第42話 黒の公爵に、赤い花を
それでも、やはり身分差は否めない。侯爵と平民では身分が違いすぎる。
「リア。王太子妃の教育を受けていたとは思えないほど、感情が顔に出ちゃってるけど?」
リアが驚いたように目を見開くとアッシュは堪えきれずに吹き出した。
「ぷっ、ははっ。……ごめん! でも僕は、そんなリアも含めて全部が大好きなんだよ」
突然の告白にリアの顔が真っ赤に染まる。今までどうやって平静を保っていたのか。もう表情を作ることなどできそうにない。
アッシュの前でだけ、リアはそのままの自分でいられる。それに気がついてしまった。もう以前の、偽りの自分に戻ることなどできない。――戻りたくない。
「リアが心配することは何もないよ。全部、僕が
リアの藤色をした美しい瞳が窓から差し込む陽の光でキラキラと輝く。
「待ってる。ずっと。アッシュが本当の自分を取り戻すまで――」
◇◇◇◇
「お前か? ハートラブル公爵家が贔屓にしている花屋というのは――」
見上げてしまうほど背丈がものすごく高い男が、リアとアッシュの目の前に立ちはだかる。
新店舗から戻ってきた二人に、およそ客とは思えないような身なりの人物が近づき、先ほどの第一声を吐き出した。
驚いて表情の固まった二人に、彼は交互に視線を向ける。
(なるほど。アレを用意したのは、この娘の方か――おや? 誰かと思えば……アーネスト侯爵家を除籍されたウィステリア嬢ではないか)
あの花束を用意したのが、“男”の方ではなかったことに安堵する。
(――だとすると、妙だ)
全身を真っ黒に身を包んでいるその男は、何かを思案するように顎に手をかけ、切れ長の目をさらに細めた。
(あの花に魔法をかけたのは、彼女で間違いない。ならば、なぜあのような魔法をヴィクトリアに?)
眉間に集めた皺が深くなる。それを見たリアは、緊張のあまり背筋をぴんと伸ばした。
「デスペード公爵閣下。ご無沙汰しております。――この度は、どのようなご用向きでしょう?」
黒ずくめの男――デスペード公爵は「ふん」と、短く息を吐き出し、腕を組んだ。
「先日、ハートラブル公爵から花をもらってな」
冷淡な口元の両端が不気味に上がる。リアの背筋がぶるりと震えたのを目視すると、無に戻した。
「あまりにも見事だったので公爵にお返ししようと思い、贔屓の花屋を調べさせてもらった。店の中に案内してもらえるか」
「承知いたしました。お待たせして申し訳ございません。中へ、どうぞ」
リアは慌てて鍵を開け、デスペード公爵を店内へと案内した。
屈むように背を丸めて、室内に入ったデスペード公爵は辺りを見回し、大きく首を動かした。
(店内には、この男の保存魔法だけ、か)
領域魔法で保存された花々を、隅々まで見渡す。オレンジ色の陽の光に照らされ、キラキラと輝いている。
デスペード公爵が今日、ここに来たのは、ハートラブル公爵が用意した花に、どういう意図があったのかを知るためだ。
そして、その花を用意した花屋がなぜ
「お返しには、どのような花をご希望でしょうか」
デスペード公爵をソファへと案内し、腰かけたのを確認すると、リアが問いかけた。
「デスペード公爵家に持参する花束は、どうやって決めたのだ? ハートラブル公爵が選んだのか?」
リアは躊躇いながらも小さく首を振った。
「申し訳ございません。ご注文の詳細はお答えいたしかねます」
頭を下げたリアに、さすが王太子の婚約者だっただけのことはある、とデスペード公爵は感心した。
王城で悪い噂しか聞かなかったが、皆の目は節穴だったのではないかと鼻で笑う。
(ヴィクトリアは見抜いていたのか。しかし、ますます分からなくなったな……)
なぜ、
『この恋に気づいて』――まるで、耳元で囁かれているような感覚。もしもヴィクトリアにあの花を用意したのが“男”だったら、この世界からその存在ごと消していたことだろう。
(ヴィクトリアに近づく男は、この手ですべて排除してやる。『死を司る公爵』として、必ず――)
思わず、拳を握りしめた公爵に警戒したアッシュがリアを背に隠す。ハッと気がついた公爵はその手を緩めた。
「では、ヴィクトリア・ハートラブル公爵への花を用意してもらおう。――そうだな……黒い薔薇を」
「えっ! あの……黒い薔薇、でしょうか……?」
渋い顔をしたリアに、北の公爵は片眉を上げた。
「何か、問題でも?」
「ええ……あの、もしよろしければ、ですが――」
リアは「少しお待ちください」といい、花の中へと消えていく。取り残された公爵とアッシュの間に重い沈黙が流れる。
しばらくして、花の中からひょっこりとリアが姿を現した。
「お待たせいたしました! こちらの花はいかがでしょう?」
デスペード公爵はリアが手にしていた花を見て、眉をひそめた。
「それを――渡せ、というのか?」
リアは真っ黒を身に纏った公爵様に真っ赤な花を差し出した。
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