第14話 赤い狂星(2)





 ラーシャに妙な術を掛けられた静羅は、その日熱を出して倒れた。


 翌日には下がっていたのだが、心配性の和哉が許してくれず、学校を休む羽目になった。


 和哉も学校を休むと言ったのだが、これには静羅が誠心誠意を込めて説得し、和哉には学校に行ってもらった。


 まさか静羅が休むからといって、和哉にまで学校を休ませるわけにはいかない。


 それではまた親戚連中にいいだけ責められてしまうだろう。


 これで静羅もなかなか大変なのである。


「寝てる必要もねえか」


 身体はすっかり良くなっていた。


 寝てるのも邪魔くさいので起き上がる。


 昼食はさっき摂った。


 病欠の生徒の昼食はちゃんと出されるのである。


 それを食べないと和哉にバレるので、そこまではきちんと休んでいたのだ。


「それよりここ半年ほど穏やかな生活が続いてるなあ。中学を卒業する辺りから、あれ、ご無沙汰してるし」


 小首を傾げて考える。


 静羅が地元を離れたからだろうか。


 もしかして静羅の行方を掴んでいない?


「確かめるとしたら今が絶好の機会だけど、今までは夜だったからな。果たして昼にひとりだからって仕掛けてくるか?」


 確証はない。


 でも、ラーシャの件もあるし疑問は片付けておくべきだろう。


 仕掛けやすいように人気のないところへ行けばいいか。


 それで仕掛けてきたら様子を見ていたということだ。


「となると早く動かないとな。和哉が戻ってくるまでには部屋にいないとならないし」


 今日は6時間目までだからH/Rも入れて大体16時くらいか。


 役員にでもなっていたら、もうすこし遅かったかもしれないけど、転校してきたこともあって役職にはついてないし。


 部活もやっていないから。


 学生やってて役職を持たないのは小学3年生以来だと、いつだったか和哉が苦笑していた。


 そのことは悪いなとは思っていたのだが。


 和哉が生徒総長をやってきたのは静羅のとばっちりだったので。


 静羅が素直にやっていれば、和哉は悪くても副生徒総長くらいで済んでいたのだろう。


 和哉の実力的に役職を受け持たないということはないだろうから。


「さっさとするか」


 服を着替えて慌てて窓に近付いた。


 さすがに玄関から堂々とは出られない。


 学校を休んでいる身だし。


 見付かったらコトだ。


 このとき、静羅は思いもしなかった。


 このお忍びが自分の運命を変えることになると。


 運命の出逢い。


 そう呼ぶべきときが近付いている。


 静羅が自分の運命と出逢うときが。





「補導されるかと思ったけど、思ったほど注目されないな。俺って童顔のはずなのに」


 自分で認めるのは腹が立つが、そうなのだから仕方がない。


 和哉と並ぶと必ず年下に見られるし。


 街中を歩いていてふと気付く。


 自分は異質なのだと。


「今思えばラーヤ・ラーシャだけなんだ。俺に関連がある行動を見せたのって。人間じゃないと仮定して、だけどな」


 人間離れしている静羅に似ている行動を見せたラーヤ・ラーシャ。


 静羅を行方不明のだれかじゃないかと疑っていた。


 それは行方不明のだれかが静羅と似ている現実を意味する。


 確かめておくべきだったのかもしれない。


 それはだれのことだと。


 静羅とだれが似ているのだと。


 そこにしか静羅の出生に関する手掛かりがないのだとしたら……。


「俺。自分の出生の手掛かりを掴み損ねたのか?」


 和哉には感謝している。


 あの地獄のような苦しみから解放してくれたのだから。


 そのことを恨みはしない。


 でも、そのために確認する機会を逸してしまった。


 そのことを今になって悔やんでいる。


「暗殺者も出てくるんだったら、さっさと出てこいってんだ」


 物騒な科白を吐きながら静羅は街を歩く。


 ひとつの出逢いに向けて。






「柘那(しゃな)。この街で間違いないんだろうな?」


 街中を歩きながら黒い髪、黒い瞳の少年が後ろを歩く少女を振り向いてそう言った。


 服装はどこにでもいる少年の格好だ。


 夏の終わりに相応しい五分袖のTシャツにジーンズ。


 動きにくそうに見えるのは慣れていないのだろうか。


 少女は白いワンピースを着ていた。


 膝丈の物だ。


 これでもなるべく抵抗のない服装を選んだつもりだが、もっと派手に脚を見せる装いが普通らしいので、すっかり困っていた。


「ふむ。柘那が脚を出している装いというのは初めてみるな」


「紫瑠(しりゅう)さま。揶揄わないでください」


 顔を真っ赤に染めて柘那が俯く。


 紫瑠と呼ばれた少年は回りを見渡しながら、さっきの問いをもう一度口にした。


「ところで柘那。本当に方角はこれで合っているのか? 気配も感じられないが」


「合っていますわ。こちらの方から強い気を感じますから。それがすぐに御子のものであると特定はできませんけど」


「そうか。難しいんだな。柘那にも感じ取らせないとは」


「力不足で申し訳ございません」


「柘那のせいじゃない。気にするな。それだけ兄者が特別だということだろう」


 そこまでふたりで喋っていると、もうひとりの少年が口を開いた。


「王子。もうすこし御身にご注意を」


「その呼び名を出すな、志岐(しき)。なんのために変装しているのかわからないだろう」


 志岐と呼ばれた若者は困ったような顔になる。


 3人は似通った年恰好だが、実は志岐が1番年下だった。


 柘那よりすこしだけ年下なのである。


 紫瑠は18、9歳といった外見だが、年齢ではかなり年上だった。


 本人が数えるのをやめているくらいには。


 柘那が16、7。


 志岐は15、6といった外見だ。


 外見は年齢とは合わないが。


「それにしても供に選んだのが、わたしひとりというのは幾らなんでも不用心では」


「志岐には悪いが俺は本来、供の者は柘那ひとりで十分だと思っていたんだ。それが長老がどうしても供をつけろと譲らないから、それならと志岐にしたんだ」


「わたしはオマケですか?」


「実力を認めていないわけではないんだ。そう拗ねるな」


「拗ねてはいません」


 幼なじみらしく言いたいことを言い合うふたりに柘那が苦笑している。


 この3人は幼なじみだった。


 特に柘那と紫瑠は乳兄弟である。


 紫瑠は柘那の母親に育てられたのだ。


 といっても柘那は遅い子供なので柘那が赤ん坊の頃には紫瑠は少年の姿にまで成長していたが。


 路地を曲がったときだった。


 信号の向こう側にひとりの少年、いや、少女だろうか? が、いた。


 言うまでもないかもしれないが静羅である。


 静羅は初対面だと性別を間違えられやすいので。


 その姿を見て柘那がハッと息を呑んだ。


「どうした、柘那?」


「あの方のお姿は」


「あの方?」


「この道の正面で立っている方です。長い黒髪の」


「ずいぶん綺麗な少女だな。あの子がどうかしたのか?」


「肖像画で見た沙羅さまにそっくりです。紫瑠さまはご覧になったことは?」


「沙羅というと兄者の母上か? いや。俺は見ていない。なんだか悔しくて」


 父の寵愛を独り占めしていた竜族の王女、沙羅。


 阿修羅王の正妃。


 母の影が薄いのもそのせいである。


 そのため紫瑠は兄の母親の肖像は見たことがなかった。


 見たら負けるような気がして。


 しかし。


「そんなに似ているのか?」


「はい。瓜二つです。といっても遠目ではっきりしませんが、美貌はあの方の方が勝っているようですが。本当に綺麗な方」


「他人の空似だろうか。兄者が女顔というのはあり得ないだろうし」


「それにあの姿はどう見ても少女では?」


 志岐もそういうので紫瑠も疑わしい気分になる。


 どうしてもあり得ないと思ってしまう。


「すれ違ってみませんか。紫瑠さま。そうすれば紫瑠さまにならおわかりになるはずです。肉親にだけ伝わる直感で」


「わかった。意識してみる」


 言って信号が青に変わったので歩き出した。


 この辺りの知識は天界で先に仕入れている。


 でなければ街を無事に歩けなかっただろう。


 といっても初めて見たときは慣れるのに時間が掛かったが。


 真ん中辺りまで進んだときだった。


 静羅が触れるほど近くを通り過ぎる。


 ドキンと心臓が鳴った。


 知らず知らず視線を向けてしまう。


 すると静羅もこちらを見てきた。


 不思議そうに見上げている。


「兄者っ!!」


 紫瑠は反射的に叫び、静羅の二の腕を掴んでいた。


 信号のど真ん中で腕を掴まれ、引き止められた静羅は、危うく転倒しそうになった。


「バカヤローっ!! 信号のど真ん中で引き止めんなっ!! 事故ったらどうすんだっ!!」


 そう言っている間も信号は点滅している。


 静羅は腕を振り切ろうとしたが、何故か躊躇われてできなかった。


「とにかく信号を渡る方が先だ。事故りたくないだろうが」


 そう言って歩き出す。


 紫瑠も腕を掴んだまま大人しく静羅に従い、彼が叫んだ名を聞いて柘那と志岐も黙って従った。


 信号が赤に変わる直前静羅は渡りきることができた。


 間一髪である。


「で? なんの用だよ? 信号のど真ん中で呼び止めるなんて危ないことしてくれて」


「……兄者?」


「はい?」


 恐る恐る呼んだ名が意外で、静羅がぽかんと彼を見る。


 最近やけにこの手の会話が多いとチラリと脳裏を過った。


「俺にはわかる。兄者だろう?」


「だれがだれの兄だって?」


「あなたが俺の」


「……」


 悪質な冗談かと思ったが、相手は至って真面目な目をしていた。


 それに何故か悪質な冗談だと言い切れない妙な確信めいたものが静羅にもあるのだ。


 未だに掴まれた腕を振り切れないのが、その証拠である。


「タチの悪い冗談だな。それとも新手の誘拐か?」


「兄者っ。俺は嘘は言わないっ。信じてくれっ」


「……確かに俺の身元は不明だ。捨て子だからな。だから、そういう意味ならそういう例えもあり得るのかもしれない。でも、どこに証拠があるよ?」


「証拠ならすぐに用意できる。どこか人気のないところへ行こう。そうしたらすぐにでも兄者だと証明してみせるから」


 真摯な声だった。


 真摯な瞳だった。


 その顔を見ていると静羅はイヤだと言えなかった。


「わかった。手短に済ませろよ」


 逃げないようにか二の腕を掴んだままで、名乗りもしていない青年が歩き出す。


 しかしこの外見で静羅を兄と呼ぶとは感覚がおかしいのではあるまいか。


 どう見ても静羅の方が年下である。


 静羅の外見は15なのだから。


 それも普通の15歳より幼く見える15歳なのだ。


 18、9歳の青年が静羅を兄と呼ぶのは、どう考えてもおかしかった。


 それを疑わずついていく静羅もおかしいが。


 人気のない公園まで行くと彼はやっと腕を放した。


 それから静羅に向き合う。


「これからすることを黙って受け入れてほしい。証を引き出すにはすこしの手間が必要なんだ」


「証ってなんの?」


「待っていてくれればすぐにわかる。なにをされても拒否はしないでほしい」


「なにをされてもって……」


 さすがに待ったを掛けそうになる。


 すると青年の手が項に触れた。


 反射的に悪寒がしてしまう。


 それを防ぐようにまた二の腕を掴まれた。


「なにもしない。生気を送り込むだけだ。警戒しなくてもいいから」


「生気を送り込む?」


 マンガや小説でしか聞かないような言葉だ。


 しかし確かに触れた項から、なにか暖かなものが注ぎ込まれているのがわかる。


 身体が熱くなるのを感じた。


 どのくらいそれを繰り返したのか、身体の熱をもて余す頃、相手がホウッと吐息を吐いた。


 一緒に付き合っていた少女が手鏡を差し出す。


 なんだろうと受け取って鏡を覗き込んでみた。


 そこに映る静羅の額には見たこともない紋章の痣が浮かび上がっていた。


「なんだ。これ」


「俺たち阿修羅族の王家の紋章だ。直系王族だけが持つと言われている王族の証だ」


「阿修羅族?」


「俺の額にもある。ほら」


 言って相手が額に触れさせた手を離した。


 そこには静羅と全く同じ紋章の痣が浮かび上がっていた。


 静羅よりすこし小さくて薄いが。


「同じ痣?」


 唖然とする。


 これはどういうことだ?


 阿修羅族?


 それってなんだ?


 これは現実なのか?


「信じられない気持ちはわかる。でも、これでわかっただろう? あなたは俺の兄者なんだ。ずっと行方不明だった」


「ちょっと待ってくれ。いきなりそんなこと言われても」


 戸惑いが勝って静羅にはそんなことしか言えなかった。


「大体俺がおまえの兄って、それはぁかしいだろうが。どう見たっておまえの方が年上じゃないかっ」


「それはたぶん兄者が地上で封印されていたせいだ」


「封印?」


 呟くと相手が頷いた。


「兄者は本当なら成人していてもおかしくないんだ。それほどの時代が流れているから。でも、兄者はこの地上でなんらかの封印を受けていた。それが解けたのが約15年前。だから、兄者の外見はその程度なんだ。今まで人間として生きていたから」


「人間として生きていたって……だったらなんだよ? 俺もおまえも傍にいる奴らも、みんな人間じゃないのか?」


 ムッとして静羅が言い返すと、まだ名乗っていない青年が頷いた。


 肯定されるとは思わなくて絶句する。


「俺の名は紫瑠。天界の阿修羅族の第二王子。後ろにいる女の子が阿修羅族のの巫女姫の柘那。柘那は俺の幼なじみで乳兄弟でもあるんだ。そして最後のひとりが俺と柘那の幼なじみで護衛としてついてきた一族の武将、志岐。みんな天界の阿修羅族の出身なんだ」


「神さま?」


 呆然と呟くと笑いながら頷かれた。


 思わず後ずさりそうになる。


 天界?


 阿修羅族?


 王子?


 巫女姫?


 武将?


 言われた言葉が頭の中で整理できない。


 だが、否定するには静羅の額に浮かんだ痣が問題なのだが。


 そんな痣は産まれてから一度もなかったのだ。


 今紫瑠によって呼び覚まされるまで。


 どうやって否定すればいい?


 自分は人間だと。


「俺は……だれなんだ?」


「兄者は阿修羅族の第一王子。世継ぎの君だ。父上の後を継ぐ存在なんだ。一般的には阿修羅の御子と呼ばれている。兄者には辛い事実だろうが、兄者が産まれた直後に聖戦が起きた」


「聖戦?」


「天がふたつに別れて戦が起きたんだ」


「……戦争」


 まるで自分が原因みたいに言われてイヤな気分だった。


「天帝軍と鬼神軍とに別れて。父上は天帝、帝釈天と戦った。兄者を護るために」


「なんで俺が……っていうか。阿修羅の御子が戦争の理由になったんだ?」


「それは兄者が天界に戻ってから説明したい。迂闊に口にできる内容じゃないんだ」


「……」


 天界に戻ってから?


 つまり彼らは静羅を……というか、阿修羅の御子を天界に連れ戻すためにやってきた?


 そんなことをいきなり言われても、静羅には否定も肯定もできないのだが。


 まだ自分がその阿修羅の御子だという自覚もないのに。

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