第58話

宿屋の食堂は宿泊客以外も利用でき、近所の人間が食事に訪れる事が多い。

この宿の食堂も同じで、階段を降りる時から食堂の賑やかな声が聞こえていた。


「いらっしゃい、酒かい?食事かい?」

「ああ、食事で頼むよ」

丁度、給仕をしていた女将さんに答える。


「そこの空いた席に座っといで、直ぐに運んでくるよ」

元気で働き者の女将さんだな。


指示されたように席に座ろうと見回すと、空いているのは一箇所だけだった。

向かいに一人女性が座っている席だ。


「ここ座ってもいいかい?」

「ええ、構いませんよ」

返事をもらい席に着く。

肩の上では、アンバーが食事を待てない様子でソワソワしていた。


「あら、猫なんて珍しいわね。なんて名前なんですか?」

「アンバーって呼んでるんだ。ほら、この子の瞳が琥珀アンバーみたいな色をしてるだろ」

正面の女性の問いに答え、アンバーの瞳を見えるように肩を動かした。


「本当に綺麗な色の瞳ね。お似合いの名前だわ」

「良かったなアンバー、似合ってるってよ」

「にゃー『きにいってる』」

俺の言葉に返事をしてくれた。


「良く懐いているわね。あら、私ったら名前も名乗らずに。レストーラよ」

「俺はエドガーだ、同席の誼でよろしく」

名乗って、差し出された手を握る。


そんな感じで、アンバーの話題でレストーラと話してる間に料理がきた。

女将さんにはアンバーの食事も頼んでいたので、そのまま二人と一匹で食事を進めながら話を続けた。


「エドガーは、この街の人間じゃないでしょ。何処から来たの?」

「俺か?俺はトリニードからだな。帝国に行く途中なんだ」

このくらいなら話しても問題無い。

旅の理由は・・・言えないけど。


「そう、感じからして冒険者?かしら?」

「まあ見れば分かるよな。その通りだ」

「依頼?」

「では、ないな。活動拠点を帝国に移そうと思ってるんだ」

どれも嘘は吐いていない。


「帝国かぁ、何処に向かう予定か聞いても良い?」

「隠す事でも無いし、まずは交易都市ラフターンを目指してる。そこから先は、まだ分からないな」

これも嘘は無い。

元々予定していた通りだ。


「そっち側なのね。なら大丈夫かな」

「何かあるのか?」

気になる言い回しに、問い掛けてみた。


「うん、北の方にも国境の検問所があるのは知ってる?その検問所の帝国側から北側の海岸に掛けて盗賊団が出るみたいよ。旅商人が言ってたわ」

また盗賊団か、本当に多いな。


「ここに来る途中にも、辺境伯軍の討伐隊に会ったけど、この辺って、いつもこんなに盗賊団が出るのか?」

思ってた疑問をぶつけてみる。


「無いわよ。今年は特に多いみたい。これも旅商人から聞いたんだけど、帝国の中央の方で大規模な盗賊の討伐があったんだって。それで地方に逃げ出した盗賊がここまで来たんじゃないかって言ってたわよ」

そう言う理由だったのか。

逃げるなんて・・・俺も逃げてるか。

部屋で悩んでいたのが馬鹿らしくなるほど簡単に、求めていた情報が手に入り気が抜けた。


さて、そう言う事なら北側に近付かなければ問題無さそうだ。

食事も終わり、レストーラに挨拶して部屋に向かうために立ち上がった。


「よう姉ちゃん、俺の話し相手もしてくれよぉ」

その横で、実にくだらない問題が発生した。

酔っ払いが、レストーラに絡んできたのだ。


俺は咄嗟に、俺に厳しく女性への扱いを教え込んだおばちゃん達の言い付け通り、レストーラを庇う。

彼女に向けて伸ばしていた酔っ払いの手を掴み捻り上げたのだ。

俺はそのままの体勢で「これ以上痛い目に合いたくないなら、ここまでにしろ!」と酔っ払いに告げた。


この騒ぎを聞きつけたのか、厨房の方から男性が一人出てきた。

「おい、俺の宿で騒ぎを起こすんじゃねぇ!」

そう怒鳴る男性は、口振りから女将さんの旦那なのだろう。


その旦那さんに、知り合いなのか近付き何かを話しかけている人がいた。

旦那さんは俺達に近寄って来て「お客さん、そいつを離しちゃくれねえか?」と言ってきた。


「俺は騒ぎを起こすつもりは無い。注意するなら、この酔っ払いにしてくれ」と捻り上げていた手を離してやった。

旦那さんは「すまねえな。良く言い聞かせとくよ」と俺に言って、レストーラにも「迷惑を掛けたな」と謝っていた。


レストーラも、流石にこれ以上ここにいるのが良く無いと思ったのか席を立つ。

彼女を宿の外に送ろうと歩きかけた所へ、さっきの酔っ払いが大声を上げた。


「このガキがぁ!」

そう叫んで、こっちに向かって突進してくる。

キラッ!と光る物が手元に見えレストーラを背後に庇うように動く俺の前に、旦那さんが手を伸ばしてきた。


酔っ払いが持っていたのは、まともに刺さっても人を殺せるような物では無い小さな携帯ナイフだったが、旦那さんが咄嗟に出した掌に突き刺さった。


その瞬間、辺りに一瞬静寂が訪れる。


次の瞬間には周りの人達が酔っ払いに飛び掛り取り押さえるが、旦那さんの掌にはナイフが突き刺さったままだった。


「ちっ!しくじったな。大事な商売道具に怪我しちまった」

旦那さんは独り言を言い、酔っ払いや俺には何も言わず厨房に戻ろうとしていた。


だが俺には聞こえていた「そいつは紫蛇を解体したナイフだ。邪魔した報いだ」という酔っ払いの囁き声が。

反射的に旦那さんの手を掴み告げる。


「そいつは毒蛇を解体したナイフらしい。そのままにしたら死ぬ事になる。近くに薬屋はあるか?」


突然の俺の行動と言葉に全員の視線が俺に集中していた。



やべっ!大声で叫んじゃった・・・

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