関でひっくり返った。普段はこんなはしたない真似はしないのだが、さすがにバテた。冬休みに突入した土曜の12月23日が旅行へ出発した日。24日のクリスマス・イヴ深夜に土蜘蛛一族に捕まり、ヤマタノオロチの復活は27日。アインヘリアルを倒したのが28日。そして今、31日。大晦日である。何度も死ぬような思いを経て、ようやく自宅にたどり着いたのだ。年内に戻れてよかった。
一緒に帰ってきた雛子やファントマも、疲労困憊の極みでぶっ倒れている。事件が一通り片付いた後。島根県から何とか交通の生きている地域まで脱出し、たまり場から迎えに来てくれた常連の車に分乗してここまで送ってもらったのである。静流たちも今頃家だろう。ちなみに自宅の鍵も失ったので雛子が透過して開けた。年明けにはスペアキーからまた鍵を作らねば。
「正月の用意……どうする?」
「今日はさすがに休みたいな……」
ファントマにそう答える。本当ならば年末は三人で大掃除したりおせちを作る予定だったのだ。もちろん、余裕をもって。正月飾りやら鏡餅やらは雛子もいるので、竜太郎が寝ている仏間だけに飾るつもりだったが。あの辺はめでたいにも程がある。幽霊にとってはちょっと威力が強すぎた。その辺を大晦日に買いに行くのは縁起がよろしくないが。そういえば財布もカードも失ったので銀行が開くまで買い物にも行けない。ファントマに頼めば貸してくれるだろうが。
頭の中で正月はどう過ごすか考える。さすがに初詣にはいかねばならない。何しろ素戔嗚尊や奇稲田姫、建御名方のおかげで今年は生き延びられたのだから。雛子は連れて行けないにしても、代表して参詣しておかねば不義理にも程がある。まあ奇稲田姫には直接礼は言っておいたが。
などと思っていると。
「宅配便でーす」
開いている玄関を見たのだろう。止まっているトラックから配達員が降りてきていた。竜太郎が出ていくと、冷蔵された箱が。こんなもの頼んだっけ?
差出人を見ると、悪天候の魔女とあった。
「では、よいお年をー」
年末だというのに忙しそうに働く配達員に礼を告げ、受け取った箱を持って入る。三人で家に入り、そいつを開けると。
「わあ……」「おせちだ」
そう。綺麗にタッパーへ分けて入れられたおせち料理。パッケージに入った餅。雑煮大根や金時人参。蕎麦。そして鯛が入っていたのである。なんとめでたい。
確認すると、メッセージカードが挿入されていた。
『タッパーは返却不要。よいお年を。魔女より』と綺麗に筆(あるいは筆ペン?)で書いてある。どうやら、先の戦いで苦労した竜太郎たちへの差し入れらしい。素晴らしい。これで年が越せる。
「神はいるもんなんだなあ」
しみじみとそんなことを呟く竜太郎である。
元気を少しばかり取り戻した三人は、最低限の年越しの準備を始めた。
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