第57話~夜の牧場で兄が妹と2人っきりで秘密の特訓~
はいどもー! 見事にGI3連勝を果たした! 国内最強の! ステイファートムでぇぇぇす!!! ……ロードクレイアスの奴とは日本ダービーで負けて終わってるから事実は知らんがな!
今現在俺はぁぁぁ! レースの疲労を癒すためぇぇぇ! 故郷である館山生産牧場に帰省しに来てまぁぁぁす!!!
『……疲れた』
という訳でさっきまでのうるさいテンションも打ち切りです。疲れた……疲れたァァァァ!?!?!?!!?!!! 失礼、今のが最後です。
『……お兄ちゃん』
『どうしたコール! 誰に虐められた!? ぶちのめしてやるかな!』
恐らく一足先に故郷に帰っていただろう妹ちゃん……カーテンコールの様子がおかしい。前回別れた時はなんとか持ち直した様子だったが……いや、まさか。
『……負けたのか』
『……うん』
やはりか、似たような顔を見たことが……いや無いな。ただ、知ってる。俺だ。GI菊花賞を負けて、3度も2着になった時の俺の顔に似てる、と思う。
『最初は良かったの。……でも、沢山の馬たちからマークされて、思ったように走れなくて、最後まで諦めなかったけど……届かなくて、悔しくて……!』
『分かる。自分の取りたいポジションは取られてることも多いし、奪うための体力や方法を走りながら考える。難しいよな』
『そう! そうなの! あとせっかく取れても周りを囲んで、抜け出せないようにもしてくる! ……お兄ちゃんも、そんな事あるの?』
『あぁ。たくさんあったさ』
周りを囲まれた時の走りにくさ、あれめちゃくちゃイライラするよな。特に最後の直線で出ようとする時に前と横に馬が居た時なんて……。
『でも、お兄ちゃんは勝てるんでしょ?』
『あぁ。GIは3連勝だ』
『っ……なら、私の気持ちなんて分からないよ! 分かるわけないじゃん! 喧嘩もレースも強くて、皆の群れのボスもしてて……私とは違うじゃん!』
俺を見る目に若干の恐れが入った。あぁ、そうか……コールは劣等感の塊なんだ。母さんは古馬の牡馬混合GIを勝ち、俺も優秀。なのに自分は勝てない……弱い、そんな劣等感が心を蝕んでいる。なら……。
『その前にGIを4連続で負けたけどな』
『……え?』
『1年近く勝てなかった時期もあった。あの時は悔しかったね』
『え? え? ……いつ?』
『一昨年の秋から去年の夏まで』
『……そんな様子、見たことなんて1度も──』
『見せなかったからね。プリモール母さんにも、コールにも、弱い所は見せない。強い所だけ見て欲しいから。だって俺は母さんの息子で、お前のお兄ちゃんだからな』
俺の弱い所を見せようじゃないか。今まで培ってきた仮面を、天才で最強という認識を持つ兄の素顔を。皐月賞から有馬記念までGIを4連敗し、神戸新聞杯から札幌記念まで1年近く勝てなかった俺という存在を。
『……そ、そんの言われたら何も、言い返せないじゃん』
あらら、泣き出してしまった。もちろんわかってるさ、コールがして欲しいことは慰めて欲しい、負けて悔しいから愚痴を聞いて欲しい。……そんな所だろう。
でも実際に辛い自分に返ってきた言葉は、お前より俺の方が辛かった時期もあるんだぞっていう、どうしようもなくただ自分をさらに傷つけるだけの言葉なんだから。
もちろん愚痴なんて幾らでも聞けるし聞く。でもそれじゃ、前には進めない。俺が居なくなったら? その時にコールはどうする? ……コール1人でもやっていける強さを見つけなきゃ……コールに未来はない。だから……。
『別に不幸自慢がしたい訳じゃないさ。「俺の方が苦しかった。だからコールより辛い思いをしたけど今は勝ててますよ? お前とは違ってね」なんて言いたいわけじゃない。ただまず、苦しさを知るって事、俺でもコールとも共感できるって知って欲しかった』
『……うん』
良かった。ここで話を聞いてくれなかったらお兄ちゃん最低な人(馬?)扱いで終わってた! 今までの人徳、じゃなくて馬徳? に感謝だね。
『今のコールの中の俺のイメージじゃ届く言葉も届かないからな。そもそも、苦しさなんて比べるものじゃない。俺も辛かったけど、コールも辛かった。それぞれに別々の悩み、苦しさがある。それを念頭に置いた上でコールの願いは……ただ共感して欲しかった、慰めて欲しかった。そうだろ?』
『……う、ん』
本心か、それに近しいことを言い当てられてコールが目を逸らしてしまう。まぁ良いよ。話をするには問題は無いから……まぁ妹に嫌われるかもって考えただけで俺のメンタル削られまくってるけど問題は無いから……無いから。
『ならまず、いっぱい愚痴れ。いっぱい喚き散らかせ。レース中の不満はもちろん、日常生活でのことも全部! お兄ちゃんはずっと慰めてやるから遠慮せずに……な?』
『うん……ありがと、お兄ちゃん』
それからしばらくの間、俺はコールの愚痴を聞き続けた。レース前に絡んでくる生意気な女の子の事とか、日常ではもっとご飯が多い方が良いなんて可愛い愚痴も。
あ、あとちょっかいをかけてくる牡馬がいるって事も聞いた。……お兄ちゃん、ちょっと出かけてくるけどコールは着いて来なくて良いからねー。よーし、そいつの名前聞いたからぶっ殺すぞー。
冗談だよ。まぁそんな感じですっかり元通り……とはいかないまでも、落ち着きは取り戻したらしい。良かった。じゃあ本題入るか。
『んじゃスッキリして気持ちを切り替えたし……よし、そしたらまたいつも通りになれ』
『え? い、つも、通りに……? それはちょっと、厳しい、かな……? モチベーションとか……今は、湧かない』
俺の言ういつも通りという言葉にコールは気後れする。まぁ愚痴は吐いたけど、それってマイナスを減らしただけでプラスにはなってないもんな。実力は上がってないし、これからのこと考えたら憂鬱になるのも仕方ない。
『そりゃ残念。コールのために俺が走り方とか教えてやろうと思ったのに』
『!? ……へっ?』
という訳で切り札を切る。皆の思った通りだと思うが、俺はコール自身にレースで勝てる強さを身に付けさせるのが目的だ。
でもいつか使うと思ってたが、まさかここまで早いとはな。まぁ仕方ない。コールの奴はクリクリなお目目をさらに丸くして俺の言葉に驚きを示した。
『覚悟しとけよコール。お兄ちゃんは優しいけど……それ以上に厳しいからなぁ』
『……コール、頑張るます』
こうして俺とコールの秘密の特訓が始まった。でも基本的に牡馬と牝馬が一緒に居ることはない。
だからバレないよう、こっそり夜に抜け出して教えるのがメインになる訳だ。え、今の状況? コールの暴走だよ?
まぁいつも一緒に走ることはあってもアドバイスなんかしたこと無かったし。コールが見様見真似で動きを採り入れようとしてた所は何回か見たけど。
……ふむ、夜の牧場で兄が妹と2人っきりで秘密の特訓か。字ズラがヤバそうだがヤることは普通の運動やトレーニングだし問題無しだな!
***
その日の人間が寝静まった日の夜、俺とコールは馬房をこっそり抜け出して外に出ていた。ここまで来てヤる事は1つだ。
『お、お兄ちゃん……はぁ、はぁ、辛いよぉ。全身を、あっ……こ、こんなムチャクチャにされて、んっ……む、無理ぃ。……私、おかしくなっちゃう~!』
※走ってるだけです
『まだまだぁ! たかが準備運動でこのザマか? これでへばってるようじゃ、本番なんて夢のまた夢だな!』
※走ってるだけです
『そ、そんな事ないもん! コール頑張る! で、でも……私、一応初めてだから……ちゃんと優しくして、よね?』
※走ってるだけです
『あぁ、優しくしてやるさ。コールは今日が初めてだからな。はっ、はっ……ふぅ。どうだ、コール……気持ちいいだろ?』
※走ってるだけです
『ひやぁっ!? これ、凄くキツい。でも私、成長してる気が、する。そう思ったら……気持ち良くなってきた、かも……ふわっ、あぁっ!』
※走ってるだけです
『はぁ、はぁ。ほら、そこで緩急を付ける。身体が喜んでるのが分かるだろ? そう。軽く上下にして……うん、次がラストスパートだ。畳み掛ける! イクぞ! コール!』
※走ってるだけです
『私も! はぁ、はぁ……だめ、だめっ。先にイクのは……んんんっ……あっ。ど、どう? 少しだけだけど、私の勝ち、だよね。お兄ちゃん』
※走ってるだけです
『ふぅ、まさか、妹にヤラれる日が来るなんてな。コール、お前ももう、子供じゃないって事か?』
※レースに勝った妹を褒めてるだけです
『本当? だとしたら、お兄ちゃんは私を大人にしてくれた人って事だね。えへへ、嬉しいなぁ』
※レースで兄に勝って喜んでるだけです
トレーニングを何日か続けていたある日。最後の最後、1回だけコールとの模擬レースに俺は敗れた。
***
なお俺に勝利して自信がついたコールとのトレーニングが終わった翌日、ついにこっそり抜け出してるのがバレた俺たちは人間にこってり絞られて監視強化とおやつ抜きの罰が与えられた。
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