第2話

「ねえ、スチュアート。最近、なんだか無性に寂しいの。私にも、まだ素敵な殿方と出会うチャンスはあるかしら?」


 不意に焦燥感に駆られたグリゼルダは、スチュアートにそう尋ねた。

 質問に対して、スチュアートは「ええ」と頷く。


「もちろんでございます。グリゼルダ様の美貌は今も尚衰えておりませんし、お人柄も大変魅力的です。きっと、その気になればチャンスはいくらでもあるでしょう」


「で、でも……私は昔、ヒルダ嬢に酷い仕打ちをしてしまったのよ? 醜聞は広まっているし、今更チャンスなんて……」


 そう言いながら、しおらしく俯いてみせる。

 グリゼルダはあの騒動以来、父親や使用人たちの前では反省したような素振りを見せていた。

 その実、自分に非はないと思っていたし、心の中では舌を出していたのだが。

 グリゼルダも馬鹿ではない。一先ず改心したように見せておかないと、ますます監視が強まるのは目に見えていたし、軟禁どころか監禁されかねない。

 自分が不利になるのがわかっているからこそ、何十年も演技をし続けたのだ。


「何を仰るのですか。グリゼルダ様は、もう十分反省なさったではありませんか。心を入れ替えたグリゼルダ様が幸せになってはいけないなんて、一体誰が言ったのでしょう? きっと、神様もお許しになるはずですよ」


 スチュアートはそう言うと、にっこり微笑んでみせる。

 その笑顔は、まるで娘の幸せを願う父親のようだった。



 一ヶ月後。グリゼルダのもとに、王都で行われる予定だという仮面舞踏会の招待状が届く。

 グリゼルダは、今まで幾度となく夜会に参加してきた。しかし、結局異性との出会いには結びつかず、いつも無駄足を踏んでしまっていたのだ。


(でも、今回は仮面舞踏会なのよね。お互い顔も見えないし、試しに参加してみようかしら)


 スチュアートもああ言っていたし、きっと自分にもまだチャンスはあるはず。

 そう思い、グリゼルダは仮面舞踏会に参加することにした。



 数週間後。グリゼルダは、予定通り王都の仮面舞踏会に参加した。

 当然ながら、参加者は全員仮面を付けていた。素性がわからないというのは、過去にスキャンダルを起こしたことがあるグリゼルダにとっては好都合だった。


(大丈夫。私だって、まだまだいけるはず。体型だって、二十年前からちゃんと維持しているし)


 グリゼルダは年齢よりも若く見えるせいか、今でも容姿に自信があった。

 鮮やかな自慢の金髪に白薔薇のコサージュをあしらい、青いドレスを揺らしながら颯爽とパーティー会場に入る。

 今度こそ、絶対に成功させてみせる。そう意気込むと、グリゼルダは参加者の男性を舐め回すように眺めた。

 そんなことをしていると、不意に背後から声をかけられた。


「あなた、もしかしてグリゼルダじゃない?」


「え……?」


 グリゼルダは、反射的に振り返った。

 すると、そこには真っ赤なドレスを身に纏った黒髪の女性が立っていた。

 女性はグリゼルダが動揺したのを確認すると、にやりと口の端を吊り上げる。


「こんなところにいるってことは……あなた、まだ結婚できていないのね」


 耳元でそう囁かれた瞬間、グリゼルダは確信した。

 彼女は、元同級生のドナだ。昔から、事あるごとに絡まれてその度に嫌味を言われてきた。

 二十二年前──グリゼルダがヒルダを陥れようとして返り討ちに遭った時、ドナは心底嬉しそうにしていた。まるで、「ざまぁみろ」と言わんばかりに。


「……」


 グリゼルダは押し黙る。

 だが、ドナはそんなグリゼルダに追い打ちをかけてきた。


「どうやら、図星だったみたいね。いくら仮面で顔を隠していても、私にはわかるのよ。だって、私、あなたのことが大好きなんだもの」


 ドナは心にも思っていないことを平然と言ってのけた。


「あ、あなたこそ……どうしてこんなところにいるの? 仮にも、男爵夫人でしょう? そもそも、なんで既婚者のあなたに招待状が──」


「知り合いの若いお嬢さんがね、どうやら身分違いの恋をしているらしくて。彼女に自分は行く気がないから代理で出席してもらえないかって頼まれたのよ。それに、うちは仮面夫婦だから万が一ばれたとしても何も言われないわ。だから、心配ご無用よ」


「へえ、そう……」


 グリゼルダは出来るだけドナと視線を合わせないようにした。


(本当に邪魔な女ね。早く、飽きてどこかに行ってくれないかしら)


「ねえ、グリゼルダ。悪いことは言わないから、結婚は諦めなさい。ああ、別に意地悪で言っているわけじゃないのよ? 私は、早く諦めたほうがあなたの心が楽になると思って──」


 どうせ、すぐ飽きる。そう思ったのだが、ドナは一向に口を閉じようとしなかった。どうやら、以前にもましてしつこい性格になったようだ。

 グリゼルダが辟易していると。突然、助け船を出すかのように誰かが会話に割って入ってきた。


「失礼。そちらのお嬢さんをダンスに誘いたいのですが」


「は……?」


 ドナが声の主のほうに振り返ったため、グリゼルダもつられて同じ方向に視線を移す。

 そこにいたのは、藍色の髪に海のような濃い青の瞳を持つ青年。

 仮面で顔が半分隠れているから年齢はわからないが、声や雰囲気から察するにまだ若そうだ。


「お嬢さん……?」


「そちらのお嬢さんのことですよ」


 怪訝そうに聞き返したドナの言葉を遮るように言うと、青年はグリゼルダを指さした。


(え……? わ、私のこと……?)


 グリゼルダは目を剥いた。

 若く見える方とはいえ、まさかこの歳で「お嬢さん」と呼ばれるなんて。


(でも、私、前世で死んだ時は大学生だったし……ぶっちゃけ、気持ち的には二十歳の頃から変わっていないのよね)


 見知らぬ青年に「お嬢さん」と呼ばれたことで、グリゼルダは嬉しくなって気を取り直す。


(ドナったら、苦虫を噛み潰したような顔しちゃって。ダンスに誘われたのが自分じゃなくて私だったのがよっぽど悔しかったのかしら?)


「あなた、物好きね。こんな年増女と踊りたいだなんて」


「何を言っているの? あなただって同い年でしょ」


 グリゼルダが透かさずそう言うと、ドナはバツが悪そうに目をそらした。


「……ふ、ふん。ちょっと若い男に声をかけられたからって、いい気になるんじゃないわよ」


 ドナはそう吐き捨てると、そそくさとその場から立ち去った。

 漸くしつこい元同級生から解放されたということもあって、グリゼルダは青年に心から感謝し深々と頭を下げた。


「あの……ありがとうございました。厄介な人に絡まれて困っていたので、本当に助かりましたわ」


 恐らく、彼はグリゼルダをドナから救うために「ダンスに誘いたい」だなんて嘘をついたのだろう。

 本来なら、彼のような若者が自分くらいの歳の女に声をかけるはずがないということはグリゼルダもわかっていた。


「それじゃあ、私はこれで……。優しいあなたに、素敵なダンスパートナーが見つかりますように」


 そう言って、グリゼルダは青年に向かって微笑む。

 くるりと彼に背を向けて立ち去ろうとすると、不意に「待って」と呼び止められた。

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