第12話 愛する人に、あふれるほどの花束を
「リア。どういうことか、説明してくれる?」
アッシュに手を引かれクレメンタイン教授の部屋を出たリアに、アッシュが詰め寄る。リアは視線をせわしなく左右に動かした。
「えっと? 何のこと、かしら……?」
「奥様って、何? リアは魔法薬学を履修していなかったよね? なのにクレメンタイン教授と面識があるの?」
質問攻めのアッシュを『まぁまぁ』と落ち着けるように両手を広げてみせると、アッシュは口を一直線に結び、不満そうに大きな溜め息をついた。
「学園に通っていた頃、確かに私は魔法薬学を履修していなかったけれど、クレメンタイン教授は愛妻家として有名だったの。それにね、クレメンタイン教授は伯爵位を持っていらっしゃるでしょう?」
妃教育を受けていたリアが爵位を持つ貴族を覚えているのは当たり前のことだ。
「ああ、そういうことか。でも……何で奥様に?」
「なぜクレメンタイン教授が愛妻家だって、学園で噂になっていたと思う?」
まるで悪戯をするようにニヤッと笑ったリアに、アッシュは少し面白くなさそうにジトリとした視線を向け、首を横に振った。彼が在学中は教授にそのような呼び名がなかったからだ。
「いつもランチの時間になると奥様が訪ねていらして、ご一緒されてたの」
「それと……さっきの花の件と、どう関係が?」
「あのお部屋の様子。しばらく奥様がいらしていないのだと思ったわ」
アッシュはハッと息を吸った。
アッシュが前回、教授の部屋を訪ね、花を替えたのは約1か月前。その時、教授は不在だったのだが部屋の中は今ほどひどい状態ではなかった。
確かに夫人が来ていたら、あんな状態になるはずがない。
「じゃあ……なぜリンドウを選んで渡したの?」
あの部屋の様子でもう一つ、アッシュが気になっていたことがあった。保存魔法がかけられた花々は1か月程度で枯れたり、朽ち果てたりするものではない。あの花々の状態はアッシュにとって、とても嫌な予感をもたらしたのだ。
そして、リアがクレメンタイン教授に渡した花――リンドウは薬になる。魔法薬学に精通した教授がその意味に気づかないわけがない。
「お部屋が荒れるほどの期間、奥様がいらしていない――そして、魔法薬学の教授が必死に机に向かわれ、没頭している。だから奥様がご病気で、それを治す方法を模索していらっしゃる、と思ったの」
振り返ると、せつなそうに閉まった扉を見つめるリアの手をアッシュは、ぎゅっと握る。
「リンドウには『病気に打ち勝つ』という花言葉があるの」
「ん……よく見舞いに使われる花だね」
「……アッシュ、花言葉を知っているの?」
「――え? あ、いや……まぁ一応、園芸店の息子だし?」
「それなら、ヒマワ――」
「あーっ!! ほら、もうこんな時間だ!! 早く店に戻らないと!」
リアが言いかけた言葉を遮るように、アッシュは慌ててリアの手を引く。その後は手早く一階の教員室をまわり、リアからの質問をはぐらかしていた。
リアは納得いかなったが、自分にも言えないことがあるため、はぐらかされてあげようと、それ以上深く追及することはしなかった。
二人が店に戻り、しばらくすると、突然、バタンと大きな音を立てて扉が開く。
来客を知らせるベルの音がガラゴロと大きく響き渡り、店内の花々を手入れしていたリアはビクリと肩を震わせた。
「学園に来ていた店員はいるか」
どこか慌てたようにズンズンと店内に入ってきた男の見知った顔にホッとするとリアは笑顔になる。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。――クレメンタイン教授」
「――何をした?」
教授の顔はこわばっているが、眉間にできた皺は前より少し浅くなっているようだ。
「君は……あの花に一体、何をしたのだ?」
リアはニッコリと微笑むと、教授をカウンターのそばにある椅子へと案内する。彼を座らせると少し待つように伝え、花を選び始めた。
そんなリアを彼は黙ったままジッと見つめる。
いくつかの花を選び終えると、リアの顔が隠れ、抱えるのが大変なほど大きな花束が出来上がった。
「次はこちらを奥様にプレゼントされてはいかがでしょう?」
◇◇◇◇
――数時間前。
リアから受け取った一輪の花を愛する妻の枕元に置いたハイデは驚きのあまり固まった。
「え……? ヘザー?」
久しぶりに見た、アメジストのような美しい瞳。
この2か月間、自分の魔力だけで生きながらえてきた愛する人。その瞼が今、開いている。
彼女は数回、瞬きをすると焦点を合わせるように視線を天井からベッドサイドへと移した。
「ハイデ……? 一体どうしたの、その顔――」
伸びた髭を気にかけるようにヘザーが手を伸ばすと、ハイデはそれを両手でギュッと握りしめる。
彼のきつく閉じた両目の端から雫が流れ落ちた。
一体、何がきっかけで彼女は目覚めたのか?
思い当たるのは枕元に置いたリンドウの花だけ。
ハイデが鮮やかな青紫の花に目を向けると、その視線を辿ったヘザーが目を見張る。
「まあ、綺麗なリンドウ。あなた、私の好きな花を覚えていてくださったの? ふふ、嬉しいわ」
眠ったまま動かなかった表情が目の前でくるくると変わっていく。それがどんなに大切で、特別で、愛おしいことなのか。
この2か月で、当たり前のことなど何一つないのだ、と思い知った。
「この花を選んでくれた花屋に、礼を言わねばな」
一輪しかない花にも関わらず、嬉しいと喜んでくれる妻に、次こそは、ありったけの想いを込めた、両手にあふれんばかりの花束を用意しようと、夫は心に決めた。
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