第5話
「そうだ、ドナ。あなた、私が仮面舞踏会でトラヴィスからダンスに誘われたのを目撃していたはずよね?」
「確かに、私はあの日、王都で行われた仮面舞踏会に参加したわ。そして、あなたに声をかけた。でも──」
ドナはそこまで言うと、顔を曇らせる。
そして、一呼吸置くと、続きを話し始めた。
「途中から、突然あなたが虚空を見つめて一人で話し始めて……『誰と話しているの?』って聞いても無視されるし、何だか怖くなって逃げるようにその場を立ち去ったの。でも、後から考えてみればかなり異常だったし、それに……自分が嫌味を言ったせいでグリゼルダが追い詰められておかしくなってしまったのかもしれないって思ったら、ふと罪悪感が湧いてきて居ても立っても居られなくなって。急遽、あなたの専属執事に連絡を取ったのよ」
「……」
グリゼルダは押し黙る。確かに、それならここにドナがいる理由も腑に落ちるが……。
「……ふむ、なるほど。どうやら、精神疾患である可能性が高いようですね」
グリゼルダたちのやり取りを静観していた白衣を着た男性が、呟くようにそう言った。
話しぶりから察するに、恐らく彼はグリゼルダの担当医なのだろう。
「それで、どういった症状なのでしょうか? 院長先生」
スチュアートは院長のほうに向き直って尋ねた。
「恐らく、頭の中でイマジナリーフレンドを作り上げていたのでしょう」
「え……な、なんですか? それは……」
馴染みのない言葉に反応したドナが、戸惑った様子で聞き返す。
「要するに、頭の中にいる空想上の友達ですよ。彼女の場合は、恋人だったみたいですけれどね。とはいえ、子供ならイマジナリーフレンドがいたとしても別にそこまでおかしくはないんです。幼少期に空想上の友達がいて、よく一緒に遊んだり話したりしていたという経験がある人は割といたりします」
「つまり、大人になると消えるということですか?」
スチュアートの質問に、院長は頷きながら説明した。
「ええ。大抵、成長とともに消えるものなのです。ただ、彼女の場合、大人になって突然イマジナリーフレンドが現れた。しかも、その他にも幻覚や幻聴、記憶の改竄などといった症状も見られます。なので、やはり何らかの精神疾患である可能性が高いかと。ちゃんと診察してみないと、正確なことはわかりませんが……」
「私とグリゼルダの記憶が食い違っているのも、彼女が自分の都合のいいように記憶の改竄をしていたからなんでしょうか? あの時、私、心配になってずっと彼女に『誰と話しているの? 大丈夫?』と声をかけ続けていたんですが……どうも、彼女にその記憶はないようなので」
「ええ。そうでしょうね」
院長は、ドナのほうを見て頷いた。
彼らの言っていることが真実ならば、なぜトラヴィスはある日突然消えてしまったのだろうか。
そんなグリゼルダの疑問に答えるかのように、院長が話を続ける。
「彼女のイマジナリーフレンドが突然消えてしまったのは、何か別の病気を併発しているせいでしょう。その病気が邪魔をするせいで、頭の中で架空の恋人の存在を維持するのが難しくなったんです。いや……あるいは、まだ
院長は言い終えると、グリゼルダを哀れむような目で見た。
グリゼルダは、再び辺りを見渡してみる。無機質な独房のような部屋だ。ふと耳を済ましてみれば、遠くから他の患者の悲鳴や唸り声、そして奇声のようなものまで聞こえてくる。
──やがて、グリゼルダは気づいてしまった。ここが『閉鎖病棟』であるということに。
(違う……私は、狂ってなんかいない……おかしいのは、こいつらよ……)
グリゼルダは、必死に自分は病人ではないと否定する。
けれど、考えれば考えるほど自信がなくなってくる。「もしかして、トラヴィスの通っている大学や連絡先を知らなかったのも、自分が生み出した空想上の人物だったからなのかもしれない」と思えてくるからだ。
でも──
「嫌……嫌よ! お願い、ここから出して! トラヴィスは私が作り出した妄想なんかじゃないわ! どうせ、あなたたちがどこかに隠したんでしょう!? スチュアート! 早く、彼を連れてきなさい! これは命令よ!!」
グリゼルダは、やはりトラヴィスと共に過ごした楽しい日々が自分の妄想だと認めたくなかった。
だから、死にものぐるいで抵抗した。ベッドの上で激しく暴れるグリゼルダを、部屋に入ってきた数人の看護師が押さえつける。そして、折れてしまいそうなほど華奢な白い手足に容赦なく拘束具を付けた。
(──ああ、どうしてこうなってしまったんだろう? 私はただ、小説のヒロインみたいに運命の相手に出会って素敵な恋がしたかっただけなのに……)
前世では、ただ二次元のイケメンが好きなだけの普通の女子大生だった。
小説や漫画やゲームでイケメンなキャラクターとの疑似恋愛を楽しめれば、それだけで良かった。満足できた。
それなのに、この世界にグリゼルダとして転生した途端、欲張りで傲慢で嫉妬深い性格に変わってしまったのだ。
(欲張らなければ、こんな結末にはならなかったのかなぁ……)
グリゼルダの目から溢れた一筋の涙が頬を伝う。
鎮静剤を打たれたグリゼルダは、否応なしに深い眠りについた。
──せめて、夢の中で愛しいトラヴィスと会えることを願いながら。
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