第56話 王子は、混乱する

「あ、ああ。久しぶりだね。クリステル。その……ずいぶん変わったね」


今までと違うクリステルの態度に、ヒューは戸惑っていた。だが、クリステルはヒュー構わずに話をどんどん進めていく。こんなに饒舌に話すクリステルを知っている者はこの場にほとんど居ない。父である国王ですら、娘の変化に驚いていた。


「お分かりになりますか? わたくし、王妃様に命を狙われて逃げましたの。城を出てから様々な経験をしましたわ。とても、有意義な時間でした。頼もしい仲間や、素晴らしい人々との出会いがありましたの。おかげで、ずいぶん成長出来たと思いますわ。そうそう、元婚約者のピエール様にもお会い致しましたのよ。わたくしは、王妃様から逃れる為に髪を切りましたので気が付かれなかったようですけど」


「そ、そうだ……髪……」


「貴族や王族が短髪などあり得ないと分かっておりますけど、命には代えられないでしょう? わたくしが髪を切ったから、王妃様が追っ手をかけず逃げられたのですもの。髪を切っていなければ、きっと何人も暗殺者を差し向けられておりましたわ。わたくしを追って来た暗殺者は一人だけでした。ねぇ、お兄様は知って……」


「クリステル! 無事で良かった!!!」


マークの話をされてはたまらない。焦ってクリステルに抱きついたヒューは、クリステルの背が高くなり、筋肉が付いている事に気が付いた。だが、クリステルがゴールドランクの冒険者になっているとは思っていない。


「ありがとう。お兄様」


いつもなら、自分が抱き締めれば縋って来るのに。ヒューは、あっさり身体を離したクリステルを不審に思いながらクリステルの発言に注目した。


「婚約破棄を正式に謝罪して頂きましたの。こちらはお父様にお渡しするようにとお預かりした書状ですわ」


「すぐに見る。クリステル、側へ。其方は命を狙われておるからな。護衛はクリステルから離れるな」


「「御意」」


クリステルと、鎧を着た男が国王陛下に近付く。謁見の間で父に側に来るようにと言われた事のないヒューは、焦った。


「剣を持つ者が父上の近くに行くのは……」


「構わぬ。私には護衛も影もついておる。それとも、国王の護衛と影が信用出来ぬのか?」


「い、いえ。父上が許可したのなら構いません」


おかしい。何故だ。全く思い通りにいかない。父が表舞台に立たないよう宰相に指示を出していたから、みんな父が弱っていると思っていた。だから、精力的に動く自分が王に相応しいと思わせていたのに。これではまだまだ父が国王でいる方が良いと思われてしまう。


クリステルが戻って来たのなら、王位継承者は2人。多少強引な手を使ってでもクリステルを城から出さないと。


そうだ、クリステルが婚姻した事をこの場で公表しよう。王族なのに結婚を勝手にするなんて貴族達は不快に思うに決まっている。あとは、予定通りジルの正体を明かせば良い。


相手がジルでないなら、たとえゴールドランクの冒険者でも王族が平民と婚姻するなどありえないと主張すれば良い。クリステルめ、生涯で一度しか婚姻出来ないのに早まったものだ。


ヒューは、焦っていた。

だが、どんどん話を進める国王とクリステルについていくのがやっとで、考える暇がない。


「ふむ、クリステルはずいぶん気に入られたらしいな」


「なんと書いてありましたの?」


「婚約破棄の詫びに、謝罪の品と賠償金を渡したい。使者は無礼を承知でクリステル達に頼めないかと書かれておる。ピエール殿は正式に廃嫡するそうだから、決してクリステルと会う事はない。安心してくれと書かれておる。クリステルの意思を尊重するそうだが、どうだ?」


「わたくし達と書かれているのですね?」


「ああ、その通りだ」


「謹んでお受けいたします」


「左様か。ならばクリステル・フォン・リーデェル、其方に国を代表して使者を命じる。あまり待たせるのは良くない。この謁見が終わればすぐに旅立て」


「御意」


おおっと貴族達からざわめきが起きる。それは、クリステルに対する尊敬の眼差し。ヒューが欲しくてたまらなかったもののひとつだ。


ヒューの心が、チリチリと灼けていく。目の前に居る妹が、憎くてたまらない。


何故、どうしてみんな僕の話を聞かない。どうしてクリステルばかり褒めるんだ。これでは、昔と同じではないか。


ヒューの頭の中は、クリステルを出し抜く事でいっぱいになっていた。必死で頭を回転させて妹の粗を探す。そこに、普段の冷静で狡猾なヒューは居ない。


「クリステル、守りは固めて行け。其方はゴールドランクの冒険者と懇意らしいな」


「はい。とてもお強く真面目な方々ですわ。後ほどご紹介致します」


「うむ、信頼できるのであれば護衛を頼むと良い。王妃に従っていた者は分かる限り処分したが、信頼できる護衛は必要であろう?」


「そうですわね。まさかわたくしの命を狙っていたのが王妃様だったなんて思いませんでした。確かにほとんどお話する事はありませんでしたが、命を狙われているなんて……わたくし、何をしてしまったのでしょうか……」


クリステルが哀しげに俯くと、場の空気は可哀想な王女に同情的になった。クリステルが悪いなどと思っている者は居ない。王妃の醜い嫉妬心が可憐な王女に向けられただけなのだから。


ヒューはクリステルに同情的な空気を変える為、クリステルが婚姻した事を明かして貴族を動揺させる事にした。


相手を聞き出して、ジルならばこの場に引き摺り出してやる。ジルはクリステルに危険が及べば、嫌でも姿を現すだろう。そう思い、ヒューはいつものように優しい兄の仮面を被りクリステルに話しかけた。


「母上が本当に申し訳ない事をした。ところでクリステル、君は婚姻……」


ガタン、と大きな音が扉の外で響きヒューの言葉は遮られた。貴族達も何事かと扉を見ており、ヒューの言葉を聞いている者はあまりいない。急いで控えていた使用人が調査すると、扉の側で荷物を運んでいたメイドが粗相をしたらしい。


実は粗相をしたメイドはルカで、クリステルの側に控えていたジルからレミィ、ファル、ガウスと合図を送りわざと音を出した。一度しか出来ない手だが、ヒューのペースで会話を進めない為の作戦のひとつだった。


もちろん、ヒューはその事を知らない。クリステルは仲間の作ったチャンスを無駄にしないように、言葉を紡ぐ。ヒューに会話の主導カ権を渡す訳にはいかないからだ。


「お兄様、わたくしに詫びたりなさらないで下さいまし。お兄様は王妃様がわたくしの命を狙っているとご存知なかったのでしょう?」


「あ、ああ……もちろん知らなかった」


知らないと答えるしか無い。それ以外の選択肢は自分の破滅なのだから。


ヒューは、またも主導権をクリステルに奪われて焦り始めていた。クリステルは優しげに微笑みながらも、目は全く笑っていない。


貴族達も、クリステルが静かに怒っているのではないかと思い始めていた。


「そうですわよね。でないと、お兄様がこの場に居るなんてあり得ませんもの」


言外に、王妃と結託していた証拠が出ればお前は終わりだと言っている。貴族達もクリステルの言いたい事に気が付いた。


ヒューは、混乱していた。


目の前に居る妹の皮を被った化け物は……誰だ。

ヒューは目の前で優雅に笑う妹に初めて恐怖を感じた。

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